作戦名「シュツルモビック」
スタフカのジューコフ将軍の作戦はいかに?
後世の我々から見たら、「なんじゃこりゃ」みたいな作戦名は存在するが、モスクワ攻防戦でジューコフ将軍の立案とされる「シュツルモビック」作戦ほど、当時のソ連軍司令部の願望を表すものはないだろう。
シュツルモビックとは、「嵐を呼ぶ男」とか言うらしいが、名詞としたらあのイリューシンの攻撃機が有名である。
とにかく敗勢著しいソ連軍としては「嵐を呼びたい」心境だったのであろう。
後年、公開された資料から読み取れるこの作戦について簡単に述べてみたい。
作戦目的は、英米、および日独からなる敵のうち、最も弱い部分をついて、南北それぞれからの攻撃を阻止、多大な出血を強いると同時に厭戦気分を誘導して、さらなる侵攻を食い止めることである。
さらに作戦計画には、各軍の兵力見積り、戦力の充足状態、補給状態、などが記載、検討されていて、ソ連軍が主たる目標とすべき敵が示されている。
それは「日本陸軍ウクライナ支隊」であったのだ。
この理由は、「最も小規模」かつ「最も弱っちいから」である。
現実には、この部隊は現地で捕獲したソ連軍車両や捕獲した戦車を自軍に編入したりしていたので、ほぼ旅団相当の戦力になっている。
さらに、黒海に展開した空母から陸上基地に展開した海軍航空隊、実戦テストのため展開している陸軍航空隊、などの支援もあるため実兵力は旅団相当ながら、直接協同する航空隊など入れたら、実質師団にせまるものになっていたのである。
ジューコフは、日本軍を甘く観すぎていたと後世批判されたりするが、彼は一度ノモンハンで損害を払いながらも、日本人の攻撃を追い払い、極東方面をおとなしくさせる戦果をあげたのである。
その「成功体験」が彼の日本人に対する過小評価に繋がってしまったと言われている。
そして、ドイツ軍の側面を守る形の日本軍を撃破して、ドイツ軍の後方へ回り込み、補給を絶ち撃破するシナリオである。
こうして、モスクワ南部にせまる日独を食い止める間に、英米には「新兵器」を示し、これ以上の侵略を防ぐとなっている。
結局、この作戦は、日本人がどこまで我慢強いかが、最大のポイントとなったのである。
一度やっつけた成功体験は、再度成功するでしょうか?




