ソ連空軍ジェット機開発
ソ連空軍もアメリカ爆撃機の脅威のまえに、ジェット戦闘機を開発しますが
ソ連はドイツやイギリスのジェットエンジンの最先端を行く国々の機体を捕獲することができた。
ドイツは面倒だが、将来的に発展する余地の大きな軸流式ターボジェット。
かたや、イギリスは機構的に簡易な遠心式ターボジェット。
面白いもので、ソ連空軍の技術陣はここで妙な「色気」を出してしまった(>_<)。
両方を組み合わせてみたのである。
この結果、機構的に複雑、重量が重く不安定と、両方の悪さを足してしまう結果になった(>_<)。
さすがにこれではどーにも、でまずは、遠心式ターボジェットに注力することになったのである。
このとき有り難くも手に入ったのがPー80のJー33エンジンである。
イギリスのホイットルやら、ローバー社やら(最終的には今も有名なロールスロイス社に行き着く)がてんやわんやして作り出したエンジンが、アメリカに渡り、GEの手を経て、最終的にアリソンで量産されるようになり、熟成したエンジンである。
後年、筆者が飛行機の整備の勉強をしたときの教材にもなったエンジンだが、「やぼったい、ずんぐりしたエンジン」である。しかし、先に述べたような先人の苦労の塊のようなこのエンジンは、我が国でも戦後長く使われた傑作である。
このエンジンを入手するにあたり、どのような経緯があったかは、近年でも詳細は不明だが、数機の不時着機の存在が確認されているから、比較的損傷の少ないエンジンが入手されていたと思われる。
皮肉な話であるが、もしソ連が、英米と良好な関係を維持し得ていたら、アメリカよりさらにジェットエンジンの先進国であるイギリスのエンジン技術をより早く取り入れられ、Bー36などに対抗するジェット戦闘機をより早く配備できていたと想像されるのだ。
この数年の遅れは、Bー36によるソ連本土空襲での手痛い失敗につながるわけであるから、怖い話である。
さて、面倒な軸流式を避けて遠心式ターボジェットを装備したジェット戦闘機を開発することになったソ連空軍である。
そこでまた新たな障害に遭遇したのである。
ソ連空軍が各設計局に出した要求はまず、英米の戦闘機に匹敵する速度。
次にBー36なども確実に撃破する火力。
そして、前記の性能をあらゆる天候でも発揮できる全天候性能であった。
この3つは、アメリカの爆撃機を恐れたスターリンの意向も含まれているから、絶対的な命令でもあった。
ところが、この内容は、一つまたは二つなら解決策はあった。
ジェットエンジンの効率を優先し機首にエアインテークを持ってきて、ストレートにエンジンに空気を導き、かつエグゾーストノズルを短くすれば、抵抗少なくでき、限られた推力を有効に活用して高速を出せる。
重武装も、例えば主翼付け根や胴体下など、プロペラがないから比較的楽に胴体に設けられる。
しかし、これに全天候性能を附加すると、全部おかしくなるのだ。
現代のようにコンパクトな電子機器ではなく、いかついわりにデリケートな真空管で制御する電子装置を積み込むとなると、機体は大型になり、複雑な電子機器は専門に操作する操作員を必要にしたのである。
これは最近でも、スマホのながら運転の事故からもわかるであろう(^-^)。
たかだか自転車、車の運転でも 片手操作可能な電子機器でも、 操作しながらの運転は難しく事故の原因なんである。
これが、単座の戦闘機の操縦で、昔の複雑怪奇な電子機器を操作となれならばどれほど困難な話か!
大型戦闘機にまとめてしまえば、重武装で、装備の充実した全天候性能をもつことも可能だが、その代わり、限られた推力の当時のエンジンには負担が大きく、とてもやないが必要な機動力がない〜!代物になるのである。
歴史的にみたら、前述の課題は1970年代に入って、強力なエンジン、ソリッドステート化して以前よりコンパクトになった電子機器、コンピューターにより自動化が進んだウエポンシステムやらが実現して、初めて物になったのである。
それまでは、必ず失敗すると言って間違いない課題であったのである。
まして、アメリカより工作や生産技術面で遅れたソ連である。
アメリカの爆撃機の脅威のもと、苦労するソ連戦闘機開発の苦労については章を改めて述べたい。
史実より不利なジェット戦闘機開発は大変です(>_<)




