モスクワ攻撃に関する航空支援
モスクワ攻略については、アメリカ軍は徹底的な航空支援を投入することを決意しました
モスクワまで300km、いよいよってとこまで来たところである。
偵察機の報告やらでモスクワの防備を確認してみると、膨大な数のトーチカなど、主要な接近路には配置され、地雷や対戦車壕などと相まって相変わらず、強力な縦深陣地が構成されているのが確認されている。
ところがまた1ヶ月〜2ヶ月後にはいつものロシアの厳冬期がやってくるのである。
以前にもモスクワ前面でこの期間を過ごしたドイツ軍の将官連中は「絶対やだ!」とばかりに、早期の突破を主張する。
イギリス軍はというと、モントゴメリー将軍のいつものやり方を勧めてくる。
アメリカ第3軍は徹底的に航空支援のもとに前進を決意した。新設されたアメリカ空軍に、ウラル方面に疎開中の戦車工場、主要鉄道駅、操車場、などの破壊を要請したのである。
こちらは航続距離の問題で、Bー36により行われ、戦場背後の支援設備などには、Bー29 がそれぞれ差し向けられることになったのである。
前線での近接航空支援には、アメリカ空軍、海軍や海兵隊所属機が新旧取り混ぜて動員されている。
異色の大型艦上戦闘機XF8Bも投入されている。
本機は、艦上戦闘機かつ艦上攻撃機というコンセプトから大型化した機体である。
速度、搭載力、などはよいがやはり機動性では従来の艦上戦闘機には劣るものになったことや、すぐにF9Fという傑作艦上戦闘機、はたまたADという傑作艦上攻撃機が出てきたことから、生産はF8Bー1のみ少数に終わってしまった。
しかし対ソ戦の時期には陸上基地から大きな搭載力、ソ連戦闘機を余裕で引き離す速度性能を生かして、大活躍することになったのである。
また一方でXA2Dスカイシャークも投入されテストされている。
これはADに大馬力のターボプロップエンジンを取り付けた代物であるが、初期のアメリカ製ターボプロップらしく信頼性の低いものであり、エンジントラブル多発して、こちらはいくらも経たずにキャンセルになってしまった。
また空軍機では、Bー26(ダグラスのAー26を改称したほう)の、機首の武装を強化したB型を投入してきた。
最大の75ミリ砲や37ミリ砲、キャリバー50を8丁など様々な装備をしていたが、一度の侵入で射撃可能な弾数、対戦車攻撃の時の破壊力など検討したら37ミリ機関砲が評価されたが、より威力があり海軍で多数の余剰が出たボフォース40ミリ機関砲 が選定されて実用化された。
これにより、ソ連軍の対空火器の多くをアウトレンジしながら、ISー3といった重戦車、ISUー122などの重対戦車自走砲などを撃破したため、「ダグラス製缶切り」と呼ばれるようになる。
興味深いのは、後に朝鮮半島で内戦が発生して米軍が介入したときで、この際には装甲車両が少ないためか、機首にキャリバー50を8丁装備し、主翼に6丁の計14丁装備した形態で使われたものである。
またモスクワ南方から迫るドイツ軍、や日本軍も独自に自国の試作機を投入してきたのであるが、これについては後々説明したい。
この時期はさまざまな機体を投入できて興味深いです。
終戦で使われなかった高性能な機体や、戦後の技術を活用した試作機など。面白いです。




