重戦車大隊訪問記
ウクライナ派遣隊の技術者たちは、ドイツ軍の重戦車大隊を訪問、その強さの秘密に迫りますが
ウクライナに遥々日本陸軍第4技術研究所からスタッフが送り込まれたのは、東部戦線の前線で開発中または実用化寸前の兵器の評価の他、開戦してから技術交流が難しくなったドイツ軍技術陣との「交流」による研修の側面もあった。
その中でも、特に今回の関心の対象は現地での車両整備にあった。
我が国より重く強力な戦闘車両を運用しているドイツにはどんなすごい技があるのか?
そのため、ドイツ南方軍集団に配属されている重戦車大隊を訪問することになったのである。
兵器局のスタッフの案内で前線からやや後方の拠点にある整備中隊の現場を訪ねた。
ティーゲル?を装備した大隊だが、回収に必要な車両が充実しているのが、印象的である。
特に新鋭戦車パンターの砲塔を外して回収用器材を搭載しているベルゲパンター、巨大な18トン(牽引力である!)ハーフトラック、各種クレーン車、などわが国では想像すらできないような重車両が充実している。
さらに部品、燃料、弾薬を運ぶためのトラックなどは大隊の分だけで100台を数えるのも印象的である!
つまり重戦車を運用するには、それなりの環境を整えないと「ただのお荷物」になりかねないのが、示されていたのである。
これを見た技術者たちは、これからの日本戦車をまず火力、機動力、防御力の順で開発することになっていく。
遭遇するであろう敵戦車を撃破できる火力、大概の不整地を克服できる機動力(単に路上で高速が出せるだけでなく、泥濘の中でも行動可能)
、そして最も優先順位の低い防御力は、反斜面陣地により車体を隠すなど地形を活用することで対抗するなど運用面で補う方策を考えたのである。
つまり戦力としてバランスの良い、中型戦車を目指すようになる。
この時の報告が、第二次大戦後、一時期導入された米軍車両や研究用に購入されたドイツ戦車や、捕獲したソ連戦車などの情報をベースに61式戦車が開発された際に大きな影響を与えることになるのであった。
やはり当時の貧乏な我が国には重戦車は高嶺の花でありました(>_<)




