トルコ共和国海軍重巡「エルトゥール」
今日はオスマントルコ海軍「エルトゥール」が紀伊半島で遭難、128年目の慰霊祭と、ニュースになってました
かって紀伊半島の串本沿岸でオスマントルコ海軍の軍艦「エルトゥール」が難破し、多数の死者が出て、生存者は当時の日本帝国海軍コルベット「金剛」「扶桑」により送られた。
エルトゥール遭難から、時代は下り、1946年、トルコのお膝元の黒海は激戦が展開されていた。
ソ連海軍対英米独及び日本海軍などを交えての戦いが展開されているが、中立を標榜するトルコとしては、時によれば「中立」維持が困難なケースも出てきた。
先の大戦からの古強者、ヤウズなどあるが、近代的な艦艇には大きな差があり、戦力の強化は急務であった。
しかし先の大戦でもイギリスに注文した艦が接収されエジンコートになったりしたのは願い下げであった。
ドイツも今回は余裕ないとの解答があった。
この時に、日本海軍には未完成の重巡洋艦が1隻あったのだ。
これは改鈴谷型巡洋艦、第300号艦で後に「伊吹」と命名される。
こいつは途中で空母への改造が、言われたに関わらず、巡洋艦としての建造が優先されたので巡洋艦として建造された。
このタイミングでトルコより導入の依頼が来たのは完成してからでは、「トルコ」の望む仕様をとおしにくいからと言われている。
トルコの要望は慎重に協議された。
まさに第2特務艦隊の派遣寸前だったからだ。
結局、ボスポラス海峡を自由に通行させて貰う代償として未成巡洋艦「伊吹」はトルコ引き渡しになった。
トルコ艦艇として変わった点は、なんと言っても、「雷装廃止」「対空火器増加」に尽きる。
トルコ空軍は大戦中、英独からスピットファイヤとフォッケウルフ戦闘機を供与されるような外交上手な国である。
「伊吹」も高角砲はドイツ製、火器管制装置はイギリス製とバランスを考慮されていた。
結局、「伊吹」は黒海最強の巡洋艦になり、英米独についてソ連に参戦したことで各国から支援を受けられたのである。
さらに後には、近接対空火器の増加に、アメリカ製のボフォース機関砲、エリコン機関砲を装備した。
英米独の装備満載した日本重巡洋艦「伊吹」は竣工、引き渡しの際に「エルトゥール」と名付けられた。
日本とトルコを結びつけた艦の名をつけたのである。
新たな「エルトゥール」は日本の第二特務艦隊なんかとも協力して、「黒海の女王」として終戦まで君臨したのである。
「伊吹」は何の役にもたちませんでしたので少し史実を曲げてます(^-^)




