レニングラード航空撃滅戦
レニングラードはソ連空軍に救援を要請していたらしいが
今回のレニングラード強襲上陸には、観測機と輸送機、上空直衛の戦闘機くらいしか姿を見せていない。
普通なら艦砲射撃と前後して行われているところである。
しかし今回は先にも述べたように港湾施設の奪取も重要なので、できるだけ無用な破壊を押さえたかったのである。
ただソ連空軍が全く出てこないし、また海軍航空隊も反撃がない。
それもレニングラードから何度も救援要請あったのにである。
後に、レニングラードで捕虜になった司令部の通信兵が、収容所で聞いた話では、「全くだせる機体がなかった」のであった。彼が「嘘つけ、単に自分たちが損害を受けたくなかったからだろ?」というと、当時、空軍基地周辺の防空陣地にいたという下士官は強く否定した。
「お前さんらには、想像できないような爆撃を真夜中に食らって、夜明けと共に復旧し反撃準備にかかった途端に、飛行場上空にまた空襲だ。
それも数派にわたりみっちりやられて見ろ。
滑走路は使用不可。格納庫は爆撃され鉄骨しか残らん。
対空砲は陣地ごと粉砕されてる。
3日してようやく飛行可能になったヤク戦闘機も翌日には焼かれた始末だぞ。」
その話では、レニングラードを支援できる距離にあった有力な基地は軒並みやられたとのことだ。
原因は、先のバグラチオン作戦の失敗で、防空能力の低い前線飛行場が、警戒能力不足から奇襲された経験から、後方の設備の充実した飛行場に部隊を集約して配置したが、それが見事に裏目に出たらしい。
ドイツとの丁々発止の電子戦をやり合い、鍛えられていたイギリス空軍のレーダー妨害、地対空通信の妨害などは、ソ連空軍の夜間防空能力を完全に凌駕したのであった。
そこに、東部戦線まで航続距離内に収めるまで前進してきたランカスター爆撃隊の絨毯爆撃、である。
翌朝払暁の飛行場襲撃は英米独の戦闘爆撃隊の射的大会となってしまったのは言うまでもない。
こうしてレニングラード上陸部隊は、全く敵機を見ない珍しい上陸作戦を経験したのである。
ほぼ完璧な航空撃滅戦はやはり手慣れた英米独の仕業であるとソ連空軍を震撼させたらしい。




