第80話 鎧が質に入る
エドワードの前に、財務官が書類を置いた。
財務官の名はリュカという。四十代の男性で、ずっと聖王国の財務省に勤めてきた。今日は午後の報告に来た。いつもは月一回の定例報告だ。しかし今日は定例ではない。緊急で来た。
「……殿下、今月の国庫状況をご報告します」
「言え」
「来月の騎士団第一・第二大隊の給料支払い後、国庫残高がほぼゼロになります」
エドワードが顔を上げた。
「ほぼゼロ、というのはどういうことだ」
「5万G以下になります。来月の城の維持費、警備の人件費、日常の運営費を合わせると、3週間持ちません」
「……3週間?」
「はい。そこから先は、収入が入らなければ支出が続きません」
エドワードが立ち上がった。
「なぜそんなことになった! 税の徴収はどうなっている!」
「税の徴収は先月から遅れています。民衆が金貨の価値が下がっているため、手放したくないという状況が続いています。また、徴税の担当者のうち三名が辞職しました」
「なぜ辞職を許可した!」
「……辞表は提出されましたが、止める権限が私にはありませんでした。現状の給与水準では、新しい担当者の確保が難しい状況です」
エドワードが言葉を詰まらせた。
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夕方、エドワードは一人で執務室にいた。
書類を見た。数字が並んでいる。今まで、こういう数字はマルバスが「問題ありません」と言い換えてくれていた。今日は誰も言い換えてくれない。マルバスは今、謹慎中だ。宮廷での立場が変わったために、自主的に謹慎している。
数字が、ある。
国庫5万G以下、3週間で底を突く。
エドワードはその数字の意味を考えた。考えれば考えるほど、選択肢が少なくなっていく感覚がある。
何かを売る必要がある。
財産を整理した。現金に近いもの——宝石、装飾品、家具。それから、不動産。城の一部を担保に入れれば、一定期間の資金が確保できる。
城を担保に、か。
エドワードが立ち上がり、窓の外を見た。王城の塔が夕日に照らされている。祖父の代から続く城だ。
「……なぜこうなった」
声に出した。答えは返ってこない。
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翌日、侍従が鎧磨きに来た。
「殿下の鎧ですが、前回の修繕から半年が経ちます。そろそろ点検に出す時期ですが」
「……後でいい」
「ただ、前回の修繕代のご精算がまだで、職人から確認が来ているのですが」
エドワードが顔を向けた。
「精算? いくらだ」
「……2万8千Gです。昨年秋の修繕分です」
エドワードが黙った。
2万8千G。国庫が底を突きそうな状況で、個人の装備の修繕代が未払いになっていた。
「……わかった。後で処理する」
しかし、処理する手段がない。
エドワードは執務室を出た。廊下を歩いた。誰かに話しかけようとしたが、近くにいる侍従が目を合わせない。
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三日後、エドワードは鎧を持って城下の質屋に行った。
一人で行った。護衛も連れなかった。護衛の費用を省くためだ。
質屋は城下の商業区にある。見た目は普通の店だ。扉に小さな看板がある。エドワードは初めて入った。
「……これを」
金の装飾が入った板金鎧を差し出した。
質屋の主人が見た。鎧を持ち上げ、裏側を確認した。装飾の部分を触った。
「……聖王国の紋章入りの鎧ですね」
「そうだ。質に入れたい」
「……いくらご入用ですか」
「3万G以上」
質屋の主人が少し間を置いた。
「この鎧、アルベリア金貨で3万Gは難しいです。今の相場だと、鑑定額が2万2千G程度になります。マナ貨でよければ、少し上乗せできますが」
エドワードが顔を上げた。
「……マナ貨で?」
「マナ貨は安定しているので、こちらでも扱っています。マナ貨換算で2万5千G相当になります」
エドワードが黙った。
マナ貨。魔王軍の通貨だ。司教が使ってはいけないと言っていた。しかし、今は2万8千G必要だ。
「……マナ貨で出してくれ」
そう言ってしまった。
主人が書類を出した。サインをした。鎧が主人の手に渡った。主人が奥へ消えた。しばらくして、マナ貨の袋を持って戻ってきた。
青みがかった硬貨が袋に入っている。
エドワードは受け取った。重い。
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その夜、エドワードは執務室で一人でいた。
マナ貨の袋が机の上にある。
何年も前に、カイトが追放された日のことを思い出した。「帳簿記録師ふぜいが」と言ったことを覚えている。「魔力もなく、剣も持たない男に何ができる」と思っていた。
今、自分の鎧は質屋にある。
マナ貨が手元にある。
「……なぜだ」
エドワードが言った。
「……なぜこうなった」
返事がなかった。
窓の外で、城下の灯りが見える。マナ貨を受け入れる商店が増えているという報告を聞いた。今夜も、あちこちの店でマナ貨が動いているのだろう。
カイトが作ったものが、自分の城下で動いている。
エドワードはしばらく動かなかった。
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翌日、フォースター侯爵が来た。
「殿下、少しよろしいでしょうか」
「……何だ」
「先週の貴族会議の件です。マルバス枢機卿への調査が始まった件ですが、聖王国として仲裁院への正式な対応が必要になります。担当者を決める必要があります」
「それはマルバスが……」
「マルバス枢機卿は、現在その立場にありません。代わりの担当者が必要です」
エドワードが言葉を詰まらせた。
「……では誰がやる」
「私が一時的に担当しましょうか。宮廷の財政担当も、今は空白になっています。この状況では、誰かが引き受ける必要があります」
エドワードが頷いた。
「頼む」
フォースター侯爵が退室した。
エドワードは一人になった。
フォースター侯爵は、以前は自分の支持者だった。今は「殿下、少しよろしいでしょうか」という態度で来る。以前は「お指図を」と来ていた。態度が変わった。
態度が変わるのは、力関係が変わったからだ。
エドワードは分かっていた。分かっていながら、どうすることもできなかった。
城の維持費の問題がある。軍給与の問題がある。仲裁院への対応がある。マルバスの件がある。マナ貨の問題がある。
問題が積み上がっている。一つずつ片付けようとすれば、先に別の問題が増える。
「……カイト」
エドワードが言った。声に出した。返事がくるわけがない。それでも言った。
「……お前は何をしている」
答えは返ってこない。当然だ。カイトは魔王領にいる。自分の城下から遠く離れた場所で、今も何かを考えているはずだ。
エドワードは机の上のマナ貨の袋を見た。
昨日もらったものだ。鎧と交換した金だ。自分で稼いだ金ではない。先祖から受け継いだ鎧を、今一番安定している通貨で売った金だ。
その通貨を作ったのが、カイトだ。
「……なぜ」
エドワードが言った。
「……なぜ、お前のものが、俺の手元にある」
答えは返ってこない。
夜が深くなった。城の廊下が静かになった。かつては侍従が複数いた廊下が、今は二人しかいない。人が減った。費用が払えないから減った。
エドワードは窓を閉めた。
明日、フォースター侯爵と城の維持費について話し合う必要がある。そこで、城の一部を担保に入れる話が出るだろう。出るしかない状況だ。
それが、今の現実だ。
エドワードは机に頰杖をついた。長い間、そのままでいた。
プライドが、ある。
しかしプライドより、空っぽになっていく財布の方が、今は大きい問題だ。プライドでは城の維持費が払えない。プライドでは軍の給料が出ない。
エドワードは初めて、それを本当に理解した。分かっていた、のではない。理解した、のだ。
どこかで、ずっと「なんとかなる」と思っていた。マルバスがいれば、誰かが助けてくれる、と思っていた。今はマルバスがいない。助けてくれる誰かも、今日は顔を見せなかった。
一人でいる、という感覚が、エドワードには初めてだった。
「なぜこうなった」と思う。思うが、答えが分からない。数字が分からない。財政が分からない。
カイトは、分かっていた。三年前から、全部分かっていた。
エドワードがマナ貨の袋を手に取った。青みがかった硬貨の感触がある。
「……俺は、間違えたのか」
声が出た。小さな声だった。誰も聞いていない部屋で、エドワードはしばらくの間、その問いに答えが出ないまま座っていた。




