第九十話「商人の悲願と、物流革命の完成」
バベル・ガーデン、総務室・特別大会議室。
この日、赤髪の商人リッカは、かつてないほど真剣な眼差しで、一枚の巨大な大陸地図を広げていた。
「…以前、私はここを『物流ハブ』にしようと提案しました」
リッカは、以前の提案時を懐かしむように、しかし力強く切り出した。
「おかげさまで、『麓市』は大盛況。物は集まり、金も回っています。…ですが、賢者様。これだけでは『革命』とは言えません」
対面に座る賢者メルキオラス、総務部長ルミナ、そしておやつを食べている大家・真音が顔を上げる。
「ほう。…続きを聞こうか」
「はい。現在の物流は、あくまで『点と点』の移動に過ぎません。私が提案するのは、大陸全土を網羅する『面』の支配…いえ、『規格の統一』です」
リッカは地図の上に、新たな書き込みを行った。
「通貨レートの統一、計量単位の標準化、そしてバベル・ガーデンが保証人となる『貨物保険制度』の導入。…これらを統括する国際機関、『バベル交易連盟』を設立したいのです」
ルミナが息を呑んだ。
それは単なる市場の拡大ではない。
この塔が、世界の経済ルールの「基準」になるという宣言だ。
「面白い!」
メルキオラスが膝を叩いた。
「物を運ぶだけじゃない。信用を運ぶシステムを作るわけだね。…君の野心には恐れ入るよ」
「商売人は、欲張りですから」
リッカは不敵に笑った。
◆◇◆◇◆
「では、承認しよう。…『バベル交易連盟』の設立を」
メルキオラスは立ち上がり、厳かに告げた。
「そして、その初代連盟長には…発案者であるリッカ、君を任命する」
「…えっ?」
リッカの動きが止まった。
予想外の展開に、商人の仮面が剥がれ落ちる。
「わ、私が…連盟長?バベル・ガーデンの代表として、各国の商工会と渡り合うトップに?」
「君以外に誰がいるんだい?この塔の経済をここまで育てたのは君だ」
「師匠!すごいっす!世界の商人の頂点じゃないですか!」
後ろに控えていた弟子、ルドが涙目で拍手をする。
リッカの手が震えた。
ただの行商人だった自分が。
荷車一つで世界を回っていた小娘が。
「…謹んで、お受けします」
彼女は深く頭を下げた。
その目には、少しの涙と、燃え上がるような闘志が宿っていた。
◆◇◆◇◆
数か月後。
バベル・ガーデン第一層に、張り出すように作られた大会議場。
そこには、聖王国、自由都市同盟、東方諸国など、大陸中から招かれた大商人やギルド長たちが集結していた。
「…バベル交易連盟だと?」
「我々を傘下に入れようというのか?新興勢力が生意気な」
会場には懐疑的な空気が漂っている。
彼らは海千山千の古狸たちだ。簡単に首を縦には振らない。
だが、壇上に立ったリッカは、怯むことなく言い放った。
「皆様。…今の商売に、満足していますか?」
彼女の鋭い声が、会場のざわめきを切り裂く。
「山賊に荷を奪われ、国ごとの関税に苦しみ、為替の変動に泣く。…そんな前時代的な商売は、今日で終わりにしませんか?」
リッカは背後のスクリーンに、魔王ガルシスの『蒸気機関車』と、アレクセイの『保存スライム技術』を映し出した。
「我々連盟に加盟すれば、バベル・ガーデンの『魔導輸送網』を利用できます。腐らない食料、盗賊を寄せ付けない装甲列車、そして…絶対的な安全」
ゴクリ、と誰かが唾を飲む音が響く。
「この塔の主は、世界最強です。連盟の荷を襲うということは、あの方を敵に回すということ。…これ以上の『保険』が、世界にありますか?」
圧倒的な説得力。
利益と安全。商人が最も欲しがる二つを、リッカは目の前にぶら下げたのだ。
「…条件は?」
「対等なパートナーシップです。共に富み、共に栄える。…新しい時代の商売を始めましょう」
リッカが手を差し伸べると、会場から割れんばかりの拍手が巻き起こった。
歴史が動いた瞬間だった。
◆◇◆◇◆
調印式の後、リッカはバルコニーで一人、夜風に当たっていた。
手のひらには、汗が滲んでいる。
「…ふぅ。寿命が縮んだわ」
「お疲れ様、連盟長さん」
頭上から声がした。
見上げると、手すりに腰掛けたエプロンドレスの少女――真音が、白い毛玉を抱いて座っていた。
「あ、大家様!聞いてらしたのですか?」
「ん。…かっこよかったわよ」
真音はモフモフの足をプニプニしながら、ニカっと笑った。
「難しいことは分かんないけど。…リッカが喋ってると、みんなワクワクした顔になっていってた」
「…そうですか」
「リッカって、すごいんだね。…ただの守銭奴じゃなかったんだ」
「一言多いですよ!」
リッカは苦笑したが、その胸は誇らしさで満たされていた。
最強の主に認められた。それだけで、どんな勲章よりも価値がある。
「ねえ、リッカ」
「はい」
「その連盟ってやつができたら…遠くの国のお菓子も、もっと早く届くの?」
真音の目が、期待でキラキラと輝く。
結局はそこか、とリッカは吹き出した。
「ええ、もちろん!南国のトロピカルフルーツも、北国の氷菓子も、朝採れでお届けしますよ!」
「やった!期待してる!」
真音は嬉しそうに熊耳を揺らし、部屋へと戻っていった。
その背中を見送り、リッカは夜空を見上げた。
星々を結ぶ線のように、今、世界中に新しい「道」が繋がろうとしている。
「…行きましょう、ルド。これからが本番よ」
「はいッ!師匠…いえ、連盟長!」
影から現れたルドが、頼もしい顔で頷く。
二人の商人は、バベル・ガーデンという巨大な船の舵を取り、大海原へと漕ぎ出した。
物流革命の完成。
それは、この塔が世界の中心になった日でもあった。
(第九十話 完)




