第八十六話「大家の誕生日と、感謝の宴」
数日前。バベル・ガーデン、総務室・秘密会議室。
照明を落とした薄暗い部屋で、賢者メルキオラスは、円卓を囲む幹部たちに重々しく告げた。
「…諸君。重大な事実に気がついた」
ゴクリ、と全員が唾を飲む。
聖王国の再侵攻か?
未知の魔物の襲来か?
緊張が走る中、メルキオラスはカレンダーを指差した。
「明後日。…真音ちゃんの誕生日だ」
ズコーッ!!
全員が椅子から転げ落ちた。
「な、なんだ、そんなことか…!心臓が止まるかと思ったわ!」
魔王ガルシスが床から這い上がりながら怒鳴る。
「『そんなこと』とは何だ、ガルシスくん。これは国家の一大事だよ」
メルキオラスは真顔で眼鏡を直す仕草をした。
「彼女は数千年の間、一人きりで世界樹を守ってきた。誕生日を祝われたことなんて、一度もないかもしれないんだぞ?」
その言葉に、場の空気が一変した。
総料理長ヴォルグが、ハッと顔を上げる。
「…祝われたことがない?あの方が?」
「ああ。ずっと孤独だったからね」
沈黙。
そして、次の瞬間。
「…許せん」
ヴォルグの目から炎が噴き出した。
「我が主が、生まれた日すら祝われずに過ごしてきたなど…料理人として、いや、臣下として断じて許せんッ!!」
「同感だ!」
ガルシスも拳を握りしめ、立ち上がった。
「我らがサウナの守護神に、最高の祝福を!…やるぞ!バベル・ガーデン総力を挙げた『生誕祭』を!」
「おーっ!!」
野太い歓声が上がり、最強のサプライズ計画が始動した。
◆◇◆◇◆
そして、当日。
最上層『樹洞の聖域』。
「…つまんない」
真音は、こたつの上でだらりと伸びていた。
頭の上の熊耳が、退屈そうにぺたりと寝ている。
「ねえ、モフモフ。…今日、みんな変じゃない?」
「ぴゅい?」
膝の上の白い毛玉が、不思議そうに首を傾げる。
朝から、様子がおかしいのだ。
いつもなら「朝食は何になさいますか!」と飛び込んでくるヴォルグが来ない。
メルキオラスも「ちょっと野暮用で」と姿を消した。
ルミナに至っては、廊下ですれ違った時に目を逸らして走り去った。
「…私、何かしたっけ?」
真音は記憶をたぐる。
昨日の夕食でニンジンを残したことか?
それとも、お風呂で泳いでガルシスに怒られた件か?
「…嫌われちゃったのかな」
ズン…と心が沈む。
孤独には慣れているはずだった。
でも、一度「賑やかな日常」を知ってしまった今、この静けさは心に刺さる。
「…ふん。いいわよ別に。一人で遊ぶもん」
真音は強がって唇を尖らせ、モフモフを抱きしめた。
窓の外、空が茜色に染まり始めていた。
コンコン。
控えめなノックの音が響いた。
「…誰?」
「お迎えにあがりました、大家様」
入ってきたのは、正装に身を包んだフィオーレだった。
「総務部長より緊急の要請です。…直ちに、第三居住区画広場へご同行願います」
「緊急?…また何か壊れたの?」
真音は不承不承、立ち上がった。
どうせまた、ボイラーが暴走したとか、スライムが脱走したとかだろう。
彼女はパーカーを羽織り、けだるげに部屋を出た。
◆◇◆◇◆
第三居住区画へ向かうエレベーターの中、真音は無言だった。
フィオーレも何も言わない。
チーン。
到着のベルが鳴り、扉が開く。
「…暗っ」
そこは、真っ暗闇だった。
広場には街灯の一つも点いておらず、静まり返っている。
「ちょっと、停電?ガルシスは何やってんのよ」
真音が文句を言いながら、一歩足を踏み出した、その時。
ヒュルルルルル…ドンッ!!
夜空に、巨大な花火が打ち上がった。
極彩色の光が、広場を昼間のように照らし出す。
「えっ!?」
真音が空を見上げた瞬間。
「「「お誕生日、おめでとうございますぅぅぅぅッ!!!!」」」
割れんばかりの大合唱が、世界を震わせた。
「へ…?」
真音は呆然と立ち尽くした。
明かりが灯る。
広場には、バベル・ガーデンの全住民――兵士、冒険者、商人、そして幹部たちが勢揃いしていた。
全員が笑顔で、手を振っている。
「こ、これ…なに?」
真音が震える声で尋ねる。
正面から、タキシード姿のメルキオラスが歩み寄ってきた。
「忘れていたのかい?今日は君が生まれた日だよ、真音ちゃん」
「あ…」
忘れていた。
数千年も生きていると、自分の誕生日などただの記号になってしまうから。
「さあ、宴の始まりだ!野郎ども、盛り上げろォッ!」
オズワルドが扇子を振りかざし、号令をかける。
ドンドコドンドコ!
魔族の楽団が陽気な音楽を奏で始める。
「見てください大家様!スライム・パレードです!」
アレクセイが指揮棒を振るうと、発光するスライムたちが隊列を組み、『お誕生日おめでとう!』の文字を描きながら行進してくる。
パチ子(雷スライム)がスパークして、花火のような演出を加える。
「料理も負けんぞ!これを見よ!」
ドォォォン!
ヴォルグがワゴンで運んできたのは、高さ三メートルはあろうかという巨大なバースデーケーキだ。
真音の好物であるイチゴをふんだんに使い、クリームで繊細な装飾が施されている。
「す、すごい…」
「まだだ!私の『魔導花火』を見逃すな!」
ガルシスがボイラー室から遠隔操作で次々と花火を打ち上げる。
夜空に、真音の似顔絵(熊耳つき)の花火が咲いた。
「ぶっ…!なにあの顔!変なの!」
真音は思わず吹き出した。
可笑しい。
みんな必死で、汗だくで、全力でバカ騒ぎをしている。
たった一人のために…。
「…なんで」
真音の視界が、滲んだ。
「なんで…みんな、こんなこと…」
「決まっています」
ルミナが近づき、優しく微笑んだ。
「貴女が、私たちの『家』の主だからです。…そして、大切な家族だからです」
「…ッ!」
真音は口元を押さえた。
我慢していた堤防が決壊する。
「う…うぅ…ッ!」
ポロポロと、大粒の涙がこぼれ落ちた。
悲しい涙じゃない。
胸がいっぱいで、温かくて、どうしようもない涙。
「み、みんな…バカぁ…!」
真音は泣きじゃくりながら叫んだ。
「驚かせないでよ…!寂しかったんだからぁ…!」
「おおよしよし!泣かないでください大家様!」
「メイクが崩れますよ!」
幹部たちが慌てて駆け寄る。
ヴォルグがハンカチを出し、アレクセイがもらい泣きし、ガルシスが「雨か?」と空を見上げる。
その温かい輪の中心で、真音は子供のように泣いた。
◆◇◆◇◆
ひとしきり泣いた後。
宴は最高潮に達していた。
「大家様!このケーキ入刀をお願いします!」
「えー、届かないよ」
「では、私が!」
ヴォルグが真音を抱き上げ、高い高いをする。
真音は恥ずかしがりながらも、巨大なナイフでケーキを切り分けた。
「ん!美味しい!」
「でしょう!愛の甘さです!」
会場のあちこちで、笑い声が弾ける。
元敵同士だった兵士たちも、肩を組み、酒を酌み交わしている。
リッカは出店で記念グッズを売りさばき(ちゃっかりしている)、フィオーレは酔っ払った冒険者を介抱している。
真音は、その光景を玉座(特設のふかふかソファ)から眺めていた。
膝の上にはモフモフ、足元にはラズリ。
隣にはメルキオラス。
「…ねえ、くまちゃん」
「ん?」
「私、今…すっごく幸せ」
真音はケーキのイチゴをかじり、ニカっと笑った。
その笑顔は、花火よりも眩しかった。
「生まれてきて、よかった」
数千年の時を経て、ようやく言えた言葉。
メルキオラスは、愛おしそうに真音の頭を撫でた。
「おめでとう、真音ちゃん。…君がここにいてくれて、本当によかった」
頭の上の熊耳が、嬉しそうに、そして誇らしげにピーンと立った。
「…ありがと。みんな」
真音は立ち上がり、広場に向かって大きく手を振った。
「来年も、再来年も!…また、お祝いしてよね!」
「「「イエッサーッ!!」」」
数千人の承認の声が、夜空に響き渡る。
バベル・ガーデンの一日は、いつまでも終わらない歓喜の歌と共に、更けていった。
それは、世界樹の歴史に刻まれる、最も騒がしく、最も愛に溢れた夜であった。
(第八十六話 完)




