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第六十九話「料理長の弟子と、味の継承」

 ジュワァァァァァッ!!


 バベル・ガーデン、食堂・厨房。


 そこは今日も、戦場と呼ぶにふさわしい熱気に包まれていた。


「A班、火力を強くすればいいと思ってはおらんだろうな!?想像しろ!頭を使え!」


「B班、盛り付けが雑だ!貴様らの指は棍棒か!」


 総料理長ヴォルグの怒号が飛ぶ。


 元魔王軍将軍の彼にとって、厨房は戦場であり、料理とは戦術である。


 だが、その鋭い眼光の裏で、彼はある焦りを抱いていた。


(…足りぬ。圧倒的に手が足りぬ)


 冒険者の増加、宿泊施設の開業、そして交易市での外販。


 需要は爆発的に増えているが、それを捌く「魂」を持った料理人が不足している。


 技術だけの者はいる。だが、大家・真音を満足させる「心」を理解する者がいない。


「…誰か、継ぐ者はいないか。私の、この味を」


 ヴォルグは、愛用の包丁を見つめ、独りごちた。



◆◇◆◇◆



 その日の午後。


 ヴォルグの前に、一人の若いオークが連れてこられた。


 名はグルグ。


 まだ牙も生え揃わぬ若造だが、その目は異様にギラついていた。


「お、俺っす!グルグっす!料理長に憧れて、厨房入りを志願したっす!」


 グルグは鼻息荒く敬礼した。


 だが、その腰にはエプロンではなく、使い古した剣帯が巻かれている。


「…貴様、包丁を握ったことは?」


「ないっす!でも、肉を食うのは誰にも負けないっす!」


「馬鹿者」


 ヴォルグは溜息をついた。


 紹介したのは、ボイラー室の魔王ガルシスだ。


 『威勢だけはいいのがいる』と言っていたが、これほどとは。


「いいか小僧。ここは戦場だ。中途半端な覚悟なら、今すぐ出て行け」


「やるっす!俺、ヴォルグさんの作った『激辛カレー』食って、感動したんす!あんな美味いもん作れるなら、死んでもいいって思ったっす!」


 グルグの言葉に、ヴォルグの眉がピクリと動いた。


 技術でも金でもない。


 「感動」を行動原理にしている。


「…いいだろう。見習いとして置いてやる。ただし」


 ヴォルグは、山積みのジャガイモを指差した。


「まずは皮むきだ。この山を今日中に終わらせろ。一つでも芽が残っていたら即クビだ」


「うおおおおッ!やるっすぅぅぅ!」


 グルグは雄叫びを上げ、ジャガイモの山に突撃した。



◆◇◆◇◆



 修行の日々は、惨憺たるものだった。


「違うッ!力が強すぎる!ジャガイモが握りつぶされているではないか!」


「す、すんませんっす!」


「塩と砂糖を間違えるな!味見をしろと言っただろうが!」


「あがっ!しょっぺぇっす!」


 グルグは不器用だった。


 オーク特有の怪力は繊細な作業に向かず、大雑把な性格は計量を拒絶する。


 皿を割り、鍋を焦がし、食材を無駄にする日々。


 一ヶ月後。


 深夜の厨房。


 全ての業務が終わり、静まり返った調理場で、グルグは一人、うずくまっていた。


「…俺、向いてないんすかね」


 手は傷だらけ。エプロンは汚れ放題。


 作ったオムレツは、黒焦げの炭塊になっている。


「ヴォルグさんみたいに…なれないっす」


 ポタリ、と涙が床に落ちた。


 その時。


「…誰が、最初から天才だと言った」


 背後から、重厚な声が響いた。


 グルグが振り返ると、腕を組んだヴォルグが立っていた。


「し、師匠…!すんません、また失敗して…」


「立つんだ、グルグ」


 ヴォルグは炭になったオムレツを手に取り、一口かじった。


 バリボリと音がする。


「…不味いな」


「うぅ…」


「だが、塩加減は悪くない」


 ヴォルグはグルグの目を見た。


「技術は、体で覚えるものだ。何千回、何万回と繰り返せば、嫌でも身につく。…だがな」


 彼は自分の胸を拳で叩いた。


「『食わせたい』という情熱だけは、教えられん。…お前には、それがある」


「え…?」


「お前は、このオムレツを誰に食わせたかった?」


「…夜食を待ってる、警備兵の仲間たちっす。腹減らして可哀想だったから…」


 ヴォルグはニヤリと笑った。


「合格だ。…味覚は磨ける。大事なのは、その『心』だ」


 ヴォルグは新しいフライパンを放り投げた。


「拾え。今日から特訓だ。私が貴様に、料理人の『魂』を叩き込んでやる」


「…ッ!はいっす!師匠ッ!」


 グルグは涙を拭い、フライパンを握りしめた。



◆◇◆◇◆



 それから数ヶ月。


 季節が巡り、バベル・ガーデンに冷たい風が吹く頃。


「…できました」


 厨房の試食台に、一皿の料理が置かれた。


 湯気を立てる、琥珀色のコンソメスープ。


 具材はシンプルに、玉ねぎとベーコンのみ。


 だが、その澄んだ輝きは、宝石のようだった。


「…審査をお願いするっす」


 グルグは直立不動で頭を下げた。


 その顔つきは、数ヶ月前の落ち着きのない若者とは別人のように引き締まっている。


 無数の傷と火傷の跡が、彼の努力を物語っていた。


 ヴォルグは無言でスプーンを手に取った。


 緊張が走る。


 厨房スタッフたちも、固唾を飲んで見守っている。


 スプーンがスープをすくい、口へと運ばれる。


 ――ズズッ。


 静寂。


 ヴォルグは目を閉じ、じっくりと味わう。


 そして、もう一口。


「…」


 カチャリ、とスプーンが置かれた。


「…玉ねぎの炒め時間が、あと三〇秒足りん」


 グルグの顔色が青ざめる。


「だが」


 ヴォルグは続けた。


「丁寧な仕事だ。灰汁あくが完璧に取り除かれ、素材の甘みが素直に出ている。…何より」


 ヴォルグは目を開け、グルグを真っ直ぐに見据えた。


「温かい。…飲んだ者の体を労る、優しさがある」


 それはかつて、ヴォルグ自身が魔王ガルシスに教えられ、そして大家・真音に認められた「料理の本質」だった。


「…合格だ」


「え…?」


「このスープなら、大家様に出しても恥ずかしくない。…よくやったな、グルグ」


 その言葉を聞いた瞬間。


 グルグの目から、大粒の涙が溢れ出した。


「し、師匠ォォォォォッ!!」


「うおっ!?抱きつくな!暑苦しい!」


 泣きじゃくりながら抱きついてくる巨体の弟子を、ヴォルグは受け止めた。


 その目にも、うっすらと光るものがあった。


「…まったく。手のかかる弟子だ」


 ヴォルグはグルグの背中をバンバンと叩いた。


 周囲のスタッフたちから、拍手が巻き起こる。



◆◇◆◇◆



 その夜。


 『樹洞の聖域』。


 こたつに入った真音の前に、グルグのスープが運ばれた。


「…新しい子が作ったの?」


 真音はスプーンでスープをすくい、口に運んだ。


「ん…」


 熊耳が、ピクリと動く。


「…普通」


「ぶっ!?」


 控えていたグルグが噴き出しそうになる。


 だが、真音は続けて言った。


「普通に、美味しい。…なんか、ホッとする味ね」


 彼女は器を持ち上げ、最後の一滴まで飲み干した。


「ごちそうさま。…ヴォルグ、いい弟子を持ったじゃない」


「はッ!…まだまだ未熟者ですが、心意気だけは一人前です」


 ヴォルグが誇らしげに答える。


 グルグは、真っ赤になって頭を下げ続けた。


「ありがどうございばずぅぅぅ!」(※号泣中)


 厨房に戻った二人は、並んで洗い物をしていた。


「師匠。…俺、もっと美味いもん作るっす」


「当たり前だ。私の背中はまだ遠いぞ」


「へへっ。いつか追い越してみせるっす!」


 カチャカチャと皿の触れ合う音が、心地よく響く。


 バベル・ガーデンの厨房に、確かな「味の継承」が刻まれた夜だった。

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