第六十七話「温泉部の新施設と、美容の発見」
バベル・ガーデン、水質管理センター。
配管が脈打ち、計器の針が忙しなく振れるこの場所で、魔王ガルシスはフラスコを透かし見て、低く唸っていた。
「…ククク。見つけたぞ」
その口元が、三日月形に歪む。
かつて世界を恐怖に陥れた、邪悪な笑み。
手にしたフラスコの中で、ピンク色に発光する液体が揺らめいている。
「世界樹の導管から滲み出る、微量な魔力素粒子…。こいつが水分子と結合した時、驚くべき化学反応が起きる」
ガルシスは、自身の左手をビーカーの液体に浸した。
数秒後、引き上げる。
タオルで拭き取ると、そこには驚愕の結果が現れていた。
「見よ!この…弾力を!」
ムニッ。
彼が指で自身の甲を押すと、赤子の頬のような瑞々しさで押し返してきた。
長年の戦闘と、最近のバルブ回しで荒れ果てていた魔王の皮膚が、陶磁器のように滑らかになっている。
「恐ろしい…!これは、ある意味で『若返りの秘薬』にも匹敵する効果!世界樹の生命力が、細胞の活性化を強制的に促進させているのだ!」
ガルシスは震えた。
これを兵器転用すれば、魔族の皮膚を強化し、鋼鉄の防御力を得ることすら可能かもしれない。
だが、今の彼の脳裏に浮かんだのは、軍事利用ではなかった。
「…金になる」
魔王の瞳が、商人の色(ルミナ色)に染まった。
「女だ。世の女性たちは、美のためならば悪魔に魂をも売るという。…ならば、この『魔王の美肌湯』を提供すれば、世界中の富を搾取できるのではないか?」
天才的発想。
ガルシスはマント(耐熱タオル)を翻し、総務室へと走った。
◆◇◆◇◆
バンッ!!
総務室のドアが蹴破られた。
「ルミナよ!私の肌を見ろ!」
執務中のルミナが、ビクッとして書類を取り落とした。
入り口には、腕まくりをして二の腕を見せつける魔王の姿。
「…セクハラで訴えますよ、魔王様」
「馬鹿者!そんな貧相な発想をするな!ここだ、この艶を見るのだ!」
ガルシスは強引にルミナのデスクに腕を突き出した。
ルミナは眉をひそめつつ、しぶしぶその腕を見る。
そして、目を見開いた。
「…え?」
思わず指で触れる。
スルスルと指が滑る。
毛穴が見当たらない。
日々の激務でカサつきがちな自分の肌とは比較にならない、圧倒的な潤い。
「な、なんですかこれ!?何か塗ったのですか!?」
「否!これぞ世界樹の源泉に含まれる『美容成分』の力だ!ただ浸かっただけで、この効果だぞ!」
「ただ浸かっただけで…!?」
ルミナが勢いよく立ち上がった。
眼鏡の奥の瞳が、かつてないほど真剣に輝いている。
「魔王様。…その技術、即座に実用化してください」
「ほう、乗るか」
「乗りますとも!女性冒険者の集客率は、男性に比べてまだ低いのが現状です。その層を取り込めれば、売上は倍増…いえ、関連商品の物販も含めれば五倍は見込めます!」
二人の利害が一致した。
ここに、『バベル・ビューティー・プロジェクト』が発足したのである。
◆◇◆◇◆
数十日後。
『ホテル・バベル』に、新たなエリアがオープンした。
その名も、『天空のスパ・リゾート』。
入り口には清潔感のある白大理石が使われ、ほのかにアロマの香りが漂っている。
「きゃー!すごい!」
「見て見て!お湯がトロトロしてる!」
オープン初日から、女性冒険者たちで芋洗い状態だった。
彼女たちは戦いで傷ついた肌を湯に浸し、その即効性に驚愕の声を上げている。
「嘘…!剣ダコが消えたわ!」
「日焼けのシミが薄くなってる!魔法みたい!」
「泥パックもあるわよ!これ、最高!」
女湯の喧騒。
それを、ボイラー室のモニター(計器の数値)で確認しながら、ガルシスはほくそ笑んでいた。
「フハハハ!浸かれ、もっと浸かれ!そしてその肌をツルツルにして、リピーターとなるがいい!」
ある意味、世界征服よりもタチの悪い支配計画が進行していた。
その時。
VIP専用エレベーター(前回開発した蒸気リフトの改良版)が到着する音がした。
ちなみに、現在、蒸気リフトのエレベーターは全部で九基稼働している。
バベル・ガーデンにとって、エレベーターは、すでになくてはならない設備になっていた。
「――ねえ」
ガルシスが振り返ると、バスタオルを抱えた大家・真音が立っていた。
頭の上の熊耳が、期待に震えてピコピコ動いている。
「お、大家様!?」
「ルミナの肌が、なんかムカつくくらい綺麗になってたの。…アンタの仕業でしょ?」
「は、はい!新開発の『美肌の湯』でございます!」
「私も入る」
真音は宣言し、ガルシスを押しのけて専用の個室風呂へと向かった。
「あ、お待ちください!温度調整を『お子様設定』に…!」
「うるさい!42度よ!」
バタン!と扉が閉まる。
ガルシスは慌ててバルブを操作し、VIPルームへの供給湯量を微調整した。
◆◇◆◇◆
湯気けむる個室風呂。
世界樹の幹をくり抜いて作られた浴槽に、乳白色の湯が満たされている。
「…ちゃぷん」
真音は慎重に足を入れた。
お湯の感触が、いつもと違う。
まるで美容液の中に浸かっているような、濃厚なとろみ。
「…んぅ〜ッ」
肩まで浸かると、思わず声が漏れた。
お湯が肌に吸い付いてくる。
毛穴の一つ一つから、世界樹の生命力が染み込んでくる感覚。
パシャ、パシャ。
真音は自分の腕を撫でた。
キュッ、と音がしそうなほど滑らかだ。
「…すごい。ガルシス、いい仕事するじゃない」
彼女はうっとりと目を閉じ、浴槽の縁に頭を預けた。
蒸気で湿った熊耳が、ぺたりと倒れる。
「失礼します、大家様」
控えめな声と共に、ルミナが入ってきた。
彼女もまた、バスタオルを巻いた姿だ。髪をアップにし、うなじを見せている。
「ルミナ。…アンタ、最近働きすぎで肌ガサガサだったのに、復活したわね」
「一言多いですよ。…でも、否定はしません」
ルミナは苦笑しながら、真音の隣に身を沈めた。
「はぁ…。生き返ります」
「ね。…これ、毎日入りたい」
「はい。大家様専用のパイプラインを確保しておきます」
二人の女性(一人は実年齢不詳だが)は、湯の中で並んで足を伸ばした。
普段は主従関係にある二人だが、裸の付き合いの中では、姉妹のような空気が流れる。
「…ねえルミナ」
「はい」
「私、最近思うんだけど」
真音は、お湯に浮かべた手を見つめた。
「『綺麗になる』って、なんか…強くなるより、気分がいいかも」
「…ええ。分かります」
ルミナは優しく微笑んだ。
最強の力を持つ少女が、普通の女の子のような感想を漏らす。
それが、なんだか嬉しかった。
「あ、そうだ。フィオーレも呼んであげたら?あの子、一日中立ち仕事で足パンパンでしょ」
「そうですね。後で交代で入らせましょう」
女子会トークに花が咲く。
外の世界では「魔窟」と恐れられたり、「廃墟」と侮られたりしているこの塔の最奥で、世界一平和な時間が流れていた。
◆◇◆◇◆
一時間後。
風呂上がりの真音は、ラウンジのソファで『フルーツ牛乳』を一気飲みしていた。
「ぷはぁっ!」
白い髭をつけた真音の肌は、湯上がり卵のようにツヤツヤと輝いていた。
頭の上の熊耳も、ドライヤーで乾かされてフワフワに戻っている。
「…ガルシス」
「はッ!」
控えていた魔王が膝をつく。
「合格よ。…これ、もっと広めなさい」
「ありがたき幸せ!すでに第二弾として『炭酸泉』と『電気風呂(雷スライム協力)』の計画も進行中であります!」
「電気は痛そうだからパス」
真音は即答し、自分のモチモチになったほっぺたを指でつついた。
「でも…このお湯は、世界中の女の子を幸せにするかもね」
その言葉に、ガルシスは雷に打たれたような顔をした。
幸せにする。
魔王として君臨していた頃には、決して抱くことのなかった概念。
「…そう、かもしれませんな」
ガルシスは立ち上がり、ボイラー室の方角を見た。
そこには、無限の可能性が詰まっている。
熱と、水と、そして人の心を癒やす力。
「極めるぞ。…この『温泉道』を!」
魔王の新たな野望が、湯気と共に立ち上った。
なお、その後「美肌の湯」の噂を聞きつけた男性冒険者たちから「男湯にも導入してくれ!」という要望が殺到し、ガルシスが「男は黙って高温サウナだ!」と却下して暴動寸前になるのは、また別の話である。




