第三話「賢者のリノベーションと、絶望の空箱」
バベル・ガーデンにおける朝は、轟音と共に始まる。
ズガガガガガガッ!!
キュイイイイインッ!!
第七五六層。
先日、勇者と魔王の戦いによって半壊した展望台エリアでは、信じられない光景が繰り広げられていた。
「はい、そこの鉄骨、あと三ミリ右!空間固定魔法、展開!」
現場監督として指示を飛ばしているのは、黒いくまのぬいぐるみ、メルキオラス。
そして、その指示に従って巨大な石材や鉄骨を運んでいるのは、先日「契約」したばかりの元・聖騎士団員たちと元・魔王軍兵士たちだった。
「ぐぬぬ…重い…!なんだこの石材、城壁用の十倍はあるぞ!?」
「魔法で重量軽減しても腰が砕けそうだ!おい人間、そっち持て!足手まといになるな!」
「うるさい魔族!お前こそ尻尾が邪魔だ!こっちは高所作業なんだぞ!」
彼らは互いに罵り合いながらも、驚異的な速度で修復作業を進めていた。
いや、進めざるを得なかった。
なぜなら、彼らの背後では、巨大な蒼天竜――ラズリが、監視の目を光らせているからだ。
「手が止まっているぞ、下等生物ども。我がブレスで焼却されたくなければ、手を動かせ」
ラズリが鼻を鳴らすだけで、戦慄の炎気が漂う。
サボろうとした瞬間に「ゴミ」として処理される恐怖。
それが、長年敵対していた人間と魔族を、奇妙な連帯感で結びつけていた。
「くそっ、なんで勇者軍の俺たちが、魔王軍と一緒にセメント混ぜなきゃいけないんだ…」
「文句を言うな!ラズリ様がこっちを見てるぞ!死にたくなかったら混ぜろ!」
恐怖による絶対的な統率。
さらに恐ろしいのは、メルキオラスの技術力だ。彼が壊れた壁に「復元」のルーン文字を刻むと、瓦礫が瞬時に集まり、元通り――いや、元よりも遥かに頑丈な構造体へと再構築されていく。
「古代エルフ様式の耐震構造に、ドワーフ式強化術式をミックスしてみたよ。これで次は、禁呪級の魔法が直撃しても傷一つつかないはずさ」
メルキオラスは満足げに頷く。
現代の建築家が見れば卒倒するようなオーパーツ建築が、わずか数時間で完成しつつあった。
◆◇◆◇◆
一方その頃。
真音のプライベート空間である「樹洞の聖域」では、別の意味で世界を揺るがす大事件が起きていた。
カラン…。
乾いた音が響いた。
真音は、呆然と立ち尽くしていた。
彼女の手には、空っぽになった細長い箱が握られている。
「…ない」
真音は箱を逆さにし、何度も振った。
だが、出てくるのは虚しい空気だけ。
彼女の目の前には、巨大な「食料保存庫」の扉が開け放たれている。
中は亜空間によって拡張されており、数年分の食料が備蓄されている――はずだった。
お酒の棚は充実している。
熟成肉のストックも完璧だ。
しかし。
「ない…ない…!」
真音の手が震え、箱が床に転がり落ちた。
彼女が最も愛する至高のおやつ、『スライム・ドロップ』のストックが、一つ残らず消滅していたのだ。
「嘘よ…。先週、メルキオラスに発注して、中層の養殖場から補充してもらったはずじゃ…」
真音の顔から血の気が引いていく。
スライム・ドロップがない。
あの「プチンッ」と弾ける皮も、「ねっとり」とした果肉感も、今日の午後には味わえないということだ。
それは彼女にとって、太陽が昇らないことと同義の絶望だった。
「くまちゃん!くまちゃーんッ!!」
真音はエプロンドレスの裾を翻し、工事現場へと転移魔法で飛び込んだ。
◆◇◆◇◆
「うわっ!?びっくりしたあ。どうしたの真音ちゃん、血相変えて」
現場で指示を出していたメルキオラスが、驚いて振り返る。
真音は、ぬいぐるみの両肩(?)を掴み、ガクガクと揺さぶった。
「グミが!私のスライム・ドロップがないの!在庫管理はどうなってるの!?」
「ええ?おかしいなあ。確か、中層の『水晶スライムの泉』から定期的に収穫してるはずだけど…」
メルキオラスが首を傾げたその時、近くでセメントを運んでいた勇者アレクセイ(トイレ掃除から昇格)が、ビクリと肩を震わせた。
「あ、あの…」
アレクセイが恐る恐る手を挙げる。
「水晶スライム…とは、あの体が半透明で、倒すと経験値がたくさん貰える魔物のことでしょうか?」
真音とメルキオラスの視線が、同時にアレクセイに突き刺さる。
現場の空気が凍りついた。
「…ええ。そうよ。希少種だから、私が保護して養殖させてたんだけど」
真音の声は静かだった。嵐の前の静けさのように。
「そ、その…」
アレクセイの視線が泳ぐ。
彼はまだ、事の重大さに気づいていなかった。
「我々がここへ攻め込む前の…レベル上げの過程で…その、群生地を見つけまして…」
嫌な予感が、真音の脳裏をよぎる。
「『はぐれ』的なボーナスモンスターだと思って…勇者軍総出で、狩り尽くしてしまいました…」
ピキリ。
真音の周囲の空間に、亀裂が入る音がした。
「…狩り尽くした…?」
「は、はい。おかげで全員レベルが五つほど上がりまして…」
アレクセイは少し誇らしげに言った。
魔物を倒して強くなる。
それは勇者として正しい行いのはずだ。
だが、次の瞬間。
ドォォォォォォンッ!!
真音の背後から噴出した蒼き鬼火が、修復したばかりの展望台の天井を吹き飛ばした。
作業員たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
ラズリですら「おぉ、怖…」と距離を取るほどの激昂。
「あんたたち…私の家を壊すだけじゃ飽き足らず、私の『家族』まで絶滅させたっていうの!?」
「ひ、ヒイィィッ!か、家族!?ただの魔物じゃないですか!?」
アレクセイが腰を抜かす。
その時、瓦礫の中からメルキオラスがひょっこりと顔を出した。
「やれやれ。また修復した天井が壊れちゃったよ」
メルキオラスが溜息をつく。
「真音ちゃん、怒るのはいいけど、修理費は勇者くんたちの借金に上乗せだからね」
「当然でしょ」
真音は振り返り、メルキオラスに向かって親指を立てた。
ビシッと。
その表情は、まるで「さすがくまちゃん、話が分かる」と言わんばかりだ。
メルキオラスも短い手で親指を立て返した。
真音はアレクセイに歩み寄り、胸ぐらを掴み上げる。
「ただの魔物だ!?いい?アンタたちのレベル上げなんて、私の『おやつの時間』に比べれば、道端の石ころ以下の価値しかないのよ」
「そ、そんな…!我々は人類のために…!」
「黙りなさい!」
真音は冷酷に告げた。
「償ってもらうわ。今すぐ『未開の地下渓谷』へ行って、原種の『クイーン・クリスタル・スライム』を捕獲してくるのよ!」
「ち、地下渓谷!?あそこはレベル90以上の魔物がひしめく死地だと聞いていますが!?」
「知ったことじゃないわ!私のグミが復活するまで、地上に戻れると思わないことね!」
真音はそのまま、勇者をダンジョンの穴へと引きずっていく。
「あ、そうだ。忘れてた」
穴の淵で、真音は立ち止まった。
「その鎧と剣、重そうで邪魔ね」
「え?」
真音が指を鳴らす。
パシュンッ。
アレクセイが装備していたミスリルの鎧、そして腰の聖剣が、強制的に弾き飛ばされた。
残されたのは、薄汚い作業着一枚。
「なっ、装備解除!?これでは戦えません!」
「甘えるな。私のスライムたちは、丸腰でアンタたちに狩られたのよ?同じ条件で生き残って見せなさい」
「そ、そんな殺生なあああああッ!!」
真音は無慈悲に勇者を突き飛ばした。
アレクセイの絶叫が、奈落の底へと吸い込まれていく。
「勇者様ァァァ!」
聖騎士の一人が叫ぶ。
だが、誰も動けない。動けば、自分も同じ目に遭うと本能が告げている。
真音は荒い息を吐きながら、残りの作業員たちを睨みつけた。
「あんたたちもよ!グミの生産ラインが復旧するまで、給料(賄い飯)は抜きだからね!」
「「「そ、そんなァァァァッ!!」」」
絶望の叫びがバベル・ガーデンに木霊する。
こうして、世界最強の大家さんによる、恐怖の「グミ復興事業」が幕を開けたのだった。




