行動・第2段階2
ドアを開け入ってきた女性は50代半ば、シンプルなグレーのワンピースにきちんと切り揃えられた髪、そのスッと伸びた背中からがその人柄が感じられる。
「中田君、緊急って一体どういうことなの」
「それは彼女の方から説明を…」
中田部長はそう言って、渡辺常務を部屋の奥に誘導すると、後ろに回り込んでドアのロックを掛けた。
渡辺常務の目が見開かれる。
目の前で小麦色に輝く髪をなびかせた真っ赤に燃える目のミチルが、その赤い目で見つめているのだ。
ミチルがフェロモンを常務に向けると頬に赤みが刺し、戸惑いの様子が見られ、身体が頼りなげに揺れた。しかしおかしい、ミチルに常務を捉えた感覚が伝わってこないのだ。
「アナごめん。中田さんに常務を押さえつけるように指示して」
慌ててアナが中田部長に渡辺常務を押さるように指示をすると、中田部長は渡辺常務を羽交い絞めにして動けなくした。
「中田君なにをする…」
渡辺常務は体に力が入らない様子だが、まだ抵抗を続けている。
ミチルは渡辺常務に素早く近づくと襟元を緩め、首筋を確認した。明らかに精魂の流れが少ない。唇もピンクではなく暗い紫色、まるでチアノーゼを起こしているかのようで全く美味しそうには見えない。
明らかにおかしいが、躊躇している余裕は無い。ミチルはいつも通りに首筋に唇を当て精魂を吸った。
「マズッ!」
実際の精魂に味など無い。吸うという表現をしているが、吸い出して飲み込むわけでは無い。エネルギーを吸い出して取り込むという行為なのだが、なぜか『不味い』という言葉が頭に浮かんだ。流れ込むというよりは、ベットリと湿った粉を口に詰め込まれているかのような感触だった。我慢が出来ずに唇を放し、常務の様子を確認すると、それでも精魂を吸われた状態にはなっていた。
ミチルは手を口に当て、吐き気をこらえた。やることは済ませなければならない。
ワンピースを捲って左手を腹部に当て、小さく伸ばした槍を差し込む。その瞬間ブツリという音と共に軽い振動をその手に感じた。
何だろう、この徒労感は…。ミチルはその手から常務にエネルギーを流し込むのだが、乾いたスポンジに水をこぼした時のような手ごたえの無さを感じる。
それでもミチルが一通りの作業を完了すると、渡辺常務は落ち着きを取り戻しているように見えた。大丈夫だ、常務がコントロール下にあることは感覚的に解かる。
「中田部長、もう常務を放してあげて。…常務も大丈夫ですね」
ミチルが声を掛けると、常務は乱れた服を整えて腰を下ろした。
「これは一体どういうことなのかしら」
「アナ、ありがとう。中田部長も座ってください」
ミチルもサキュバス化を解くと、口元を押さえたまま常務の正面に座りなおした。
「ミチル、大丈夫なの? 顔が真っ青よ」
「…、駄目かも……。ちょっと待ってて…」
もう限界だ、耐えられなかった。胃袋から何かが逆流しそうになってくる。
ミチルは会議室から飛び出すとトイレに向かって駆けだした。アナは中田部長と常務にそのまま待っているように指示して、ミチルを追った。
しばらくして、アナに抱きかかえられるように戻ってきたミチルの顔はに血色は無く、唇の色も薄かった。
しかし、常務への確認を済まさなければ、ここまで来た意味が無くなってしまう。
「あなた、そんな様子で大丈夫なの、医務室に連絡しましょうか?」
渡辺常務は本気で心配をしてくれているようで、少し腰を上げてミチルを顔を覗き込んだ。
みちるは大丈夫だという合図に、片手を上げ、常務の向かいの席に腰を下ろした。
「すみません…大丈夫なので。質問を進めさせてください」
常務はきちんと座りなおすと、ミチルに向き直った。いつでもどうぞという構えだ。
「…まずは、エネルギー省がFLFプロジェクトを持ってきた経緯を教えてください」
「そうね、初めはうちが山代工業大学と共同研究していたネットワーク機器の情報を嗅ぎつけたらしいわ。それが空間エネルギー、今でいうFLFプロジェクトに使えるか確認したいという話だったわ。うちの方でも将来性を検討して正式に協力するようになった感じかしらね」
「エネルギー省の担当者名を教えてもらっていいですか?」
「第4開発室の山来室長ね。彼から直接連絡が来て私が担当したのよ。でもうちのインターフェースにどうして目を付けたのかまでは聞いていないわ」
「企画書を見ると100万kWhっていう数字が掛かれていますけど、根拠はあるんですか?」
「あくまでエネルギー省が出してきた数字を乗せているだけよ。実際には半分も行かないと思っているわ。何もない空間からそんな膨大なエネルギーを回収できるなんて夢みたいな話、私は信じてはいないわ」
「それじゃあ、インターフェースはそのエネルギー省の第4開発室に預けてあるんですね」
「ええ、私が納入の指示をしたから間違いはないわ。今もそこにあるかは保証できないけど…」
ミチルはアナに目配せをした。
「アナが気になる点はある?」
アナは黙って首を振った。
「それじゃ、渡辺常務に対しての質問は以上になります。急に呼び立てしてお時間を割いていただきありがとうございました。今ここで私と話した内容はすべて忘れてください。今は中田部長が勘違いして呼び出してしまっただけです。わたしとは一言も話をしていませんから」
それを聞いた渡辺常務はゆっくりと立ちあがると、中田部長に向き直った。
「中田君、今後はこんなつまらないことに時間を取らせないでくださいよ」
「お手数おかけして申し訳ありませんでした」
中田部長が深々と頭を下げ、機嫌が悪そうな渡辺常務が部屋を出て行った。
「ミチル、大丈夫なの?」
「うん、少し落ち着いてきたから…」
「何かお茶か何か飲んだ方が良くない?」
「そうね、暖かいお茶なら飲めるかも…」
「中田さん、聞いてたわよね。暖かいの頼むわ」
「それならすぐに持ってこさせましょう」
中田部長は机の電話の受話器を取ると、どこかに連絡を入れた。
お茶を飲み、お腹が温まってくると少し気分が良くなってきた。湯呑を包んだ掌が暖かい。
アナから見ても、ミチルの顔に赤みが戻ってきているように見えた。
「中田部長、社内にあるインターフェースを2つともここに持ってきてもらうように指示することは出来ますか」
「聞いてみよう」
中田部長が担当部署に電話を入れ、インターフェースを会議室に持って来るように指示すると、間もなく若い社員が2台のインターフェースを小脇に抱えて入ってきた。
「ああ、そこのテーブルの上においてくれ」
その若い社員は怪訝そうな顔のままインターフェースをテーブルに置き、何か言いたそうにしていたがそのまま部屋を出て行った。
「それじゃさっさと取り付けて帰ることにしましょう」
アナが気を取り直すように声を掛け、ドライバーを手にした。
「ミチルはそのままでいいから、中田さんも手伝ってちょうだい」
「私は機械いじりは苦手なんだがな…」
中田部長はしぶしぶという感じで腰を上げ、インターフェースの筐体を開けるところから手伝わされることになった。
インターフェースの取り付けは、内部の基盤にあるコネクターに部品差し込むだけなので難しいわけではない。2台分の処理でも10分程度で完了した。
その後、中田部長の記憶を確認し、ミチルとアナは駐車場に戻り、アナの運転でハナハナまで無事戻ることができた。
とても疲れた。




