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サキュバスは狼男の夢を見ない  作者: 無沙


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ミチルの初仕事

 今回の仕事は、サキュバスの仕事としては比較的単純なものだった。

 とある企業が、ある国の外交上の機密文書を密かに持ち出したという物らしい。そして依頼は、その文書を取り返して欲しいというものだった。

 それを受けたのが衣吹いぶきと言う名のサキュバスだったのだが、どういうわけか昨日の満月の夜に仕事をしようとしたらしい。結果はフェロモンに引き寄せられた狼男に襲われて怪我を負い、任務半ばで逃げ出してきたという事だった。


 サキュバスの行動が、実際に制限されるのは新月の夜だけだ。新月の夜にはサキュバスの力は一切使えない。

 逆に満月の夜には、能力制限が無いので動くことはできる。但し狼男が狂暴化しているので気を付ける必要があるというわけだ。通常、狼男にサキュバスのフェロモンは効果が無いのだが、満月の夜に限っては。サキュバスのフェロモンが狼男に強力な催陰剤としての効果をもたらすらしい。そのため『満月の夜に外に出るな』が鉄則なのだ。サキュバスにとっては狼男に襲われる、イコール、妊娠になるのだから。

 そういった事情があるので、普通のサキュバスはわざわざ満月に動くようなことはしない。

 内緒だよと言って、紅音あかねから聞いた話では、昔のアナはわざわざ満月の夜に狼男をからかいに出て遊んでいたらしい。若気の至りというやつだ。しかしそれでヘマをして優雨丞ゆうすけが生まれたのだそうだ。真偽のほどをアナに確認するようなことはしていないが…。


 今回衣吹が動いたことにも、何か事情が合ったのかもしれないが、無謀と言われても仕方がない行為だ。

 その衣吹が、文書の保管場所を聞き出すところまでは済ましていたので、ミチルの仕事としては、その場所から書類を取ってくればいいだけになっていた。


 ミチルは女性社員をコントロールして侵入することも考えたが、その女性社員に目的の部屋に入る権限が無ければ、そこで積んでしまう。

 そんなわけで、ミチルはフェロちゃんにセキュリティーを解除してもらって、密かに侵入することにした。しかし問題はフェロちゃんインターフェースに携帯性が無いという点だ。現場で直接フェロちゃんとやり取りをすることができなければ、今一つ現実性に欠ける。

 そこでミチルはハナハナに置いてあるパソコンに、スマホからリモートで繋ぐことにした。それならばリアルタイムで確認ができる筈だ。



 ミチルが妖子ようこさんから話を聞いた次の夜も、まだ満月に近いので基本的にサキュバスは動かない。しかしミチルならば昼間に動く事が出来るので、狼男の行動に気を使う必要はない。

 そこでミチルは妖子さんと、侵入経路や書類の置き場所を確認。取り返す書類の概要を確認し、次の日の早朝に行動を起こす計画を立てた。

 スマホからハナハナに置いたフェロちゃんインターフェースへのアクセスも確認。基本的な準備は完了しておいた。


「今回の話は、サキュバスの仕事としては難しい方ではないんですよね」

「そうだね。なんだかんだ言っても、この国は男性社会だからね。どこも男が多いから、ちょっと偉そうな奴を捕まえて会話でもしながら何食わぬ顔で歩いていれば、まず疑われることは無いんだよ。万が一疑われたところで、そいつに噛みついて対応できるからね」

「そうなんですね。女性だとなかなかそう旨くはいかなそうですね」

「かなり難しいだろうね」

 妖子さんはビルの見取り図を確認しながら肩をすくめた。



 次の日、ミチルは日の出前には目的の会社の近くの公園に待機していた。そして日の出と共に空中に飛び上がる。街中の監視カメラは確認済みなので、どこのカメラにも映らないルートを確保してある。それでも明るい日の光の中をサキュバスの格好で飛び回るのは、さすがに緊張する。


 ミチルは目的のビルの屋上に降り立つと、スマホの画面からフェロちゃんに到着した旨を入力する。


 >今屋上に付いたから、ドアのロック外して。

 >>外したよ。


 ほぼ瞬間でフェロちゃんから回答が返ってくる。特にタイムラグも発生していないようだ。


 ミチルは屋上の入り口のドアの電子ロックがカチリと音を立て、解除されたことを確認する。素早くドアを開け、ビルの中に身体を滑り込ませる。踊り場で翼を収めてから、持参していた白い腐食布のツナギを着て、ニトリルゴムの手袋を着用する。ツナギも手袋も使い捨ての大量生産品なので、脱ぎ捨てたとしても足は付きにくい物になっている。


 翼は収めても、サキュバス化はそのまま維持。

 翼から出るエネルギーを用いた認識阻害は、一度でも相手から視認されてしまえば意味が無いらしい。あくまで、飛行中や遠方に居る相手から見付かりにくい程度のものだ。今回のように直接人と対峙する可能性がある場合には意味が無い。それどころか逆に目立ってしまう。

 しかしサキュバス化だけであれば、体力も素早さも通常の男性より遥かに高くなる。作戦行動中はサキュバス化のまま行動が基本になるのだ。しかも今日のような寒さの中、サキュバス衣装のような薄着でも耐えられるという点も重要だ。

 とは言ってもサキュバスの衣装は目立つ。そのため今回は誰かに見とがめられる可能性を考慮して、使い捨てのツナギを用意しておいたのだ。


 目的の部屋はビルの10階。屋上から部屋までの通路の監視カメラと、センサー類はすべてフェロちゃんに抑えてもらっている。


>10階までの通路に人はいない?

>>カメラとセンサーの届く範囲には誰もいないよ。

>部屋の中も大丈夫?

>>部屋の中にはカメラが無いからセンサーだけになるけど、昨日の8時29分以降に人の反応は無いよ。


 フェロちゃんが確認できる範囲ということになるが、それだけでも安心感が違う。ミチルは大急ぎで階段を降り、照明の消えた廊下を目的の部屋まで移動した。夜であればセンサーライトが反応してしまうが、今はそこまで暗くないので、その点は安心だ。


『役員室』というプラスチックの名札を確認し、ドアのノブに手を掛けてそっと中を覗く。無人であることは確認済みなのだが、やはり緊張する。


 部屋の窓には縦型のブラインドが下がっていて、朝日が細いスリットから斜めに無数の筋を作っていた。人の動く気配は無い。目的の机は奥から2番目、一番下の引き出しに入っているという情報なのだが…。

 引き出しのロックの解除方法は確認済みだが、手間が掛かるのと、傷などが残ると後で面倒になる可能性が高い。

 ホッとしたことに、目的の引き出しは微かな軋み音とともに難なく開いた。


>ビルの中の人の動きに変化はない?

>>正面玄関はまだ閉まったままだし。裏の警備室に警備員が居るけど、動く様子は無いよ。過去の記録からも、トイレと買い物以外は、カメラとセンサーに反応が無い限り部屋から出ることは無いから安心していいよ。

>ありがとう。でも何か動きがあったらすぐにスマホに通知を入れてね。

>>解ったよ。


 なるほど、今時警備員が直接見回るということは無いのか…。監視カメラとセンサーがあるのだから、余計な事をする必要は無いという事なのだろう。


 今の時間は7時12分、この会社の始業時間は9時で、正面玄関が開けられるのは8時。まだ時間はあるが、余裕があるほどではない。


 引き出しは縦型の投げ込み式になっていたので、目的の書類は簡単に見つかった。機密文書の封筒のまま、カモフラージュすらされていない事に呆れかえるが、そこはダミーの可能性もある。ミチルは封筒の中身を取り出し、確認する。枚数や内容も情報通りなので間違いはなさそうだ。コピーを取ってあれば書類の回収に意味はなくなるが、そこまでの責任は持てない。

 ミチルは文書の封筒を、ツナギの胸の内側に収め、そっと引き出しを閉じる。立ち上がってから、念のため周りの確認をしたところで通知のバイブが起動した。


>>今警備員が部屋を出たよ。まだ目的は判らないね。

>了解。こっちは目的のものを確保。屋上に向かおうとしていたところ。

>>警備員の目的が判ってから動いた方がいいと思うよ。警備員がエレベーターに乗らなければ大丈夫だと思うから、そのままで少し待ってて。

>解ったわ。目的が判ったらすぐに連絡して。


 まだ焦らなければならない時間ではない。ミチルは胸に手を置いて書類があることを確認して、深呼吸をした。余計なものは持ってきていない。周りに痕跡は残っていないはず。念のためにもう一度、引き出しを開けてみる。持ち主が書類が無くなっているのに気づくのにどの位の時間が掛かるのだろう、などと考えてから引き出しを閉じる。


>>大丈夫だよ。警備員は裏口から外に出たから。警戒している様子も無いから、買い物だと思う。

>ありがとう、それじゃすぐに屋上に向かいます。


 ミチルは部屋を出ると、耳を澄まして人の気配が無い事を確認してから移動を開始した。屋上に出たところでフェロちゃんに連絡をする。


>仕事は終わったわ。屋上のカメラ以外のビルのセキュリティーを元に戻してくれる。

>>うん、セキュリティーは戻したよ。ビルのカメラもミッちゃんが離れたら元に戻しておくよ。

>>それじゃ、わたしはこれから別のところに移動するから。この後で問題が起きたら連絡して。

>>解ったよ。気を付けてね。

>ありがとう。


 ミチルはツナギのまま手袋を外すことも無く翼を広げ、着替えを隠しておいた公園に向かった。ツナギは一瞬でボロボロになるが、それを気にするよりは早く戻りたい気持ちの方が勝っている。公園の上空から周りに人が居ないことを確認してから舞い降りる。

 ミチルはサキュバス化を解いて、黒いロングコートを襟元まで閉じる。バッグの中の書類を確認し、千切れたツナギと手袋をその横に押し込むと、駅に向かって足早に公園を離れた。

 これでミチルのサキュバスとしての初仕事が完了した。

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