ハナハナ3
階段で2階まで上がると、そこにはまっすぐに伸びた木製の床に白い壁の廊下があり、壁の色とは対照的な黒い色のドアが並んでいた。
「2階は倉庫と客室、トイレは無いから1階のを使ってね。はい、ここよ。入って」
紅音に案内されて入った部屋は暖房が入って温くなっていた。
奥にはエンジ色のカーテンが架かった小さな窓があり、ベッドにもカーテンと合わせたエンジのカバーが掛かっていた。白い小さなテーブルの上には内線電話まであって、品のいいビジネスホテルのようだった。
「ここにはね、色々なサキュバスが来てたまに泊っていくこともあるの。こういう部屋が4つあって、ここはその中の1つ。隣は私が使っているのよ。荷物はそこら辺に置いて。はい、これが鍵」
紅音はテーブルの上に置いてあった鍵を未千流に渡すと、自分の部屋に未千流を誘った。
「ここじゃちょっと寂しいから、私の部屋に行きましょ。」
紅音の部屋も先ほどの部屋と同じつくりなのだが、こちらはしっかりとカスタマイズされている。テーブルにはピンクのテーブルクロスが掛けてあるし、ベッドカバーはシックなエスニック柄。そのベッドの上では大きなクマのぬいぐるみが未千流を迎えてくれていた。
紅音は、小さな食器棚から、2人分のティーセットを取り出すと紅茶の用意を始めた。電気ポットはランプが点灯していて、既にお湯が湧いていることを教えてくれている。準備万端である。
「未千流ちゃんはそこに座って。あ、そうだ、この前コティーのクッキーを頂いたの、美味しいのよ。そこの椅子に座ってちょっと待っててね」
うん、わたしは何をしに来たのだろうか? 紅音がかいがいしく働く姿を見て未千流は考える。お茶にお呼ばれしたのは間違いなさそうだった。
「紅音さん、1つだけ確認したいんだけど…」
「ん? なぁに」
「わたし、アナにサキュバスのギルドに連れて行くって言われてきたんだけど。それって、ここで合ってるの?」
「ええ、ここがそうよ」
紅音はにっこりと微笑んで、リンゴの香りのお茶をカップに注いだ。
「お店の様子は見たのかしら」
「いえ、通り過ぎただけだからちょっとだけしか…」
店はアナに手を引かれて通り過ぎただけなので、未千流には作業場という印象しか残っていなかった。
「全然お店っぽくなかったでしょ」
ベッドに腰を掛けて笑う紅音に未千流は頷く。
「昔はもう少しお店らしくなってたんだけど。母さんが無駄だからって、今みたいにしちゃったの」
母さんって誰の事なんだろうと未千流は首をかしげた。
「ああ、まだ言ってなかったんだっけ。私、仲谷 紅音だから。妖子さんは私の母親。目元とか似てるでしょ」
紅茶のカップを置きながら優しそうに笑う紅音の顔を見直すと、どことなく妖子さんの面影が感じられる。まさか母娘だったとは…。
「ハナハナはね、基本的には一見さんが来る店じゃないのよ。舞台衣装とかの特別な服の注文か、馴染みのお客さんの一点物。だからお店としての見本とか、出来上がっている服並べておくってことが無いわけ。だったら表で仕事してた方が効率いいってのが母さん流。それで今みたいになってるの。知らずに入ってきたら、母さんの一睨みで帰っちゃうわ。それがハナハナの表の顔って訳ね」
紅音はそこまで言うと一息ついた。
「後は裏の顔って訳じゃないんだけど、サキュバスの衣装を作る店が無いと困るでしょ。それと協会との窓口と、仕事の斡旋、情報交換の場所も必要な訳。それでハナハナはギルドって呼ばれてるのよ。女性専用の注文服のお店だから男性客が来ないって言うのも重要な点ね」
なるほど、と納得して頷く未千流。
「それでね、未千流ちゃんが本当にサキュバスになったのかは解らないのだけれど、それだけフェロモンが出ちゃうようだと、サキュバスと同じ生活をしていかないとまずいのは解かるわよね」
「うん、その辺りはアナにも言われた」
「なら最初から説明するわね」
紅音は未千流が理解したかどうかを一つずつ確認しながら続ける。
「まずサキュバスは男の精魂を吸引しないと生きて行けないし、サキュバスならではの力が出せないの。サキュバスの力っていうのは、精魂を吸った相手の記憶をコントロール出来ること。洗脳って言った方が解りやすいかもしれないわね。でも、吸い取ったままじゃまだだめなのよ。未千流ちゃんはアナの狩りに立ち会ったことが有るのよね?」
未千流は頷いた。
「その時に彼女が尻尾を相手に刺したのは見たかしら?」
未千流はその時の光景を思い出してブルっと震えた。ブツッという音が脳裏によみがえる。
「その様子は見たってことね。それが私たちの力の一部を相手に与える方法なの。普通は相手の記憶を操作するだけなんだけど、やり方次第では相手を意のままに操ることも出来るし、スーパーマンみたいな力持ちにすることも出来るのよ。すごいでしょ」
「そんなこと出来るんですか?」
未千流は驚いて目を見開く。
「ふふふ、驚いた? でも普通はそんなことしないわよ。そんなことしようと思ったら、相当量の精魂を溜めてしておかないといけないから、い~っぱい男を襲わなくちゃいけないの」
紅音は片目をつぶってみせた。
「もう一つ、私たちが空を飛べるのも知ってるのよね。未千流はその時アナの翼に触ってみたのかしら?」
「いいえ、触ってませんけど」
「ふーん、それは残念ね。今度触ってみなさい、とっても熱く感じるから。って言うのはね、サキュバスの翼には実体が無いのよ。そうね、エネルギーの塊みたいなものなのかな? うーん、私たちがいわゆるサキュバスになる時って、身体の奥からウワーって感じで力を出すんだけど、解るかな?」
未千流は首を横に振った。そんな事理解できるのは本当のサキュバスだけだ。わたしはまがい物なんだからまだ無理。
「そうよね、未千流ちゃんはフェロモン出ちゃうだけなんだものね。うん、でもそんな感じで力を出すと背中から何かが広がる感じがあるの、それがサキュバスの翼なのよ。それで空飛ぶことは出来るんだけど、こっちは夜限定だし、エネルギー消費激しくて。だから好き放題に飛ぶって訳にもいかないのよ」
なる程、と未千流は思った。アナに抱えられて飛んだのは一回だけだし、あの時以来飛んでいるのを見たことは無い。好きなだけ飛べるなら便利だろうけど、そうしない理由があったのだ。
「それでね、尻尾も同じで、勝手に伸びてくる感じなの。ただしこっちの方は相手の男に差し込んで、さっき言ってた力を注入するのに使うの」
そこまで言うと、紅音は急に未千流ににじり寄って声をひそめた。
「ここからは内緒の話だから、アナには聞いたって言っちゃだめよ。未千流ちゃんの飲んだポーションはね、その男に注入するエキスなのよ。アナがどうやって集めたのは知らないんだけど…」
それだけ言い終えると、紅音はパッと元の場所に戻った。え? 何が言いたいの! 紅音の意図が解らず未千流は混乱する。
「ふふふ、気にしないでね。ああそうだった、下に行ってポットに水を追加してくるわ」
紅音は空になった電気ポットを手に取り、何故か嬉しそうな顔をして未千流を残して出て行った。
どういうことなの? 気にするなと言われて気にしない訳がない! 気にしろと言っているようなものだ。男をコントロールするエキス! それをわたしが飲んだ…、だとすると…、やっぱり何も分からない。…でもアナには内緒なんだ。
「昔から英雄の裏に悪女アリ、的な話ってあるじゃない。その悪女がサキュバスだったって思うと楽しくない? 悪女じゃないけど、フランス革命の時の自由の女神の絵画、彼女がなぜ半裸だったと思う?」
紅音はポットを置いて電源を入れる。
「サキュバスが翼を出すと、普通の服はボロボロになっちゃうわ。そう考えると彼女が半裸だったていう説明になるし、引き連れた民衆はサキュバスに強化されたスーパーマン状態だった。なんて考えると面白いでしょ。本当のことなんて誰にもわからないけど。あ、チョコレートも取って来たわよ」
なんで、紅音さんはこんなに嬉しそうに話をするのだろう? そう思いながら未千流は紅茶のおかわりと、チョコレートを受け取った。
「まあ、大体サキュバスってそんな感じなんだけど、これから先が重要な点ね」
紅音が真面目な顔になる。
「サキュバスの仕事の話、夜空を飛べて男を自由に使役できる。おまけにね、サキュバスが空を飛んでもレーダーには映らないらしいの。これってどういうことだかわかる?」
話しが急に難しくなってきた。
「色々便利そうですよね…」
「そうなのよ、公安とか軍とかって権力者からすれば喉から手が出るほど欲しい力になるわけ。もうサキュバスの仕事がどんな物だか想像できるでしょ。だからサキュバスの存在って、一般的には完全に伏せられているんだけど、国家にとっては公然の秘密なのよ。実はサキュバスって大半が生まれたときから国家登録されてるのよ。本当に息が詰まるんだから。はいそこで、未千流ちゃんの話。未登録のサキュバスってどう思う?」
え? ってなんかやばい感じがする。
「ハイ、解ったでしょ。未千流ちゃん自体も問題になるでしょうけど、後天的にサキュバスが作り出せるって話が伝わったらどうなるのか…、っていう事で用心しましょうね」
そこまで言うと紅音は説明が終わったかとでもいうようにベッドにバタリと倒れ込んだ。




