彼の展望
あの日から数日が経った。
首元にあった傷痕は、最初の処置が的確だったおかげか、今となっては目視では分からないほど薄くなっている。
あれだけのことを経験しておきながら、私の過ごす日常は至って平凡で、その普遍性を噛みしめると共に、どこか物足りなさを感じる日々が続いていた。
このまま一月も過ぎれば、本当に全ての出来事が夢だったように思えてしまいそうだ、などと悠長に考えながら、今日もまたいつもと同じ要領で身支度を整える。
時刻は6時過ぎ。移動時間のことも考えて、朝食は学園内の食堂で取ることにした。
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食堂に向かうと、友人であるエメット・ブラウンが美味しそうにパンを頬張っていたので、同じものをチョイスして隣の席に座ることにした。
「エメット、おはようございます」
「ほはようほはいまふ……」
両家のお嬢様とは思えないほど、口の中に多量のパンを含んだエメットは、何とか理解できるぎりぎりの範囲の挨拶を返してくれた。
それらをゴクリと呑み込んでから一言。
「最近、何だか元気がありませんね」
「そう……ですかね……?」
「元気がない、というよりも寂しそう……?」
「寂しそう……?」
その、あまりにも自分には似つかわしくない言葉を、思わず反復してしまった。
「何がどうしてかを口で説明するのは難しいですが……。そうですわねぇー、強いて言えば……お昼時、とか」
「お昼時……。私、何か変なことしてました?」
昨日の昼食時とその前日の昼食時、自分がどうしていたのか振り返ってはみたものの、特に目立った変化などはなく、ただいつも通りに食事をとっていただけだったように思えた。
「変……ではないけれど、あまり普段見かけることがなかったものですから、どちらかと言えば意外、でしょうか」
「意外……?」
「メルヴィンって、席に着いたらすぐにご飯を食べ始めるイメージが強かったので……。それがここ数日は、座ってからじーっとご飯を眺めている場面を何度か見かけたものですから、私にはそれが少し意外に思えたのですわ」
「そうだったんですか……!?」
自分では全くと言っていいほど気付けなかった変化を指摘され、驚きを隠せなかった。
「その姿がなんだか寂しそうに見えたので」
つい、聞いてみたくなったんです、と微笑みながら呟くエメットは、パンを食べ終えたのかデザートに手を伸ばしていた。
「それは、なんというかその…………」
「待ち人来ず、と言ったところでしょうか?」
「いえ、そこまで深い意味はないんですけど。ただ、少し……懐かしいな、と」
「懐かしい、ですか。なるほど……」
とだけ漏らすと、エメットは突然何かを思い出したように立ち上がり、
「そういえば私、寄るところがあるのを忘れていました……!」
完全に頭から抜け落ちていた、という表情をしながら慌て始めた。
「あ、ああのメルヴィン、途中でごめんなさい! 私、ちょっとこの辺りで失礼させていただきますわね!」
「えっ。あ、はい……」
友人はてきぱきと鞄に物を詰めると、普段の彼女からは想像もできないほどの速さでその場から去っていく。
友人であるエメット・ブラウンが見せた意外な姿に驚きつつも、私は朝食へと取り掛かるのだった。
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朝食を取り終えた私は、そのまま教室へと向かい自分の席に腰を下ろした。
しばらくして教員が室内に入り、予定通りの朝礼が始まる。
教員の挨拶から始まった朝礼はほとんど私の耳には届かず、その代わり視界だけはずっと斜め前の空席を捉え続けた。
まるで最初から、そこには誰もいなかったかのような無情さで淡々と過ぎゆく日常。その流れに身を委ねている内に、気付けば午前の授業が終わりを告げる。
お昼を何も持参してこなかった私は、朝と同様、食堂へと向かうことにした。
食堂は昼食時ということもあり、多くの生徒で賑わいを見せていた。
朝とは彩の違うビュッフェカウンターから、バランスを考えた食事を取り分け席に着く。
日当たりの悪さからか、食堂の中でも比較的利用者の少ないこの場所は、割とよく選びがちな席だった。
――朝方、エメットに言われたことがふと頭をよぎる。
「待ち人来ず、か…………」
ため息のような呟きが、思わず漏れた。
「珍しいですね。独り言なんて」
突然の、声。
それが何だか親しみやすくて、やけに懐かしくて、私はとっさに顔を上げた。
「……ホル、ス?」
「はい?」
「ホルス・リオネット……?」
「そうですが、どうかしましたか? メルヴィン」
相変わらずの落ち着きぶりを見せつつも、どこか緩んだ表情で、友人のホルス・リオネットがそこにいた。
「本物、ですか?」
「恐らく……?」
お互いがお互いの状況を掴めないまま進められる会話は、たどたどしさを通り越して、もはや馬鹿っぽい。
「え、あれ? いなくなったんじゃ…………」
「いなくなってはいないですね」
はにかみながら答えるホルスの顔を直視しながら、私の頭はこの現実をいまだ受け入れられずにいる。
「ここ、いいですか?」
「はい……」
目の前の空席に座りながら、友人は淡々と事の顛末を話し始めた。
「ここ数日は、色々と必要な手続きがあったのでお休みを頂いていました。まあ、詳しいことは自分の口からは言えないんですが……。少なくとも、今後もいなくなるようなことはありません」
「はぁ……」
勝手に一人で思い込んで、勝手に一人で思い耽っていただけなのだから自業自得、私が悪いのだろう。
分かってはいる。分かってはいるのだが……。
何故だろう、このとめどなく溢れ出てくる憤りという名の感情は。
ホルスが自分に、何も知らせてくれなかったことへのわずかな不満を抱きつつ、私は目の前の食事に手を付け始めた。
しばらくの無言。見慣れた景色。
目立った会話などはなく、ただそこにいるというだけの関係性。
今のところ素直に喜びこそしないけれど、それでも私は、友人と過ごすこのひと時が心地いい。
「誰かと食べるご飯は美味しいですね」
不意に投げかけられた、問いのような感想のようなホルスの呟きに、私は正面からそうですね、と答えることが出来ず、
「当然です」
と、謎に自己主張の強い言葉を返してしまう。
そんな私の胸中を分かってか、それとも分からずにか、目の前に座る青年は口元を緩めてみせた。
まるで当たり前のように、平々凡々と過ぎゆく昼食時間。
私はそれが、恒常的でありながらどこか刹那的でもあるという事実に気付かないふりをして、何食わぬ顔でやり過ごす。
「そういえば……」
「そういえば?」
唐突に紡がれたホルスの言葉は、そんな私の思考を現実へと引き戻した。
「自分も見つけられたような気がします。自分の理想像……というものを」
そのワードには覚えがあった。
今と同じ時間、同じ場所、同じ状況の中で交わされた二人にとってのわずかなやり取り。その中で私が発した幾ばくかの言葉の内の一つである。
あの時は確か……私が彼に、自身の在り方と理想像について語っていたのだった。
漠然とした認識の中、青年の瞳に映る自分の姿がそうであったらいいな、というわずかばかりの願いと共に口にした空言。
それが、自身の眼では判断することの出来ない不確かな概念であると理解しながら、それでも私は、
「私から見るあなたが、あなたの持つ理想像となることを、私も願っています」
今後の彼の展望を口にせざるおえなかった。
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