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戻りたい

 走っているうちに靴が脱げてしまったが、かえって好都合だ。彼に近付くほど空気が重くて抵抗を感じるから、素足のほうが動きやすい。


「痛っ!」


 腕と足に衝撃を受けて、慌てて止まる。痛みの元を辿ると、皮膚が薄く切れて血が滲んでいた。物が当たったわけでもないのに、なぜ怪我をしたのか分からない。


「安っぽい同情などいらん。下がれ」


 硬質な声がして目を凝らすと、黒い影がハゥラスの周りに渦巻いている。これに触れたから切れたのだ。


「話を聞かせてください!」


「話すことなどない。無駄なことはするな。どうせ、すぐにお前も死ぬ」


 この、分からず屋め。


「それならば、我らに納得のいく死を! あなたの考えを、みなさまにお伝えしますから、詳しく教えてください!」


「……おかしな奴だ。ギルツ家の血か」


 話しているうちにも、彼の顔色はどんどん悪くなる。命を削っているのだ。


「家は関係ありません。私は私です。あなたは、何のために戦ってきたのですか?」


 いつの間にか、レオンが私の背後にいて「会話を引き伸ばして」と耳打ちする。その意図は不明だが、最初から私はそのつもりだ。


「国や家族のため? それとも、個人的な恨みを晴らしたかったからですか?」


「……それは、考えては、いけないことだ」


 雄弁に語り出すと思ったら、意外にも明言を避けた。この国を内側から壊そうとしたあげく、大勢の人を巻き添えにしてまで自爆するのだから、強い思いがあるはずなのに。


 いや、違うのか。


 迷いが出るから考えてはいけないのだ。彼自身が得心がいかないまま、何らかの理由で強制的にさせられているとしたら、それも理解できる。しかし、それでよいのだろうか。


「こんな終わりを望んでいましたか? 幸せになる選択肢はなかったのですか?」


 しまった。

 言ってから気付いたが、彼の計画をぶち壊しにしたのは私だった。


「……俺が望んだこと? ……俺は」


 彼が冷静でなかったことが幸いし、気付かれなかったようだ。ハゥラスは自問自答を繰り返し、やがて答えを見つけたのか、弾かれたように体が動く。そして、天を仰ぐと、ポツリと呟いた。


「……戻りたい」


 どこに? と問いかける間もなく、彼は頭を抱えて「ぐああああっ!」と、ひどく苦しみ出す。


「大丈夫ですか!?」


 思わず、ハゥラスに近付いてしまった。目の前に黒い物が見えたから咄嗟に顔は庇ったが、全身に痛みが走る。


「きゃあああ!」


「アリス!」


 レオンが引っ張ってくれたから抜け出せたが、あちこち怪我をした上に、服もところどころ裂け、髪留めも外れてしまった。そのまま床に倒れ込む。そんな私を見て、ハゥラスは驚き、悲しげに笑った。


「もう遅い。この術の止め方は教わらなかった。俺は使い捨てだ。お前たちは逃げろ」

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