おばあ様の家
「アリス、待っていましたよ」
エントランスで、おばあ様は温かく迎えてくれた。
彼女は、お母様のお母様。ギルツ家は代々、女性が当主を務める家だ。そのため、ラウル様との婚約も、婿入りが条件になっている。そういえば、彼は長男なのにいいのだろうか。
「いろいろあって疲れたでしょう。ゆっくり休むといいわ」
おばあ様は不思議な力を持っているため、私の部屋の惨状も、学園を抜けて来たのも、ご存知のはずだ。
それでも、私が話すまでは、何も聞かずに待ってくれる。その心遣いが嬉しい。
「ありがとう、おばあ様」
次に、私の後ろに控える護衛に目を向け、おばあ様は柔らかく微笑んだ。
「孫がお世話になっています。あなたたちも、一息つくと良いでしょう」
「恐悦至極に存じます」
護衛たちは、深々と頭を下げた。
彼らは常に気を張っているので、適度な休憩が必要だ。おばあ様の計らいで別室待機となったから、気兼ねなく、くつろいで欲しい。
私とおばあ様は、応接間へ移動した。
「お嬢様のために、ご用意しておりました」
メイド長がそう言って、温かい紅茶と、甘いお菓子を出してくれた。頭が糖分を欲していたので、とてもありがたい。おそらく、日頃使わない思考回路を酷使したせいだろう。
「嬉しい! ゴーフルとタルト、揚げ菓子もあるの!?」
ジャムやフルーツも用意され、味に変化をつけた多種多様なお菓子が並ぶ。全て小さめに作ってあるので、全種類制覇できそうだ。見た目も可愛いので、ウキウキが止まらない。
「たくさんお食べなさい。まだまだ、これからよ」
「え?」
何か予定があっただろうか。
それとも、おかわりがあるという意味だろうか。
おばあ様はニコニコするばかりで、答えてくれそうにないから、遠慮なくいただく。
もしも、家の手伝いをしろということならば、頑張って働こうではないか。数日はご厄介になるつもりだから。
「……美味しい! いくらでも食べられます!」
「そう。口に合って良かったわ」
おかしな一日だが、ようやく落ち着いた。
まだ午前中だというのに、ものすごい疲労感だ。
「改めて、婚約おめでとう。あなたも、そんな年頃になったのね」
感慨深そうに、おばあ様が仰った。私としては、絶賛トラブル中の案件なので、心中は複雑ではあるが、お礼を述べねばならない。
「ありがとうございます。お祝いにいただいたブーツ、すごく履きやすいです」
そう、婚約祝いの品が、ショートブーツだった。街歩きに便利だし、制服にも合うデザインなので、今も履いている。とても気に入っているが、婚約祝いとしてはどうなのだろうと、多少の違和感があった。
「よかったわ。誂えたのは五足だけれど、足りたかしら? 走りやすいように、ヒールを低くしてもらったのよ」
「走る?」
私は運動部ではないし、自宅で運動するにしても、専用の靴は何足も用意してある。護衛が守りを固めているので、悪漢から逃げる場面が来るとは考えにくい。
「懐かしいわ。フランソワに、追いかけられた日々が」
そう言うと、今は領地にいらっしゃる、おじい様の肖像画を見て目を細めた。
「はあ」
幼なじみだったとは聞いていないが、おじい様と追いかけっこをしたのだろうか。
(私にもしろと? この歳で?)
付き合ってくれそうな遊び相手は、私にはいない。
もしかして、自分の子どもと遊べるようにとの、随分と気の早い贈り物なのだろうか。
それはそれで、プレッシャーだ。
おばあ様は、ニッコリ笑う。
「気の済むまで、自由にお逃げなさい」
「……何から逃げろと」
「ふふふ。心の赴くままに動いていいのよ」
遊びの話ではないのか。
おばあ様の意図が読めない。
でも、その言葉は新鮮な風となって、私の常識を揺さぶった。普通の大人は「辛くても我慢しろ」とか、「弱い自分に負けるな」と、子どもが困難から逃げることを禁じるのに。
(……逃げてもいいの?)
おばあ様の言葉を噛み締めた時、義務感や責任感で雁字搦めになっていた私の心に、僅かな遊びの部分を生んだ。
この隙間が、「しなくてはならない」から「してもいい」へと、思考形態を塗り替えていく。
振り返ってみれば、お父様に「彼と婚約をしなくてはならない」と言われたとき、最初に感じたのは『反発』だった。
もしも、「彼と婚約してもいいよ」と言われたら、興味を持てたし、前向きな気持ちで検討したかもしれない。
強制から任意への意識改革は、心に劇的な変化をもたらした。例え、決定事項だったとしても、言葉の使い方ひとつで、受け取り方が変わるのか。
意地になった私は、物事の本質を見落として来たのかもしれない。固定概念を取り払ったら、それらを失わずに済むだろうか。
(婚約の件も含めて、もう一度、真っ新な心で、見つめ直してみよう)
固く決意したその時、玄関が賑やかになった。
「御免! 私は、騎士団のラウル・トゥイナと申します! アリス殿に、お目通りを願いたい!」




