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第八話 軋轢

 目の前に迫る長剣の一撃を身を伏せて避ける。直後に繰り出される真上からの拳を前進する事で回避、しかし更に脇腹を抉る長剣の横薙を避けられず、ライズの身体が宙に舞う。


「がっ……くっ……う」


 小隊戦第二節、第十小隊との戦いは再び白兵戦となった。試合開始直後、第十小隊隊長ファズ・バイトバグと隊員のラマルタ・ワルナットが前衛のクルルとエレンを素通りしライズに接触、以降八分二十秒間、ライズは三回のダウンを奪われながら二対一の苦戦を強いられていた。


「ライズ君、大丈夫?」

 クレアからの通信。後方で控えているウィルも、援護射撃をしてはいるものの、隊長であるファズの剣がそれをいなす。結局、ライズを二対一の苦境から救う事はできずにいた。


「……試合終了まで後どれくらいですか」


「残り一分七秒よ」


 その言葉を聞き、ライズは口を閉じる。中衛としての立ち回りができない以上、残りの時間をダウンを取られずに逃げ切る事が、ライズが勝利に貢献するためにできる唯一の事だった。


「しつこいっ!」


 空中で体勢を整え、着地したライズをラマルタの拳が襲う。右か左か、どちらに避けても対処が可能な踏み出しと拳を突き出すタイミング。六年生の学生の身としては十分に成熟した戦闘スキルがなし得る立ち回りだ。


 拳舞『ソニックレイヴ』。装着したグローブによってラマルタの紋様は見えない。しかし何かしらの身体能力を強化している事はわかる。紋様によって加速した拳はライズの拳を的確に狙う。


「……しつこいのは」


 ライズの跳躍。ラマルタの予想していなかった上への回避は、その拳を空回りさせる。


 しかし上への回避には、後方に待機していたファズが対処する手はずになっていた。隙を生じぬ二段構え。空中で身動きができないライズは、長剣のいい鴨だった。


「お互い様だ」


 ライズの紋様が発動する。それと同時にファズの横薙が繰り出される。ライズが何のために紋様を発動させたのか、ファズには理解できなかったが、今は関係なかった。


 紋様剣『太刀蟷螂』。音速を超える一閃。その刃の切っ先がライズを……すり抜けた。


「なっ……?」


 ライズの現在位置はファズが描いた線の上、推測で上空五メートルの高さにいた。空中に立ち、二人を見下ろす姿はそのまま強烈な違和感となって現れる。


「空中を……どうやって」


「……剣だ」


 ラマルタの呟きをファズが返し、剣でライズの足を差す。


「あれは!」


 ライズの足の裏には、剣があった。その瞬間にラマルタもライズが空中にいる原理を理解する。簡単な事だ。空中に留めておいた剣に乗った。ただそれだけだ。目的は恐らく時間稼ぎと体力の回復。単純だが、相手の手が届かない場所に非難するというのは有効な退避手段だ。


「ならばそれでいい。行くぞラマルタ、後衛二人を討つ」


「はい、隊長」


 早々にライズへの攻撃を諦め、二人は後方にいるウィルとクレアに狙いを定める。残り時間は三十秒。点差は三点のビハインドと、ライズを重点的に狙った割には負けている。それだけ前衛の下級生を侮った結果なのだろうが、まだ巻き返す手段はある。第四小隊隊長にしてリーダーのクレアからダウンを取る。リーダーへのダウンによる加点は五。逆転勝利は十分に狙える。問題はウィルだが、片方がウィルの攻撃を引きつければ戦闘能力が皆無のクレアからダウンを奪うのは容易い。


「じゃあなライズ君。俺とラマルタのコンビネーションに耐えたその実力、誇っていいぞ」


 ファズがそう言い、身体の向きを後衛のいる方へと向ける。その時、ある事に気付いた。


 小剣が、地面に刺さっていたのだ。それも一本ではない。規則正しく、ファズとラマルタを囲い、ある図形を描くように。


「ラマルタ! 退避だ!」


「遅い!」


 裏技『スパイダーウェブ』。六角形を描くように配置された剣が紋様を浮かべ、剣と剣の間を繋ぐように六芒星の線が引かれる。そして、六芒星の中にいたファズとラマルタは、『蜘蛛』によって行動が著しく制限されていた。


「……!」


「ひたすらに俺の紋様を使わせないように攻め立てたおかげで、紋様ならいくらでも使えます。本来なら五秒くらいしかもたない技ですけど、今ならあなた達を試合終了まで拘束しておく事は可能です」


 紋様によって口もまともに動かないが感覚まではその対象にならない。何かを言いたそうな顔のファズが何を言わんとしているかを察し、空中から説明をする。後は試合終了後に聞くとして、ライズは電光掲示板に表示されている得点を見る。


「ああ……何だ」


 得点差は三。第四小隊が勝っている。どうやら本当にライズを徹底的に叩く作戦だったらしい。そういえばライズが逃げ回っている間、後方の二人も殆ど支援をしてくれなかったがどうやらこの点差を作り出すためだったらしい。


「少しばかり余裕があったじゃないか」


 電光掲示板に表示されたカウントがゼロを示す。同時に、試合終了の合図たるサイレンが鳴り響き、今まで武器をぶつけ合っていた他の面々が武器を下ろす。


「試合終了オオオオオオオオオオォォォォォォォォォ!! 新メンバーを加えた第四小隊、最初こそ押され気味だったが見事に状況を覆し勝利を手にした!! この勢いは留まる事を知らないのかァ!?」


 相も変わらずやかましい実況が大げさな説明をする。ライズはゆっくりと紋様を解除し、自由落下を始める。少し不格好に着地し、バランスを崩しながらも二本の足を地面に着ける。


「さて……」


 記者がそろそろやってくる。今回は巻き込まれまいと早々に退避を始める。


「待ってくれ」


 迫りくる記者の波から避難しようと出口に身体を向けた所をファズが呼びとめる。ライズは振り向かず、そのまま首だけをファズに向ける。


「……次は負けない」


 何とも返答に困る言葉にライズは苦笑いを浮かべる。負けないとは試合そのものに対してか。あるいはライズとの戦いに対してか。前者であればその言葉はライズではなくクレアやクルルに言うべきだし、後者であればそもそも戦いに勝利していないライズに言う事ではない。どちらか判断がつかないまま、ライズは適当に笑みを作ってその場を後にした。



「ライズ君!」


 記者の波を抜け控室に戻ったライズを迎えたのはクルルのダイビングだった。


「うごあ!」


 全くの不意打ちに防御も回避もままならずクルルのタックルをもろに受ける。


「お疲れ様、ライズ君」


 本日最大のダメージに耐えつつクレアの呼びかけに手を振って答える。


「さて、エレンちゃんのデビュー戦勝利のお祝いといきたいけれど、まずは反省会しちゃいましょう」


「あの……俺今かなり負傷したんですけれども」


「泣き言言わないの。女の子に抱きつかれたんだからもっと喜びなさい」


「えっと、ライズ君……ごめんね?」


「ああうん。大丈夫だよ」


 別にクルルを責めたいわけではない。痛みに耐えつつライズは身体をベンチに移動させ腰掛ける。部屋を見ると、エレンが疲れた表情で壁にもたれているのが見えた。恐らく記者に捕まったのだろう。そしてライズを除くメンバーに助けられた。様子を見るだけでだいたい予想が付いてしまう。


「大丈夫? エレン」


「何あの人達……こっちが疲れてるのを知っておきながらあんなにもみくちゃにして……殺す気なの?」


「いい洗礼になったみたいだな」


絶望の表情を浮かべるエレンにウィルが冗談で返す。からかわれたと思ったのか、エレンがウィルを思いきりにらむが、ウィルはそれに手を振って応える。何とも余裕な雰囲気だ。


「じゃあ反省会始めるわね。まずライズ君」


「はい」


「今回の試合の感想を聞かせて」


何を期待しているのかと一瞬戸惑うが、それでも変に取り繕う必要はないとライズは頭に浮かんだ率直な感想を口にする。


「ここまで自分がマークされてるとは思いませんでした。おかげで本来の役割である前衛のサポートと後衛の護衛ができませんでした」


「うん、そうね。ライズ君にとってはかなり厳しい戦いだったと思うわ」


クレアと共にライズの様子を見ていたウィルが深く頷く。対して前にいたクルルとエレンは少し意外な様子だ。


「じゃあ次にクルルちゃんとエレンちゃん。感想をどうぞ」


「私のデビュー戦にしては地味でしたけれど、あの程度の戦いなら私は楽勝です」


「僕も、敵の攻撃もあまり激しくなくてすごく楽だったよ」


予想通り、と言わんばかりの顔でクレアがニヤリと笑う。


「それぞれが言ってくれた通り、今回の試合はライズ君に主力の二人がマークをしてくれたおかげで前の二人がかなり楽をした。じゃあライズ君に負担が集中したから勝てたのかというと、そうではないわ」


「……それってもしかして、俺が逃げ回っていた事も関係ありますか?」


「『事も』じゃなくて『事が』ね。今回の勝因、それはライズ君が戦わなかった事に尽きるわ」


そう言ってクレアは控え室に備えてあるホワイトボードを引っ張り出し黒のペンで手早く図を書き込む。しばし一同はそれを見つめ、やがてペンを置いてクレアが前を向く。


「こちらの人数は五人。対してあちらはフルメンバーの六人。前の試合ほどじゃないけど、人数の不利はあったのよ。だけど相手がライス君をマークしてくれたおかげで……」


ピクトグラムにありそうな人の絵を右に六つ左に五つ配置する。そして右の人二つと左の人一つを大きく囲み、更にその囲みにバツを付ける。


「この通り、戦略上ライズ君を見捨てる事で四体四の形にする事ができた」


「見捨てるって……じゃあ試合中ライズ君はずっと一人で戦ってたって事ですか?」


クレアの発言にクルルが食らいつく。珍しいが、見捨てたという言葉に納得がいかないのかもしれない。


「誤解を招く言い方をしたわね。何も私だって何も考えずにライズ君を切ったわけではないわ」


言うと、クレアは再びペンを持ちホワイトボードに書き込む。今度は五人の側にライズを除いたそれぞれの名前を書き込んでいるようだった。


「人数が拮抗した結果、相手は主力を失いこちらは最大火力と最速、そして狙撃手が残った。この時点で私は、ライズ君がある程度点を奪われようと勝てるという算段がついたわ」


最大火力にエレン、最速にクルル、狙撃手にウィルを示しながら説明を続ける。しかしそれに今度はエレンが食いついた。


「ある程度って、隊長さんの想定以上に点を取られたらどうするつもりだったんですか?」


「いい質問ねエレンちゃん」


エレンの発言に鼻を鳴らし得意気に答える。


「さっきも言った通り、ライズ君は二人から終始逃げ回った。つまりこれは、相手から奪われる点を最小限に抑えたと言う事なの」


「……?」


いまいちエレンとクルルは話を理解していない。そこでウィルが前に出て補足をする。


「仮にライズが勇猛果敢に戦ったとする。そうなると戦略上、クレアはライズとファズ、ラマルタを無視できなくなるんだな。人数的にも実力的にも上の相手と戦っているわけだから、例えば俺をライズのサポートに回すとかしないといけなくなる」


「……あ、もしかして、それで人数の拮抗が崩れるって事ですか?」


「大正解! ベリーグッドよクルルちゃん」


指をパチリと鳴らしウィンクをするクレア。そこでようやくエレンも納得の表情を浮かべる。


「我が隊最大の問題点である人数差をあっちが勝手に埋めてくれた。このチャンスを逃す手はないと思ったのよ」


「結果としてライズには苦労をかけた。悪かったな」


「いえ、いいんです」


「さて、今回はライズ君が狙われたけど、次は誰が狙われるともわからないわ。状況にもよるけれど、もしかしたら逃げ回るよう指示する事も考えられる。その時は無理に戦おうとしないで、他の人も不用意に助けに行ったりしないこと。以上、まとめはおわりよ」


クレアが胸の前で手を叩く。これを終えてようやく小隊戦は終了となり、各々解散する。とはいってもこの第四小隊は全員が同じアパートに暮らしているためか用事がない限りそそくさと帰る事もないのだが。


「そういやライズ」


 荷物をまとめていたライズに思い出したような声でウィルが話しかける。


「はい、なんですか?」


「クルルちゃんとのデート、今週だったよな」


 今まで忘れていた事を突きつけられライズの行動が停止する。忘れていたとはいっても頭から抜け落ちていたわけではない。この試合が終わったら準備を進めて、場合によってはウィルに相談しようとも思っていた事だ。


「え、デート? ライズとクルル先輩が? 初耳なんだけど」


「そういえばそんな事言ってたわね。青春ねえ」


 新事実に驚く後輩と感慨にふける先輩。年の功とは思いたくないその差を視界に収めながら、ライズは咳払いをしてみせる。


「……相手のクルルがいる状況で言いづらいですけど、先輩にも相談しようと思っていました。お疲れの所すみませんが、乗ってくれますか?」


「ああ、おっけーおっけー。かわいい後輩の頼みとあらば一肌脱いじゃうよ」


 いつものどこか気の抜けた調子で承諾すると、ウィルはライズの肩をがっちりと組みクレアの方を見る。


「というわけでクレア、俺達ちょっと出るわ」


「はーい、いってらっしゃい」


「え、あの、ちょっと? 離して下さい先輩?」


 引きずられる形でライズとウィルは部屋の出口に向かう。そしてウィルがドアノブに手をかけ、回そうとした瞬間、その行動は丁度やってきた来客に阻まれた。


「お……?」


「……」


 身長の低い、まだ幼さの残る少年が仏頂面でドアの前に立っている姿はなかなかに戸惑うものである。事実ウィルもしばし少年を見てどうしたものかと逡巡している。


「ようこそ第四小隊へ。誰かに用かな?」


 明るく声をかけてみるウィルとは対照的に不機嫌な顔で視線をウィルからライズに移す。そして少しばつの悪そうな表情になりつつもようやく少年はその口を開く。


「あなたがライズさんですね?」


「えっと、はい。ライズは俺です」


 その言葉の後に少年は瞳を固く閉じ、大きく深呼吸をする。


「わかりませんか、僕の事」


 突然の曖昧な質問にライズは首を傾げる。群青色の髪に琥珀色の瞳。そして幼いためかやけに中性的な容姿。一度見れば忘れそうもない外見をしているが、ライズに心当たりはない。


「そうですか……仕方ないです。最後に会ったのはいつだったか、僕にもわかりませんから」


 ライズがゆっくり首を振ると、少し残念そうに少年は呟いた。


「えっと、ではエレンさんはいらっしゃいますか」


「え、私?」


 今まで端から眺めていたエレンに話が振られ、素直に戸惑う。


「僕の事、わかりますか?」


「えーと? ちょっと待ってて、思い出すから」


 ここでふと、ライズの頭に霧がかかったような錯覚が訪れる。この少年はライズとエレンを知っている。となれば、二人の共通の知人である可能性が高い。過去短い期間ながらも共に過ごしたライズとエレン共通の知人。非常に少ないが、ライズには一人、思い当たる人物がいた。


「……あ」


 共鳴するようにエレンも声を漏らす。彼女もまた、彼の正体に心当たりがあるのだろう。


「……フォール」


「フォール君?」


 指し合わせたでもなく、同時に思い当たる人物の名を呼ぶ。すると安心したように少しの笑みを見せて、少年は名乗り出る。


「僕はフォール・デュエル。ライズの弟です。いつも兄がお世話になっております」


 その自己紹介に、言いようのない不安と吐き気を催しながら、ライズは奥歯をぐっと噛み締めた。



 ライズが弟の顔を見るのは、本当に久々である。この学園に来てから家には一度も帰っていないから、十年も前になるか。何と言うべきか、見違えた。軟禁生活を送っていた頃も顔を合わせる事はあるにはあったので当時の顔立ちはそれとなく覚えているが、その成長した姿にはライズも気が付かなかった。


「この学園に来たのは今年からなんです」


 ライズの弟フォールは自分の身の上話をし始めた。フォールを知っているのはライズとエレンのみであるが、他の面々も興味津々の模様だ。


「中等部を卒業する間際にここに行きたいと言ったんですが、当然のように反対されました」


 それはそうだろう。なぜ両親がライズをここに入れたのか、実家から遠く、そして圧倒的に規模が大きいからだ。小さな学校に入れて変に目立ち噂になるよりは、人を隠すなら人との考えで大きな学校で埋もれされるのが目的らしい。邪魔者を除けるために追いやったのに、身内がそれを追いかけては意味がない。


「それで、どうなったの?」


「父と賭けをしました。一騎打ちをして、僕が勝てばここへの入学を認める。僕が負ければもう何も文句は言わないと」


 そこまで言った所で皆が騒然とする。賭けの内容とフォールがここにいる事実を鑑みれば、結果がどうなったのか自然と導かれる。


「……前々から気になっていたんだけど、ライズ君の実家って『あの』デュエルなの?」


 クレアがライズに問を投げかける。今までそれとなく言わずにいた事だが、尋ねられれば答えねばなるまい。元々秘密にしていた事でもないから、問題はない。


「剣鞘流開祖デュエル家の事を言っているのなら、その通りです」


 やはり、といった様子で目を細め、クレアはフォールを見る。


「えっと、じゃあフォール君って強いの?」


「強いわね。少なくとも、武芸をやっている父親を倒すくらいには」


 予想通りデュエル家など知らないクルルが的のやや外れた質問をする。クレアがそれに答えるが、それもあまり興味なさげにふーんと聞き流す。


「何のためにここに来た」


 今度はライズがずっと心に秘めていた質問をぶつける。


「規模の大きい軍事学科が魅力的だったんです。正直、あのまま平凡な学校にいたら実力も伸びなかったでしょうし」


「そうじゃない。なんで俺の所にわざわざやってきたんだ」


 ライズの追及に、少し困った顔をする。そして少し恥ずかしそうに咳払いをする。


「戦闘の参考になるかと思って小隊戦を観に行ったら兄が戦ってるんですよ。そりゃ気になってこの目で確かめたくもなりますよ」


 手を腰に当てる姿勢を必死の照れ隠しに使いながらフォールが言う。そのフォールを最大限凝視し、眉を寄せる。


「……それだけ?」


「はい。というか、敬語やめていいですか?」


「ああうん。いいよ」


 カイルと初めて出会った時といい、ライズの疑いは大抵外れる。絶縁状態の兄弟が突然やってきたのだ。嫌な予感の一つもするというものだが、思えばフォールはまだ十二歳程か。親も良からぬ事もさせないだろう。


「特に他意はないよ。兄さんが元気そうで何よりだよ。それじゃあ、僕はこれで」


「ちょっと待ってフォール君」


 逃げるように帰ろうとするフォールをクレアが呼び止める。この時点でライズはフォールが来た時とは違う意味での嫌な予感を覚える。


「なんでしょうか?」


「先輩、前もっていいますが隊にスカウトするのはナシですよ」


「え、何で?」


 こういう予想はよく当たるらしい。他人と関わりを持つようになったのはここ最近なのにどうしてわかるのだろうか。


「フォールはまだ一年生ですよ。いくらなんでも実力が追いついているとは思えません」


「あら、話を聞く限りでは実力は申し分ないと思うんだけど」


「そうではなく……ああもう、フォール」


「なに?」


「お前、紋様は使えるのか?」


 一見すると意味不明な質問。軍事学科の人間として紋様を扱えないというのは非常にまれだ。しかしフォールは苦い顔をして返事をやや渋る。


「一応使えます」


「実戦投入できるレベルか?」


 今度の問いには首を横に振る。これはクレアも意外だったのか、素直に驚きを見せる。


 フォールは体質的に紋様を上手く扱えない。身体が紋様を打ち消してしまうらしく、発現するかどうかも怪しい身体だった。ライズに二重紋様が発現した時はその事について周囲から嫌味を言われたが、その罵りに関しては何よりフォールが傷ついていたのをライズは記憶している。


「素直な武器のぶつけ合いで言えばもしかしたらクルルをも凌ぐかもしれません。ただ、紋様が絡めば話は別です。紋様が使えない兵士なんて、相手の良い鴨です」


「ライズ、言いすぎじゃないのか」


「問題ありませんよ。これは、フォール本人がよくわかっている事です」


 ウィルが制すが、ライズは止まらない。


「フォール、こちらから誘っておいて何だが、忘れてくれ。ハンデはあるが、実戦に出せる段階に来たら俺も歓迎する」


「……うん」


「えっと……ちょっといいかな」


 やりとりを見ていたクルルが手を上げる。全員の視線がクルルに集中し、自然に生まれる威圧感に気圧される。だが笑顔は崩さず、思いついた事をそのまま言う。


「ライズ君て紋様扱うの凄い得意だよね?」


「まあ、そうだけど」


「結構みんなに紋様学を教えてるよね?」


「……そうだけど」


 クルルがぴんと人差し指を立て、自信満々に言葉を続ける。


「ライズ君が紋様を教えればいいんだよ!」



 緊張して張り詰めた空気の中、ライズとフォールの兄弟は向かい合い、互いを睨みつける。武器は持っていないが、漂わせている気配は戦いのそれと何ら変わりはない。やがてフォールが一歩を踏み出し、同時に右手の紋様を発動させる。


 フォールの紋様は『蛇』。その能力は隠密。発動している間は自身の発する気配を一切消し去り、例え目の前にいようともその存在を感知させない非常に強力な紋様だ。しかしフォールの体質。紋様を弾いてしまうという体質が、その発動を阻害する。


「ほい」


「あう」


 ライズの右を通り抜けようとしたフォールの襟首を、ライズが掴む。確かに紋様は発動している。だが維持は全くと言っていい程にできていない。一瞬はフォールの姿を見失ったが、すぐにその気配は感知され、ライズに止められる。


 クルルの提案したフォールへの修行。その内容は、紋様を発動し歩いてライズの背後を取るというものだ。正直、いくらライズが紋様を得意としていてもフォールの問題点は体質にある。改善するにももう少しやりようはあるとは思うのだが、クレアからも「地道な修行で紋様を扱えるようになった前例はある」としてゴーサインが出てしまった。仕方なくこうして大和荘の裏庭でフォールの修行を手伝っているというのが、ライズの現状である。


「くっそー、上手く行かない」


「……少し休憩しようか」


 紋様は心の力。その意志に比例して形を変え、威力も変化する。適度な休憩を入れないと意識を保つのも難しくなってしまう。


「所で、帰る時間はいいのか? 寮に住んでるなら連絡……」


「え、僕、昨日からここに住み始めたんですけど、兄さんこそ連絡とか……」


 兄弟が目をあわせる。照らし合わせたかのような偶然。過去には自身の不幸を運命論に押し付けて現実逃避をしたこともあったが、まさかここでまた運命を感じてしまうことがあろうとは夢にも思わなかった。


「おーいライズ、フォール君昨日からここに越してたんだって。時間は気にしないでいいってクレア先輩が……」


 エレンが今更感溢れる連絡のため駆け寄る。ここでフォールも何かを察し、顔色をあからさまに変える。


「え、何? 兄さんとエレンさん、え?」


「……ここに住んでる。というか、第四小隊はみんなここで暮らしてるよ」


「あはは……私もさっき知ったんだけどね。私の部屋の隣だよね。これからよろしく」


 しばらく口をパクパクさせ何か言いたげにしていたが、やがて頭の中で処理を済ませたのか息を大きく吸い、その場にあぐらをかく。


「いろいろ言いたいことはありますが、わかりました。これも何かの縁でしょう。二人とも、よろしくお願いします」


「……フォール」


「何?」


「どうしてここに越してきたんだ?」


「交通の便がいいからです。学校も近いですし」


(同じ理由だ)


(同じ理由だわ)


 兄弟の、そして幼なじみの似た思考に親近感を覚えながら、ライズとエレンは互いに目をあわせる。そこでライズはエレンが右手に袋を持っているのに気付いた。


「エレン、それは?」


「これ? 二人ともお腹空いてるかなって思って、おにぎり作ってきたの。食べる」


 そういえばと思いライズは腕時計を見る。夕飯の時間が近い。もし仮にフォールが寮に住んでいた場合、本当に返さなければならない時間だ。特に空腹しながら修行していたわけでもないが、目の前に食べ物があるとわかると小腹がすいてきた。何より、さっきからフォールの目が輝いている。


「貰おうかな」


「そう来なくっちゃ」


 エレンが笑い、袋からおにぎりの入ってあるであろう小洒落た容器を取り出す。すでに座っているフォールにならい二人とも腰を下ろす。下は草が乱雑に生えてはいるが、不思議とあまり痛くもない。


「はい、フォール君」


「あ、ど、どうも」


 久々の再会に少し照れているのかフォールがぎこちなくおにぎりを受け取る。


「しかしまあ、フォールもでっかくなったな」


「こっちとしては兄さんの変わりようにびっくりしてますけどね」


「私からすればどっちもあまり変わってないけどね」


「フォールに気づくのに時間かかってただろ」


「あれは突然だったからよ。ちゃんと思い出したんだからいいでしょ」


 どこか懐かしさを感じる会話に花を咲かせる。いつだったか、こうして三人でピクニックに出かけ一緒におにぎりを食べた。当時のエレンは不器用で作ったおにぎりが全て崩れてしまい、泣いていたエレンを励ますようにライズとフォールがぼろぼろになったおにぎりを食べていたのを覚えている。


「どうしてエレンさんはここに来たんですか?」


「いろいろあったのよ。大和荘に来たのは成り行きだけどね。てかエレンさんなんて他人行儀な呼び方やめてよね。昔の呼び方でいいわ」


「……エレンちゃん?」


「その呼び方もなんかこそばゆいわね……まあいいわ」


 時が戻ったようだ。などと言っては詩的になってしまうが、ライズはそういった心地がしていた。確かに三人とも変わりはした。しかし、今も昔も関係は変わっていない。特にフォールは、家での軋轢があったらと心配したが、どうやら杞憂に終わったようだ。


「所で兄さん」


「ん?」


「クルルさんでしたっけ。あの人とはお付き合いしているの?」


 思い切り舌を噛んだ。


「ぐおお……」


「ちょ、ライ……大丈夫!?」


「塩が……塩が染みるうううう」


 勢い余って歯と歯もぶつけてしまった。突如襲ってくる激痛に耐えつつ、どうにかフォールの問に答える。


「別に付き合ってはいないけど……何で?」


「なんとなく、雰囲気で」


 確かフォールの前では殆どやりとりもしていなかったとは思うが、それでも付き合っているように見えるのだろうか。だとすると周囲からはどのように思われているのか、心配になってきた。


「というか今思い出したけど今週デートよね」


「デート!?」


「デートじゃない。一緒に遊ぶ約束しただけだよ」


「デートだよねそれ!?」


 やけに突然テンションが高くなるフォール。


「そんなに意外か?」


「意外っていうか……こんな事言うのもあれですけど、僕は家での兄さんしか知らなかったから……こう、他人と仲良くしてるというか、異性とどこかに行くなんていう兄さんの姿が想像できないというか」


 確かにライズの心境に変化があったのはここ最近の事だ。しかし、まさか弟にここまで言われると流石に傷付く。一体フォールから自分はどう見えていたのか。


「私はむしろライズが変わってなくて驚いたけどな。そもそも、大変な事になってたのなんてここに来てから知ったし」


「変わってないって言われるのもなんか妙な気持ちだ。俺はこれでも大きく変わったつもりだから」


「それにしてもデート……兄さんが……」


 未だ驚いているフォール。何か妙な行動でも起こさなければいいがとみつめながら、ライズはおにぎりの最後の一口を飲み込み、指についた塩やらでんぷんやらを舐め取る。


「一度クルルさんとは手合わせをしなければ」


 やはり妙な事を考えていた。


「やめとけ。絶対勝てない」


 四年生学年ランキング七位。それがクルルの地位だ。瞬発力を爆発的に強化する『虎』の紋様に注目が行くが、彼女自身素の能力も高い。総合力で見て、紋様もまともに扱えないフォールの勝ち目など万一にもない。


「だったら、強くなるまで! 兄さん、続きやろう!」


「よし、その意気だ」


 仲睦まじい兄弟のやりとりにエレンは思わず笑みをこぼす。自分の望まぬ場所で暮らすことになってしまったと一時は悔やんだが、こうなるのならばここで暮らし続けるのも悪くない気がしてきた。


「あ、そうそう」


 一つ、エレンは思い出す。なんてことはない要件だが、思い出した以上伝えねばならないだろう。


「クレアさんが『ネタごちそうさま』だって」


 直後に崩れ落ちたライズに首を傾げたが、結局その理由はわからなかった。

「……うーん、もう少し幼くしてもいいのかなあ……?」


 クレアの部屋、そこでクレアはクルルに今週あるライズとのデートに着て行く服の相談に乗っていた。というのは数分前の話。今は遊び心の働いたクレアがひたすら着せ替えを楽しむ時間となっている。


「僕はもう少し大人っぽくなりたいんですけど……」


「それはよくわかるんだけどね。クルルちゃん小さいでしょ? 大人っぽく見せるにも限界があるのよ」


「うう……せめてライズ君と釣り会うくらいには大人っぽくなりませんか?」


(十分なくらい釣り合ってるのよね)


 本心は隠しつつ、着せ替えを楽しむ。


「となると……髪結んじゃう?」


「……髪留め嫌いなんだけどなあ、仕方ないかなあ」


「おーっすクレア。材料買ってきたぞ。てかなんでいきなり俺が飯作らないといけないんだよ」


 練習帰りに服やアクセサリーやデートスポットやらをライズに教えようとしていたウィルが部屋に入る。すぐに床に散らばっている服に気づき、そしてクルルがいた事から状況を察し目を伏せる。が、あまりの光景にウィルは下げた視線をすぐに戻した。


「何やってんだ?」


「クルルちゃんがデートに来ていく服を考えてるのよ」


 ウィルが驚いた理由は、クルルの着ている服にあった。


 黒を基調としたドレスに大量のフリルやレースで彩られ、頭にはちょこんとリボンが添えてある。どこまでも少女趣味なファッションである一方、その色からは少女的要素とはかけ離れた禍々しさを感じさせる。ゴスロリと呼ばれる服を、クルルは着せられていた。


「なあ、ガチでそれ着せていく気なのか?」


「そんなわけないじゃない」


「えっ!?」


 驚いたのはクルル。当然だ。今の今まで遊ばれていたのだ。これは怒ってもいい。


「クレア先輩?」


「わーごめんなさい。実は着せようと思ってる服ならもう用意してあるのよ」


 そう言うとクレアは押入れを開け、中から段ボールを一つ取り出す。


「はい、これ」


 段ボールからビニールに包まれた袋を取り出し、見せる。広げられているわけではないため服の形は分からないが、純白であることはすぐに確認できた。


「……これは?」


「以前、イメチェンしようと買ったはいいけど着る勇気が出なくて押し入れの肥やしになっていたワンピースよ。二年くらい前のだしサイズももう合わないからクルルちゃんにあげるわ」


 そんな物を買っていたのかとウィルは薄く笑い、買ってきた食材の入った袋を床に降ろす。


「俺は外出てるから試着するといい」


「当たり前でしょ。てかなんであんたがここにいるのよ」


「何でだろうな。お前の分も夕飯作れってメールが着た気がするんだよな」


 いつもの言い合いをしながらウィルは外に出る。裏庭ではライズとフォール。そしてエレンらしき声が聞こえる。ライズとエレンが幼なじみと言っていたし、フォールとももちろん面識があるのだろう。


「さて……」


 しばしだが孤独になる。買いに行った食材に不足はなかったかと記憶を辿るが、いかんせん実物が手元にないので確認しようがない。


「白のワンピースか」


 さぞかしクルルには似合うだろう。巷では『魔女の黒猫』などと呼ばれてはいるが、純真無垢な彼女に似合うのは黒ではなく白だ。あれほどまでの人気を得るレベルの端正な愛らしい顔立ち、本当に軍事学科かと見紛う細く小さい身体、完全ではないがそれでも紋様が人類に広まってからは珍しくなった黒い髪。その全てを引き立てるのが白という色だ。それをクレアも理解しているのかは知らないが、男であるウィルから見て最も望む色を選んだのは真に慧眼であると言わざるを得ないだろう。


 ちなみにクルルには白が似合うという話を以前ライズに熱弁したが、普通に引かれてしまった。もしかしたら同意の上で照れ隠しに引いたふりをしているのではとも思ったが、あの目はまさに引いていた。


 そしてついでにウィルはクレアの言葉を思い出した。イメチェンのため、二年前に買ったと言っていた。恐らくその服を見せたかった先は前第四小隊の隊長だろう。わかってはいることだが、それでもそう思ってしまうと心が痛い。


「……はあ、やめやめ。ネガティブ思考は俺には似合わねえよ」


 思考を変える。もし、クレアがあの服を着たとしたらどうなるだろうか。色くらいしかわからないが、この季節のワンピースというくらいだからノースリーブだろう。ノースリーブのワンピースというと肩が露出されそのまま強調されるわけなのだが、彼女の場合は少し違う。クレアが素肌を見せる服を着ると、そのまま胸が強く主張されるのだ。


 そう、胸がこれでもかと主張するのだ。普段は以前の学科の名残で白衣を着ているが、彼女は胸が大きい。しかも身長が低いため更に大きく見えるのだ。残念ながらあのワンピースがどれほど胸元の開いたものであるか不明だが、少なくともノースリーブであった場合服の横から見える胸がなんとも言えぬチラリズムを醸す。世の男子ならばクレアの胸に目が行かないなどということはない。ワンピースの横から見える乳ならばなおさらだ。よし決めた。今度はクレアの胸について熱弁してみよう。これならばライズも食いつくはずだ。


「ウィル、入っていいよ」


 クレアがドアを開けてウィルを呼び込む。今までやましい妄想をしていたとは微塵も感じさせない普段通りの表情で振り返ると、短く返事をして振り返る。


「……」


「何、どうしたの? クルルちゃんのワンピース姿見ないの? すごい似合ってるわよ」


「なあ、さっきお前、結局着なかったって言ってたよな」


「ワンピースの事? 恥ずかしいからあんまり聞かないで欲しいんだけど」


「……似合うと思うけどな。今度着てみろよ」


「え……」


 下心全開の提案をぶつける。そこには好きな人の美しい姿を見たいなどという考えはない。あるのは横から映える胸と、あわよくば開いた胸元から拝見できる谷間を見たいという欲望だけだ。


「……似合うと、思う?」


 そんな欲望まみれの言葉であるとは露知らず、思わぬ言葉に柄にもなく顔を赤らめるクレア。


「ああ、見てみたいな」


 すかさず言葉を続けるウィル。しかしその意味は欲望にまみれている。ウィルの言葉の最後に注釈を付けるならば「おっぱいを」であろうか。


「……ば、馬鹿言ってないで入りなさいよ。虫が入るでしょ」


「はーいはい」


 やはり無理かと諦めつつ、ウィルは部屋に入る。すぐに見えたクルルのワンピース姿に思わずガッツポーズを取ったらクレアに蹴られた。蹴られた理由はわからないが、ウィルの想像した通りのノースリーブだったのだ。喜ばずにはいられないだろう。


 結局、ウィルがクレアにかけた言葉の表面的な意味に気付いたのは、夜にクレアのワンピース姿を再び妄想した時であった。

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