四、民衆の声は神の声
印刷された文字化けメールの内容を、一瞥すると堺ツユはこう言った。
「話になりません。あなたは、一体、何を言っているのですか?」
それから少し後で、
「まさか、これが暗号文で、これを解読すれば、この宗教が違法性サービスを提供しているという事が分かる、とでも仰るつもりですか?」
と、そう続ける。神谷はそれに、「少し違いますね」と返した。
「仮にこれが暗号文だとしても、その意図は予想もつかないというのが正直なところです。何しろ、発信元は不明という事になっていますから。しかも、これは不特定多数の人に対して、ばら撒かれたものです。ま、普通に考えれば、証拠にはなりません」
「“仮にこれが暗号文だとしても……”。つまり、それが何を意味するのかすらもあなたは分かっていないのですね? 私を馬鹿にしているのですか? そんなものは、よくあるスパムメールが文字化けしたものに過ぎないでしょう」
いかにも呆れた感じで、ツユはそう言った。しかし、神谷はそんなツユの様子から、わずかばかり余裕が消えている気配を感じ取っていた。動揺している?
「ところが、世の中には、奇特な人がいましてね。このスパムメールの発信元を調べた人がいるのですよ。もちろん、覆面はかけられていましたが、それらを除いて、辿って辿って辿り着いたのです。そして、それは、なんとこの七つ子教のメールサーバーだった。
どうです? 奇妙だとは思いませんか? どうして宗教団体に、そんなスパムメールを流す必要があったのでしょう? もちろん、それをやったのが、この宗教の誰なのかまでは、分かってはいないのですがね」
ツユはそれを笑う。
「その情報はどこまで信用できるのでしょう? そもそも、発信元を調べ間違っている可能性もあります。罠に嵌って、誤情報を掴まされている、というのは、ネットの発信元に関しては、よくある話のはずですが。そんな情報を根拠に話をされても困ります」
それを聞くと、神谷は「なるほど」とまずは言い、こう続けた。
「仰る事は分かります。しかし、まだこの話には続きがあります。実は、一見、文字化けのように思える“文字”を開発した人間達がいましてね。この文字化けメールが、仮に誰かに宛てたメッセージだとするのなら、その人間達の誰かが書いたもの、という線が濃厚になるのですよ」
ツユはそれを聞くと、こう言う。
「ふーん。それに私どもが関わっているかどうかは別問題にして、興味深い話ではありますね。その“人間達”とはどんな者達なのですか? どうせ、仰るつもりなのでしょう?」
「もちろん。その“人間達”とは、矮躯童人達の事ですよ。あの例の、家畜化された人間達ですね。正確に言うと、2005年の“人間牧場事件”で摘発された時に見つかった矮躯童人達の“小社会”が開発した言語だ」
「矮躯童人達の言語ですか? 悪いですが、それも都市伝説の一つですよね?」
「おや? お詳しいのですね」
「私共の宗教は、童子信仰を基にしていますので、“矮躯童人”に関しても、それなりに調べております」
それを聞くと神谷は数度頷いた。簡単にはいかない、と思いながら。
「確かにその通りです。文字化けのように思える言語を用い、矮躯童人達は自分達を支配していた人間達に見つからないようにしながら、互いに連絡を取っていた。そのような文字が、比較的多く、“人間牧場”の中から発見されたことから、そんな予想が立てられている、と、ただそれだけのものです。まだ文字であると断定された訳ではありません。
しかし、です。その“文字化け言語”がこの七つ子教から発信されているとくれば、話は少し違ってくる。少しばかり偶然が過ぎますよね? 知らないとは言わせませんよ。今のあなた達の御神体はずっと子供の姿のままだと言われている。つまりは、矮躯童人である可能性が濃厚です」
ツユはそれを聞くと、首を横に振った。
「今までのあなたの話は、全て噂などの不確かな情報ばかりを基にしている。とてもじゃありませんが、まともに話ができる内容ではありません」
「確かにその点は認めましょう。ただし、だからこそ、僕はこうして取材をしているのです。それを確かめる為に。
それに、まだ関連性はあるのですよ。2005年。あの“人間牧場事件”の前に、白秋という名の矮躯童人が消えている。そして、この宗教はその同時期に、新たな“御神体”を選んでいる。性サービスの噂が囁かれるようになったのは、2005年からだ。いくら何でも、偶然とは思えない。噂とは言っても馬鹿にできないのですよ。火のない処に、煙は立たない。全てが真実ではないにしても、何かがある可能性はかなり高い」
ツユはその神谷の説明を聞くと、少しの間を作った。何かを考えているようにも思える。そして、それから、こう応えた。
「その“火”がまったく、勘違いの何かである可能性もありますけどね。ただし、確かに噂は馬鹿にできないかもしれません。何かがあったからこそ、噂が立ったのでしょう」
認めた?
それに神谷は少し驚かされた。知らぬ存ぜぬで通せば、いくらでも誤魔化せる内容なのだ。それに、何故か、この巫女は微笑んでいるようでもあった。それから、ツユは淡々と語り始めた。雰囲気が少し変わっている。
「“王権神授説”というものをご存知ですか? これは、王は神が選んだという考えですね。だからこそ、王が誤りを犯せば、天が荒れ、地が震える… つまり、神が怒って天変地異を起こすのです。そして、この同列に並べられているものに、実は“噂”もあります」
神谷はそのツユの語りに困惑した。ツユはすっかり落ち着いた様子に戻っていたのだ。なんと言うか、まるで演技でもしているかのような。少なくとも、神谷にはそれが19歳の小娘の態度とは思えなかった。
……そういえば、七つ子教は神楽をやると聞いた事がある。この娘は、何かの役を演じることで、精神をコントロールする術を身に付けているのかもしれない。
「突然、宗教の話ですか? いきなり、そんな事を語って誤魔化そうとしても無駄ですよ…」
そう神谷が言うと、「あら」とツユは言い、こう続けた。
「私は巫女です。本来、こういう事を喋る立場の人間ですわ。安心してください。誤魔化すつもりなどありません。続けさせてください。
朝日新聞のコラムのタイトルに、“天声人語”というものがあります。これは、“民衆の声は神の声”に由来する造語だと言われています。神が怒って天変地異を起こすように、神が怒って噂を生じさせる。まぁ、支配者に対してダメ出しをしているのですね。この発想、天変地異は別にして、噂に関しては、それなりに理に適っているとも言えます。民主主義の発想は、言うなれば、民衆の声を政治に反映させる事で、社会を微調整すること。“民衆の声は神の声”で、それを警句として受け入れても、同じ事ができます。更に、これは集団的知性を活用する手段としても捉えられるでしょう」
神谷はツユの話を聞きながら、やはり誤魔化されているのでは、とそう思う。
「それがどうしたのですか? 今回の話とは関係ないでしょう?」
すると、ツユは笑った。
「あら? あなたが情報源としている“噂”を支持してあげているのですよ、私は。大いに関係がありますわ。それとも、やはり、噂なんて当てにならないと仰いますか? それならそれで、別に私は構いませんが」
神谷はそれに「いや、僕が重要だと言っているのはその関連性で…」と続けようとしたのだが、それを強引に遮ってツユは続けた。
「古代中国には、童謡というものがあります。これはわらべ歌ではなく、先ほどの、神からの警告の事です。奇しくも“童”の文字が使われていますが、それは純粋な子供の方が神と通じ易いからだと言われています。なので、子供に限ったものではありません。
この童謡は、日本にも輸入され、“ワザウタ”と呼ばれるようになりました。ワザウタのワザは災いの“わざ”にも通じるとされ、実際に凶兆を示す歌謡が多いそうです。つまりは、神が民衆を通じて、不吉な噂を流したという事ですね」
そこまでをツユが語り終えたところで、突然、窓の外から何かの唸り声がした。「ウー」と唸っている。大きな獣の気配。思わずツユの語りに聞き入っていた神谷は、不意打ちのようなそれに、わずかばかり怯えた。
「安心をしてください。飼っている犬ですわ。少しばかり大きいもので」
その神谷の様子を見ると、ツユは可笑しそうに笑いながらそう言った。お蔭で神谷は、少し冷静になる。我に返ったのだ。そして、ツユが何を意図してそんな事を言っているのかに思い当たった。こう言ってみる。
「もしかしたら、あなたは、僕が拾った噂話は“自分達に対する悪い噂”ではなく、むしろ“政治に対する悪い噂”だ、とそう言いたいのですか?」
そう。七つ子教を性サービス提供の場として利用しているのは、政財界の大物であるとされているのだ。これは、間違いなく政治絡みのスキャンダルなのである。それを聞くと、ツユはコロコロとした声で笑った。
「そう断言したつもりはありませんが、その可能性はあると思っています。政治不信。それが、そんな噂として形を変え、流れているのではないか?と。私共の宗教は変わっていますからね、その材料にされるのは充分に考えられます」
そう言い終えた後で、ツユは少し間を作り、続ける。
「ですが、だとすると、私達はその政治の犠牲者という事になりますね。政治不信のとばっちりを受けている」
その発言に神谷は危機感を覚えた。この小娘、口が上手い、と思う。やはり、上手く誤魔化されているような気がする。有効な情報や証拠を提示された訳でも何でもないのに、見事に話題が政治に移されつつある。神谷は何とか抵抗を試みた。
「それは、飽くまで仮定の話であって…」
「あら? あなたの話だって、仮定の話ではありませんか?」
「僕の話には、無視できない関連性が…」
「そうですね。そんな関連性があったからこそ、そんな噂が生まれたのかもしれませんね」
しかし、抵抗しても、あっさりと返されてしまった。この女…、と神谷は思う。何か、場馴れしている気がする。それからツユは「フフ」と妖艶に笑うと、こう言った。
「記者さん。あなたは、何故、そんな事をお調べになっているのでしょう」
神谷自身の事ついての質問。つまり、ターゲットが彼になったのだ。神谷は、言葉と雰囲気に呑まれかけている己を感じた。
まずい…… 気がする。なんとか、話題を変えなければ。
具体的に、何がどうまずいのかは、自分自身にも分かっていなかったのだが。