第7話:追放された『天才』と、脳内オーバーヒート
「……はあ、めんどくさい。人間って、どうしてあんなに無駄な音波を放出して会話するのかな」
王立魔法学園の最も深い最下層。ホコリとカビの匂いが漂う『開かずの地下書庫』。
無数の古文書が雑多に積み上げられたその最奥で、少女が一人、薄暗い魔導ホログラムの光に包まれていた。
ノイズキャンセリングの魔導ヘッドホンを首にかけ、大きめの制服のだらしない着こなし。
彼女こそが、学園の魔力測定で『測定不能』と判定され、不気味な異常者としてこの地下深くに隔離・放置された生徒——七瀬由奈だった。
彼女の瞳には、常人には見えない無数のデータラインと地脈の暗号波形が、目まぐるしい速度で投映されている。
「学園の防衛結界のコード、相変わらずバグだらけ。こんなの、あと数ヶ月で自家中毒を起こして自滅するのに……誰も気づかないんだもん。愚かだなあ」
由奈は大きく欠伸をすると、積み上がった本を枕にしてゴロンと横になった。
学園の教師もエリート生徒も、誰も彼女の『並列演算領域』という超規格外の知性に気づいていない。彼女自身すらも、自分の才能の正体を知らないまま、ただ周囲のレベルの低さに退屈していた。
ただ、彼女の記憶の奥底には、どうしても思い出せない「何か」が、いつも冷たい棘のように引っかかっていた。
◆
カツン、と静かな足音が地下書庫に響いた。
ホナ・アユミリスは、漆黒の防護スーツではなく、昼間の地味なFランク令嬢の制服姿で佇んでいた。
懐に忍ばせているのは、先日奪取した最重要機密ファイル『プロジェクト・クロノス』の解析データ。
(学園の実験によって異世界から魂を引き寄せられ、記憶を改ざんされた被検体コード:YUNA−07……。この地下書庫に幽閉されているというのは、間違いなさそうね)
ホナは冷徹に感情を殺し、チェスプレイヤーとしての理性で角を曲がった。
記憶のない由奈先輩を安全に回収し、自分のシェルターのメインCPU(解析防壁)として組み込む。それが最も合理的でリスクの低い選択のはずだった。
——だが。
「ん……? だれ……?」
本に埋もれて体を起こした由奈と、完全に視線がぶつかり合った、その瞬間。
【緊急警告:対象『七瀬由奈』の網膜認識を完了】
【データベース照合:一致率九十九・九%】
【ホナ・アユミリスの脳内演算システム:重度エラー発生】
【心拍数:急上昇/体温:上昇/理性的思考プロセス:強制フリーズ】
(っ……!? ゆ、由奈……先輩……っ!?)
高校時代、ホナ(歩実)が心から憧れ、リスペクトしていた絶対的学園アイドルの面影。
普段ならコンマ数秒で冷徹な最適解を弾き出すホナの超高性能な脳内CPUが、一瞬で真っ赤な警告音を鳴らしてオーバーヒートを起こした。
(あ、あり得ないわ! いくら異世界の記憶を保持しているからって、こんな……胸の奥がキュッとなるような無駄な動悸が起きるなんて! 私は冷徹なプロの運び屋『アッシュ』よ!? 落ち着きなさい私!)
前髪の奥で顔を真っ赤にし、必死に「無表情なペルソナ」を維持しようと固まるホナ。
そんなホナの狼狽ぶりなど露知らず、由奈は目を擦りながら、猫のようにふらふらと近づいてきた。
「ふあぁ……。君、だれ? クラスのやつらなら、また私を『エラーの気味が悪い奴』って追い出しに来たの?」
「っ、ち、違います……! 私は……Fランク生徒の、ホナ・アユミリスです……」
声がわずかに裏返る。冷徹なチェスプレイヤーの威厳はどこへ行ったのか、完全に憧れの先輩を前にした「挙動不審な後輩」そのものだった。
「ふーん……ホナちゃん、か」
由奈はホナの顔をじーっと覗き込むと、鼻をフリフリと鳴らした。
「ねえ……不思議だな。君のこと、全然覚えてないはずなのに……すごく、懐かしい匂いがする。甘くて、理屈っぽくて、なんだかすごく安心する匂い」
「っっ〜〜〜〜っ!?」
近距離でのエンカウント&無自覚な殺し文句に、ホナの脳内温度は臨界点を突破した。
【精神ステータス:キャパシティオーバー】
【警告:正体判明リスクを検知。ペルソナの再構築を急いでください】
(バレる……っ! 私が後輩だってことや、裏で『アッシュ』なんてコードネームを名乗ってイキっているのがバレたら、先輩にどう思われるか……っ!!)
ホナは激しい自己嫌悪と焦燥感に苛まれながらも、必死で咳払いをして声を整えた。
「……た、たわ言を言っていないで立ち上がりなさい、七瀬由奈さん。あなたのような『規格外の知性』を、こんな湿気た地下で腐らせておくのは、私の計算上……激しい『リソースの損失』です」
「え……?」
「学園のバグだらけのシステムは、あと数ヶ月で完全に破綻します。……私と一緒に来なさい。あなたに、本当の『並列演算』に相応しいメインフレームを用意してあげます」
◆
「……へえ。君、面白いの持ってるじゃん」
ホナが提示した、神造魔獣とシェルターのシステムコード『HAYNSR』。
それを見た瞬間、由奈の眠たげだった瞳に、かつてのカリスマ学園アイドルを思わせる鋭く美しい光が宿った。
「曜日の概念から『Y』だけを排除した配列……。でも、これ、単数形だとセキュリティが甘くない? イニシャルだけなら『HAYNSR』の六文字になっちゃうよ」
「……っ!!」
さすがは由奈先輩。一瞬で暗号の欠陥に気づいたのだ。
だが、ホナは内心で「よし!」と叫び、不敵な笑みを浮かべた。
「ふふ……そんな浅い暗号を、この私が組むとお思いですか? これは単数形ではなく、私たちが三人で存在する証明——集合体を定義する複数形の『S』を組み込んだ【七文字】の暗号《HAYNSRS》。そして『S』が示すのは、あなたの『7《Seven》』よ」
「あはっ……! すごい! 君、めちゃくちゃ頭いいね!」
パッと顔を輝かせる由奈。
尊敬する先輩から素直に褒められ、ホナは内心で「勝った……!」とガッツポーズを決めつつも、澄まし顔でメガネ(伊達)の位置を直した。
「(……危なかったわ。アンチ層の浅はかなツッコミ対策に用意しておいた『複数形のS』のロジックが、まさか先輩相手にこんなに完璧に決まるなんて……!)」
ホナは確信した。
学園に記憶を奪われ、エラー品として捨てられた天才・七瀬由奈。
彼女を自分のシステムに組み込んだことで、崩壊する世界を生き抜くための三人の鍵——『ホナ(実行・時間管理)』『リーネ(生産・インフラ)』『由奈(解析・防壁)』が、ついに完璧に揃ったのだと。
(待っていてくださいね、由奈先輩。学園の連中からあなたを完璧に防衛し、奪われた記憶の修正コードを……私が必ずデプロイしてみせますから!)
重く垂れた前髪の奥で、ホナの瞳はかつてないほどの熱と決意に燃え上がっていた。(第8話に続く)




