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第19話 朗読会・後編

 

 パン!


 いつものように安芸さんが両手を叩く。

 演技開始のキッカケが入れば、もう私達は台本の中に生きるキャラクターだ。

 台本に書かれている最初のセリフはC。

 C役の私の一言で、この朗読の空気感が決まると言っても過言ではない。

 慎重に。だからと言って守りに入らずに。

「はぁ……もうこんな時間。楓歌ちゃんには先に帰っていいと言われたけど、やっぱり手伝った方がよかったかしら」

 静まり返った会議室に私の声が反響する。

「……」

 私のセリフの後、みんな黙っていた。

 別に次の人がセリフをトチっているわけではない。

 これは ”間(ま)” だ。

 音の存在しない ”間" も芝居の一つだ。

 間は怖い。

 間の取り方は完全に役者に委ねられるからだ。

 役者は前後のセリフから芝居に即した適切な間を読み取らなければいけない。

 非常にセンスの問われる技術だ。

 たっぷりの間を取って、次のセリフを担当するケーキちゃんが息を大きく吸う。

「こんばんわ」

 え!?

 予想もしていなかった低音が耳に届く。

 ケーキちゃんの取った間が適切だったかどうかなんてどうでも良くなるくらい、その声には存在感があった。

「小雪ちゃん。僕だよ。三春(みはる)だよ」

 喋っているのは間違いなくケーキちゃんだ。

 普段あんなに可愛い声なのに、同じ声帯から出ているとは思えないほど低い声だった。

 ケーキちゃんは気持ちの悪い笑顔を浮かべながらセリフを続ける。

「楓歌(ふうか)を迎えに来たんだけど残業みたいだね」

 声に圧倒されている場合じゃない。

 私も芝居を続けないと。

「こんばんわ三春さん。楓歌ちゃんはもう少しかかるみたいですよ」

「そうだったんだね。それではここで待つとしよう」

「では私はこれで……」

「おっと待ちたまえ。少し話でもどうだろうか?」

 人の言葉に言葉を被せてくる自己中心的な性格。

 誠実さの欠片も感じさせない粘度の強い声。

 台本を読んで全く好感の持てない男だと感じていたけど、ケーキちゃんの演技で更に不愉快さが増している。

 それはつまり彼女が上手くキャラクターを表現できているという証(あかし)だ。

「仕事が遅くなってしまったので夕飯の支度を早く済ませたくて。もう帰るところでした」

「では楓歌の仕事が終わるまで一緒に食事でもどうだろう? 近所にいいお店があるんだ」

「お誘いありがとうございます。でも今月は懐が厳しいのでなるべく節約したいんです」

「安心したまえ。僕が誘ったんだから当然僕が支払うよ」

 CとしてはAへの嫌悪を感じつつも、私個人としてはケーキちゃんの演技に関心していた。

 この声を聞いているとベッタリと男の下心が乗っているように感じる。

 不審者のような怪しいだけの喋り方ではなくて、社会的な立場を持った成人男性が邪(よこしま)な目的を持って喋っているように聞こえる。

 凄い。

 喋り方一つでこんなに聞き手に想像させるもんなんだ。

「本当に結構です。それに楓歌ちゃんにも悪いですから」

「楓歌の同僚と仲良くするくらい問題ないよ。気に病まないでくれ」

「でも……」

「恵輝(けいき)さん?」

 ここから楓歌ちゃんが入って来る。

 いつもより少し低めの落ち着いた大人っぽい声だ。

 表情も不安そうで、しっかりとBの役に入っている。

「どうしてここに恵輝さんがいらっしゃるんですか? 今日は仕事で遅くなると連絡を頂いていたと思いますが」

「ああ。思ったより早く終わったんだ。君こそ早かったね」

「はい。部長が早めにあげてくれたんです。それよりも小雪ちゃんに何か用事でしたか?」

「いや、君の話をしていただけだよ」

「そうですか」

 あまりにも静かな「そうですか」の言い方に鳥肌が立った。

 ケーキちゃんの演技もうまいけど、楓歌ちゃんのこういう何気ない一言を際立たせるセンスも負けていない。

「ところで恵輝さん。聞きたい事があるんです」

「こんな所で? 家に帰ってからではいけないかな」

「今ここでしたいお話です」

「……分かった。話したまえ」

「先日、恵輝さんのお部屋でお花を見かけたのですが、あれはどなたから頂いた物なんですか?」

「僕の部屋に勝手に入ったのか? それは良ろしくないな」

「ごめんなさい。恵輝さんのお部屋も私が掃除させて頂きました」

「僕の部屋は僕が掃除すると伝えてあったと思うがね。まあいいだろう。あの花は誰かから貰った物ではないよ。僕が造ったものさ」

「ご自分で花をお造りなさったのですか?」

「ああ。あれはプリザーブドフワラーといってね。花に特別な処置をほどこして長く保存できるようにした物なんだ」

「そういった物に興味があったんですね」

「何にでも興味はあるさ」

 何とも湿度の高いやり取りだ。

 声がつくと文字で読んだだけでは感じられなかった嫌な空気が立ち込めているのが分かる。

「何にでも興味はある……ですか。それは小雪ちゃんにもですか?」

「勿論あるさ。君の同僚なんだから」

「……それ以上の、興味があるんじゃないですか?」

「君は何が言いたいんだい?」

「恵輝さんの心は今でも私の元にありますか?」

「何を突然。誓って僕は今も君を思っているよ」

「……嘘つき」

 楓歌ちゃんの雰囲気が変わった。

 ここからはBが感情を出していくシーンだ。

「どうして嘘をつかれるのですか? 恵輝さん、小雪ちゃんを知ってからというもの、彼女しか目にないじゃないですか」

「何故そう思うんだい?」

「先程のお花の話。部屋で見かけたのは青い花でした。以前私が小雪ちゃんの好きな色を話した事を覚えていたのですよね? だから青色の花を用意したのではないのですか? 彼女に渡すために」

「仮にそうだとしたら君はどうするんだい?」

「私、悔しくて花を捨ててしまうかも」

 楓歌ちゃんが怖い。

 A以上にネットリとした喋り方になってきた。

 何より前髪の隙間から見える目の集中力が異常だ。

 あんな目で見つめられたら、それだけで気圧されてしまいそうだ。

「花の一つで君の勘違いが正せるなら安いものだ。好きなようにするといい」

 そんな圧を受けつつも、知らぬ存ぜぬと躱(かわ)すケーキちゃんのAも肝が据わっている。

 場が殺伐としだして楽しくなってきてしまった。

 いや、Cとしては針のむしろなんだから楽しんでいる場合じゃないんだけど。

「冷たい言葉。どうしてそんなに冷たい方(かた)になってしまわれたんですか?」

「そうかな。僕は誠意を持って接しているつもりだよ。小雪ちゃん。君はどう思う? 僕は冷たいと思うかい?」

 ここから私もこの殺伐とした空気の中に混ざっていく。

 2人の空気に流されない様に強い意志を持って演じないと。

「どうでしょうか。私はそれほど三春さんの事を知りませんから。ただ楓歌ちゃんが少し可哀想に思います」

「ほう? それはどういう意味かな」

「楓歌ちゃんは三春さんと本音で話したかったんだと思います。それを誤魔化そうとするなんて男らしくないのではありませんか?」

「……男らしくない? この僕がかい?」

 ケーキちゃんの声色が少し変わった。

 Aの余裕が無くなってきたのか、やや乱暴な感じだ。

「三春さんも本音で楓歌ちゃんと向き合ってあげて下さい」

「そうか。君達には僕がそう見えていたのか」

「三春さん?」

「分かった。君がそう言うなら僕も楓歌と本音で話そう。楓歌。君は僕に嘘つきと言ったね? ではこちらも言わせてもらうが、君こそ僕に嘘をついているだろう?」

「何のお話でしょうか」

「君が会社の部長を慕っている事に僕が気づいていないとでも思ったのか?」

「え?」

「お世話になっている内に絆(ほだ)されたんだろう? 君の帰りがいつも遅いのは、つまりそういう事だ」

「違います恵輝さん。私、そんなつもりはありません」

「どうだか。君が会社でどう過ごしているのかは僕には分からない。君が別の殿方に心を奪われていたとしても確かめようがないからね」

「三春さん待ってください。楓歌ちゃんは本当に部長とは何でもないんです。そもそも部長には奥様がいます」

「それが何の証明になると言うんだ。人なんてすぐに心変わりする生き物だ。君も裏では僕を男らしくないと蔑んでいるんだろう!」

「そんな筈ないじゃありませんか! 私が毎日、どれだけの時間、恵輝さんの事を考えているかお分かりになりませんか?」

「分かるわけないだろう!? 君だって普段僕が何をしているかなんて知らないじゃないか!」

 2人の演技がヒートアップしてきた。

 ここで2人を宥(なだ)めるのが私の役目。

 Cはこの2人のわだかまりを解いてあげたいと思っている。

 感情的にならずに。

 冷静に。

 理性的に。

 やめて下さいと伝えて、2人の言い争いを止めるんだ。

「だいたい僕はね……!」

「やめて下さいッ!!」

 …………あれ? 

 何故か叫んでしまった。

 とても冷静とは言えない声を出してしまった。  

「三春さん。言葉を荒らげるのはやめて下さい!」

 声を荒らげているのは私だ。

 おかしいな。

 ここは理性的に話すって決めていたのに。

 何故かどうしてもそうはなれない気分になっている。

「……小雪ちゃん?」

「三春さんの言っているのは何の根拠もない憶測です。もし本当にそう思っているなら、今から部長を交えてお話しましょう」

「何だって?」

「楓歌ちゃんが私を交えて話したように、部長も交えれば納得頂ける話です」

「そ、そんな訳にはいかないよ」

「では認めて下さい! 楓歌ちゃんにそんなつもりは無いって。楓歌ちゃんはずっとあなたの事だけを考えていたって!」

「う……うむ……」

 駄目だ。

 理性的になんてなれない。

 どんどん心の中がざわついてくる。

 こんなのCの感情じゃない。

 これは、私の感情だ。

 役とは言え楓歌ちゃんが誰かに責められているのに腹が立っているんだ。

 こんなクズみたいな男に、楓歌ちゃんが悲しい想いをさせられているのが耐えられないんだ。

 仲裁なんてできない。

 怒りが溢れて止まらない。

 感情に支配されてセリフを続けてしまう。

「分かりますよね? 今あなたが大切にしなきゃいけない人が誰なのか。一番想いを向けなきゃいけないのが誰なのか。そこを踏み違えてはいけません」

 このセリフは相手を諭すように言わなきゃいけなかった。

 こんな相手を責めるように言ったらダメなんだ。

 ここでAを責めたら、Aはこの後のセリフを素直に言えなくなる。

「……君は本当に優しい人だね」

 ほらやっぱり。

 私に責められたAのセリフの質が変わってしまった。

 いや、変えざるを得なくなってしまった。

 本来ここはAがCの理性的な言葉に説得されて改心するシーンだった。

 でも私が感情のままに責めたせいで、素直になれないAのセリフが嫌味の混ざったニュアンスに変わってしまった。

「観念しよう。正直僕は小雪ちゃんに惹かれていた。でも今の言葉で目が覚めたよ。僕が一番目を向けなければいけなかったのは楓歌だった」

 セリフの意味が全然変わってしまった。

 これだとヒステリックなCの本性が分かったから、AがCに見切りをつけたように聞こえてしまう。

 Aは何にも反省せずに、今まで通りクズのままBとの交際を続けるだろう。

 私が感情的になったせいでこんな展開になってしまった。

 私のせいで本来進むべき展開ではなくなってしまった。

 私が芝居を壊してしまった。

「楓歌。すまない。僕を許してくれるかい?」

「恵輝さん。私こそごめんなさい。もっとあなたと話をすれば良かった」

「これからいくらでも話し合おう。僕達にはその時間があるんだから。……小雪ちゃん。ありがとう。これからも楓歌と仲良くしてくれ。それと今までの非礼を詫びるよ」

「いえ……」

「それじゃあ行こうか。楓歌」

「はい」

 Aのセリフは全部嘘だ。

 その男の口から出ている言葉は全部嘘だ。

 心の中では舌を出している。

 何も変わっていない。

 そういう風に聞こえる。

 ごめん2人とも。

 完全に私のせいでおかしくなってしまった。

「小雪ちゃん。巻き込んでしまってごめんなさい」

「気にしないで、楓歌ちゃん」

「今度また食事にでも行きましょうね?」

「喜んで。楽しみに待っています」

「それじゃあ。さようなら」

「さようなら」

 このお芝居のタイトルである最後の「さようなら」は本来ポジティブなイメージで終わらなくてはいけなかった。

 なのに、どうにも煮え切らないネガティブな「さようなら」になってしまった。

 今後AとBはうまくいくのだろうか。

 結局何も変わらなかったAのせいで、私が演じたCと楓歌ちゃんが演じたBもいつか「さようなら」してしまうんじゃないだろうか。

 そんな印象を残した芝居になってしまった。


 パン! 


 再び安芸さんの両手が叩かれた。

 演技終了の合図だ。

「そこまで」

 合図と共に、私は台本で顔を隠して机に突っ伏してしまった。

 私のせいでこのお芝居は失敗だ。

 みんなに合わす顔がない。

「では感想会を始める。今回は趣向を変えて、演じたお前らが感じた事を話せ」

「師匠からの意見は無しですか?」

「基本的にはな。補足があれば加える」

 こういう時に限って演じた側からの感想を述べろだなんて。

 私から言えるのは謝罪の言葉だけだ。

 まずは黙って2人の感想を聞こう。

「誰かさんは死んでるみたいだし、ワタシから話すわね!」

 最初に話し始めたのはケーキちゃんだった。

「初めて合わせたにしては、なかなか面白かったと思うわ。基礎的な部分は一旦置いておいて、2人ともポイントは押さえていたんじゃないかしら。特に花見楓歌。アンタやるじゃない。ワタシの演技に質感を合わせてきたわね」

「うまく伝わってた? ミルキーちゃんの低音にびっくりしちゃってさ。これは負けてらんねーやと思って頑張ったんだ。この前見た、昔のドラマの空気感を思い出して演じてみた」

「少しあざとかったけど悪くないわ。オーバーなのは抑えればいいんだし。それに観客に聞かせたいセリフをしっかりと際立たせてたのは評価が高いわね」

「やったぜ!」

 ケーキちゃんの演じるAが少し古風な感じで喋っていたから、楓歌ちゃんもそれに合わせたんだろう。

 私もそれは感じていたのに、どういう声で演技をすれば古風になるのか分からなくて合わせられなかった。

「アンタはどうだったのよ?」

「私は好き勝手できて楽しかったな! 感情を爆発させるのは私のキャラが最初だったでしょ? だからミルキーちゃんがどれくらいの振れ幅まで付き合ってくれるのか試したくて遊んじゃった」

「それがキャラの崩壊にならないレベルに留めたセンスは褒めてあげるわ」

「ベタ褒めじゃーん」

「うっさいわね」

 2人ともそんな繊細な部分を楽しんでたんだ。

 私は自分の演技に精一杯でそこまでは気づけなかった。

 本当、この2人に比べたら私は劣っている。

「最後に七夕(たなばた)。いま感じている事を言え」

 安芸さんから話を振られるも、言いたい事は最初から決まっている。

「ごめんなさい」

 台本から顔を出して2人に謝った。

「私が感情のコントロールに失敗したせいで芝居が壊れました。あそこはあくまで中立的にAとBを宥めなきゃいけないのに、Aに対して攻撃的になり過ぎました」

 それが役の感情とは関係ない、私個人の感情だから弁解のしようがない。

 役に入っている時は役の感情を優先しなくてはいけないのに。

 あれは台本から読み取れるCの感情とは程遠い。

「そうかな? 私は小雪ちゃんの演技良かったと思うよ」

「そうね。別にありなんじゃない?」

「え!?」

 2人から予想だにしていなかった肯定的な意見が出た。

 だけどあの演技に肯定してもらえるような要素があったとはとても思えない。

「安芸さん。この台本って最終的にどういう解釈でもいいんでしょ?」

「そうだ。演出から指示が入らない限りは役者の解釈に任されている。だから七夕の演技でも問題はない」

「そうなんですか?」

「前にも教えたと思うが芝居は役者同士のコミュニケーションだ。相手のセリフを聞いて感情が動いたなら、それに従うのがスジだ。七夕は三春と花見のやり取りを聞いて、あの感情になったんだろ?」

「はい。でもあれは私の感情であってCの感情ではありません」

 Cが七夕小雪という役ならいいのかもしれない。

 でもCは私とは別の人格であり、私とは違う社会経験で生きているキャラクターだ。

 つまり私はCを演じ切れていないのだ。

「なるほど。ではお前を納得させるためにいい事を教えてやる。役を演じるには二つの方法がある」

「二つですか?」

「一つは自分を役に近づけるやり方。もう一つは役を自分に近づけるやり方だ」

「自分を役に近づけるか、役を自分に近づける……」

「台本からキャラクターを読み取り、キャラクターに自分をはめ込んでいくやり方。逆にキャラクターの主要部分だけを抜き出して自分にはめ込んでいくやり方。演技はどちらでも成立する」

「だけどみんなが役を自分に近づけたら、台本が崩壊しませんか?」

「安心しろ。そのために演出家がいるんだ。役者がやり過ぎたら演出家が調整する。台本は役者と演出家が一緒に料理する事で全く異なる味付けの物ができあがるんだ。そうしないと一つの台本は誰がやっても同じになるだろ?」

 確かにみんなが同じように演技をしていたら、役者が変わることの意味が無い。

 役者が変われば演技が変わる。

 演技が変われば解釈も変わる。

 その解釈があまりに台本とかけ離れていたら誰かが調整する。

 芝居に関してはそれが演出家の仕事なんだ。

「これは芝居に限った話じゃない。音楽にだって、絵画にだって同じことが言える。同じ楽譜を演奏しても、同じモチーフを描いても、そこに差が出るのは人に個性があるからだ」

「……言われてみれば、私達が遊んでいるTRPGも同じシナリオを別のプレイヤーがやったら雰囲気が変わったりします。やたらコミカルになったり、妙にホラー寄りになったりしますね」

「だからお前が最初に台本から読み取った展開だけが正解だと思わなくていい。今回みたいな着地点になるのもまた、芝居の奥深さと面白みだ」

 安芸さんの言う芝居の奥深さを楽しめるまでにはまだ至っていない。

 だけど、とりあえず大きな間違いを犯したわけでは無いと理解はできた。

「今回の場合は七夕の演技に合わせた三春がファインプレーだったな。あそこでAが変に改心していたら、キャラクターの感情がチグハグになってそれこそ芝居が崩壊していたかもしれない」

「ですよね! もっと褒めてもいいんですよ?」

 ささくれた私の心が癒されるくらいのウッキウキの笑顔を浮かべたケーキちゃんが、鼻高々に胸を張った。

「更に言わせてもらうと、七夕小雪がそういう気持ちになるような演技をしたのもワタシの凄いところだわ」

「え!?」

「つまりミルキーちゃんが小雪ちゃんの演技を誘導したってこと?」

「そ。台本を読んでここは遊べるなって思ったのよ。ワタシの誘いに乗ってこなかったら乗ってこなかったで普通にやればいいし、乗ってきたら迎え撃つ準備をしておいたの」

 開いた口が塞がらなかった。

 そう言われるとAだってBへの責め方をもう少しマイルドにできた。

 それをあえて激しくする事で、C役である私の感情を刺激していたんだ。

 すっかりケーキちゃんの掌(てのひら)の上じゃないか。

「もっとも七夕小雪の役への入り込み方が深いから成立したんだけどね」

「そ、それは喜んでいいの?」

「いいのよ。芝居は狂ってるのかと疑われるくらいに真剣にやらなきゃ。それにこんな平坦な台本、何かしら仕掛けないと面白くならないわよ」

「なるほど! 勉強になります!」

 ドヤ顔で語るケーキちゃんに楓歌ちゃんは感心しまくりだった。

 私も初めてケーキちゃんを心から凄いと思えた。

「三春。アドバイスするのは結構だが、悪い点も目立っていたからな?」

「え? ワタシに悪い点なんてありました?」

「お前は一言目のアクセントが強すぎだ」

「いやいや。嫌な男を演じるならあれくらい必要ですよ」

「聞いてて不自然なんだよ。度合いを考えろ。あれだと嫌な奴と言うより田舎者みたいな印象を与えるぞ。この時代にプリザーブドフラワーが出てくるなら、Aはそれなりにいい所に住んでいる富裕層だ」

「げ。そこまでは読み取れませんでした」

「花見もだ。お前は演技になると、さ行の滑舌(かつぜつ)が甘い。特に ”し” を逃げる癖がある。もっと口をハッキリ開(あ)けろ」

「は、はい!」

 あんなにうまくやった2人でもキッチリNGの指摘はあるみたいだ。

「それから七夕」

 当然私にもあるらしい。

「お前はもっと息を吸え」

「息ですか?」

「セリフの途中で息が足りなくなって声が極端に小さくなっていた。表現としてNGではないが、お前が意図してやった訳ではないだろ?」

「ぜ、全然狙ってやってないです」

 指摘されて初めて知った自分の弱点だった。

 芝居のコミュニケーションの方に集中しすぎて、技術的な面がおざなりになっていたみたいだ。

「セリフの技術は意識しないと上達しない。滑舌。鼻濁音。アクセント。セリフを言う時は必ず意識しろよ?」

 今回は声だけの演技だから、余計に技術面には気をつけなければいけなかったのに。

 ノイズを気にしなくていいなら演技に集中できるなんて、完全に甘い考えだった。

「ねえ安芸さん安芸さん。3人の中だと誰が一番うまかった?」

 ケーキちゃんがニヤニヤしながら安芸さんにすり寄って行った。

 そういうの聞けちゃうタイプなんだな。

 さすが自信の塊のようなお姫様。

「ドングリの背比べだ」

「嘘でしょ!? ワタシこの2人よりもずっと先輩なのよ!?」

「レベル100で戦う世界でレベル10もレベル20もそんなに変わらないだろ」

「ゲロゲロ! 私まだレベル20とかなの!?」

「それでもミルキーちゃんは私達の倍は強いんだね」

「あたり前じゃない! こちとら小学生の頃から芝居に触れてるのよ!」

 そう言えば昭和の森の勝負の時にそう言っていた。

 キャリアだけを見れば大先輩だ。

「じゃあ安芸さんが事務所のマネージャーだとして、誰か1人を所属させようと思ったら誰にする?」

「何でお前はそんなに序列をつけたがるんだ」

「安芸さんこそ何を日和ってるのよ。ここはそういう世界でしょ? 価値を付けられてなんぼよ」

「ほう。じゃあ遠慮なく言うぞ?」

「どうぞどうぞ」

 鼻息を荒くしたケーキちゃんがわざとらしく顎を突き出している。

 こういう自信満々な顔はとても可愛いらしい。

「花見だな」

「なんでよーーーッ!!」 

 そして自信満々な顔が一瞬で泣き顔に変わる。

 こういう自信を砕かれた顔は、なお可愛い。

「この中では一番可能性を感じさせる。技術も知識もまだ浅いが、そんなものはすぐに身に着くからな。それよりもコイツがどんな芝居をするのか色々とやらせてみたい」

「えへへ」

 さすが楓歌ちゃん。

 私達よりも長く芝居を続けているケーキちゃんを差し置いて安芸さんから高い評価を貰えた。

 聞いている私まで鼻が高い。

「こんなちびっ子よりもワタシの方が可能性の塊でしょ!?」

「ちびっ子はお前も一緒だろ。三春はもう少し地声を前に出していけば評価は高いんだがな」

「師匠、どういう事ですか?」

「はん。誰がちびっ子なんかに話すもんですか」

「コイツは自分の地声をなるべく使いたくないんだ」

「何で言っちゃうのよ!?」

「どうして!? こんなに可愛い声なのに」

 昔、劇団にいた時に先輩の役者から声を馬鹿にされたのは聞いた。

 だからと言って持って生まれた声を使いたくないとはどういう事なのだろうか。

「コイツの地声は強い武器だ。ただこの声だと役の幅が非常に狭くなる。よくいるだろ? 声に特徴があるが故に、似たようなキャラしかやらせてもらえない声優」

 脳裏に浮かぶ何人かの声優さん。

 過去の出演履歴を見ると、どんな作品でも似たようなキャラをやっている人達の事だ。

「それはそれでその声に価値を見出されているから一つの売り方ではある。ただ役者としては面白くないかもしれないな」

「分かります! せっかく声優をやるなら色んな役をやってみたいですもんね!」

「だから三春は低音を鍛えまくった。さっきの声は驚いただろ?」

「はい。一瞬ミルキーちゃんの声って分かりませんでした」

「あそこまで低音が安定して出せるなら色んな役ができる。低音の女性キャラクターだっているしな。アニメでこいつの低音を聞いた視聴者が地声を聞いたらギャップに驚くだろう」

「それはそうですよね。あんなカッコイイ声なのに見た目はお姫様みたいなんですから」

「何よ花見楓歌。ワタシを馬鹿にしてんの?」

「馬鹿にしてないよ。ミルキーちゃんは見た目も可愛いんだからそれも武器だって言いたいんだ」

「あ……そう。ふーん。別にあんたに褒められても嬉しくないわよ」 

 またケーキちゃんが褒められてフニャフニャになっていた。

「そういう強い武器を持っているのに、役を限定されるのが嫌で地声を封印して低音の方で勝負しようとしてるんだよ」

「ええ……だってこの前、声なんて活かし方次第って言ってたのに」

「私の持って生まれた武器と、私が戦いたい武器は違うのよ」

「師匠。いいんですかこれ?」

「私は両方兼用した方がいいと何度も言っているんだがな。低音を駆使して役の幅を広げつつ、ここぞと言う時に地声を使えるのが三春のパーフェクトスタイルだと思っている」

「そうだよミルキーちゃん。使える武器は全部使った方がいいよ」

「うっさいわね! そんなのもう100万回くらい言われてるっての! どうしても使わなきゃいけない時は使うわよ」

「三春。お前がそのスタイルにこだわるのを止めはしない。だがさっきみたいにお前が選ばれない瞬間が今後も絶対に来るからな」

「……分かってますわよ」

 あんなに可愛い声なのに、それを活かすだけじゃ満足できないんだ。

 でもケーキちゃんはケーキちゃんなりにこういう声優になりたいってビジョンがあるんだな。

 楓歌ちゃんはどうなんだろう。

 鷹月(たかつき)桜祭(まつり)に会うのが一番の目的の楓歌ちゃんは、どういう声優になりたいとかあるんだろうか。

「で、2人とも。今回で朗読のコツくらいは掴めたか?」

 安芸さんにそう言われて思い出した。

 今回は朗読の苦手を克服するための訓練だったんだ。

「えっと……蜘蛛の糸の時は体を動かせないのが辛かったんですけど、今回は何と言うか、体は動いてないのに声で動きまくっていたと言うか……」

 楓歌ちゃんは言いたいことをうまく言語化できないみたいで、あれやこれやと言葉を探していた。

 でも私には何となく分かる。

 実は私も同じことを思っていたからだ。

 今回の芝居中、もし客観的に自分達を見たら体は台本に向き合ったまま、せいぜい上下に揺れたくらいだろう。

 だけど体感としてはこの前のエチュード並に動き回ったような感覚がある。

 声しか使っていないのに、疲労度も同じくらいだ。

「それが感じられたなら今回は成功だな」

「成功?」

「朗読に大切なのは、声に動きを乗せることだ」

「声に動き、ですか?」

「今までお前達は体を動かしながら声を出してきた。しゃがむ時も、腕を伸ばす時も、体の動きに沿った声が自然に出ていたはずだ。だが体を動かせない朗読ではそうはいかない。ならばどうすればいいと思う?」

 これまでは体の動きに連動して声を出していた。

 でも朗読では体を動かせない。

 まだあやふやだけど、こうじゃないかと思う答えはある。

「体を動かしていた時に出していた声を記憶しておく?」

「正解だ」 

 そう言うと安芸さんは急にその場で腕を上に伸ばしながら欠伸(あくび)をした。

 寝起きで良くやる動きと声だ。

「この体の動きと声の質感を覚えておく。そして必要な時に出力するんだ」

 今度は全く体を動かさずに、視線を私達に向けたままさっきと全く同じ欠伸の音を出した。

 体は動いていないのに、声を聞くだけで体が伸びているのがイメージできる。

「声は想像しているよりも奥が深い。ほんのささいな動きも表現が可能だ。それが理解できれば朗読だろうが何だろうが、声だけで動きをつけられるんだ」

「じゃあ今回私達が動き回った気になっているのって……」

「そうだ。お前達が演じた役の動きをイメージして、それを表現していたからだ」

 それが本当にできていたならこの充実感も納得だ。

 実際に体を動かしたか、声で動いていたかの違いでしかない。

 むしろ声だけで体の動きも兼ねていた分、疲労が強いのも当然だ。

「朗読のコツも根本は変わらない。全ては演者のイメージだ。演者がイメージした通りの動きを、声で表現するだけだ」

 そう言われて松本先生が動きのある芝居をやってきた後に朗読を課題にした意味が理解できた。

 朗読は普通の演技から体の動きを削った演技じゃない。

 声だけで体の動きを表現する演技なんだ。

 今まで体を動かしてきたからこそ、その感覚を使って声で表現しろという課題だったんだ。

「と、とても勉強になりました!」

 楓歌ちゃんも私と同じように朗読の意味が理解できたみたいだった。

 ここまで体験させてもらって説明してもらえば、もう朗読に動きがないなんて絶対に思わないだろう。

「全く。そんな事も知らなかったなんて、今までどんな感覚で声を出していたのかしら?」

 ケーキちゃんがヘラヘラと楓歌ちゃんを煽り始めた。

 隙あらばマウントを取ろうとするのも小物っぽくてかわいい。

「いや本当にその通りだよ。この感覚が理解できたのはミルキーちゃんが上から引っ張ってくれたおかげだと思う」

「そ、そう? まあ、感謝しなさいよね!」

「うん。ありがとう」

「……ん」

 素直にお礼を言われて、照れで勢いが尻すぼみになっていた。

 だからそういうのは楓歌ちゃんに効かないんだって。

 相性的にケーキちゃんは一生楓歌ちゃんには勝てないんだろうな。


 新しい要素であるケーキちゃんを含めた今回の訓練は今まで以上の成果を得られた。

 やっぱり上のレベルの人が混ざると学べる事は多い。

 改めて声や言葉の凄さを理解できた訓練だった。

 ……だからこそ。

 言葉の力を少しだけでも理解したからこそ、私は考えなければいけない。

 楓歌ちゃんへの言葉を。

 いまの私と楓歌ちゃんの関係を何とかするための言葉を。

 楓歌ちゃんとこのままなんて、絶対に嫌だから。

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