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ヴェリタスの最終定理4:飛竜アスナ・ヴェリタスの覚醒【2位】  作者: .
●第10章:飛竜アスナ・ヴェリタスの覚醒

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定理11:悪の根絶(4)

王都の崩壊は、誰の目にも見えない無音の狂気から始まった。

ぼく、リオン・ゴルドファングとアスナさんが探偵事務所を出てからわずか数十分後。王都の各所で、鼓膜を破るような凄まじい大爆発が連鎖した。

だが、真の地獄は爆発の炎ではなかった。

血だまりの中で起き上がった生存者たちが、突如として獣のように咆哮し、隣にいる者の喉笛に噛みつき始めたのだ。親が子を殴り殺し、友が友の腹を裂く。瞳孔を見開き、血の涙を流しながら叫び続ける暴徒たち。凄惨な大量殺戮が、王都のあらゆる路地を赤黒く染め上げていった。

たまたま繁華街にいたヴァンクロフト姉妹も、その無差別テロの爆心地に巻き込まれていた。


「今日の爆発屋さんは随分と気合が入っていますこと!ルル、しっかり掴まってくださいまし!」


リウは妹のルルを抱え上げて瓦礫の海を跳躍した。二人は息も絶え絶えになりながら、バー『奥泉』の地下へと逃げ込んだ。

薄暗い店内は既に無人であり、床には割れた酒瓶と血の跡だけが散乱している。


「ハァッ、ハァッ……ルル、怪我はありませんか!」


リウが問いかけると、ルルの光のない黒い瞳に、今までになかった異常な光が宿る。


「あはっ……あはははは!リウ!あんたのその暑苦しい愛情は、全部ナラちゃんを撮影する時の邪魔なんだよォ!」


ルルが隠し持っていた魔導ナイフを振り抜き、リウの脇腹を深く抉った。

鮮血がバーのカウンターに飛び散る。


「……上等ですわ。私の美学に泥を塗る奴は容赦はいたしません!」


二人の狼獣人は、互いの極太の尻尾を逆立て、血で血を洗う殺し合いを始めた。

引き裂かれる肉の音、骨が砕ける鈍い響き。互いの内臓を抉り合い、顔面を殴り潰す。ルルのナイフがリウの胸を貫き、同時にリウの拳がルルの頭蓋を陥没させる。

血まみれになった二人は、激痛と狂気の中でボロボロと涙を流しながら、バーの冷たい床に重なり合うようにして倒れ伏した。


その頃、王都の時計塔の最上部では、ナラティブが黒のドレススーツの裾を風に煽られながら、眼下で炎に包まれていく街を静かに見下ろしていた。


「……なんて醜いのかしら。でも、これが人間の本性……」


彼女の鉄扇を持つ手は小刻みに震え、瞳からは一筋の涙が流れていた。


一方、市街地の反対側では、更なる悲劇が幕を開けていた。

暴徒と化した市民の群れからアリシアを救い出したのは、狂気の赤い瞳を持つグリッチだった。


「アリシアお姉ちゃん、私の背中に隠れてて!」


グリッチは小柄な体で魔導バリアを展開し、迫り来る暴徒たちを次々と吹き飛ばしていく。その強さは圧倒的であり、手段を選ばない一点突破の有能さが、アリシアの命を繋ぎ止めていた。


「……ああ、なんて嘆かわしい。この王都の人間たちは、わたくしの管理なしでは正しく生きることもできないのですわね……」


アリシアの青い瞳が、濁ったドロドロの執着へと変色していく。


「この街の愚か者たちを全て粛清し、無菌で完璧な箱庭を創り上げなければなりませんわ! そう、まずは……そこの制御不能な狂人、貴女から排除しますわよ!」


アリシアの細い手が、無防備に背中を見せていたグリッチの首筋に深々と突き立てられた。


「……がっ!? ア、アリシアお姉ちゃん……?」


グリッチは口から大量の血を吐き出しながら、信じられない目でアリシアを振り返った。


「不潔ですわ!私の愛に近づく害虫は、わたくしの愛で全て浄化して差し上げます!」


アリシアは手近にあった鉄パイプを拾い上げ、グリッチの顔面を容赦なく殴りつけた。


「あぐっ……痛い、痛いよぉ……」


だが、グリッチは一切の反撃をしなかった。彼女の最強の武力と狂気をもってすれば、魔力を持たないエルフであるアリシアを瞬殺することなど容易い。しかし、彼女の原動力は『お姉ちゃんに良く思われたい』という一点のみ。エラーラの大切な家族であるアリシアを傷つけることは、彼女にとって絶対の禁忌だった。


「死になさい! 汚らわしい虫けら!」


何度も、何度も鉄パイプが振り下ろされる。グリッチの白い髪は赤黒く染まり、小柄な身体は血の海に沈んでいく。骨が折れ、肉が裂けても、グリッチはただ無抵抗のまま、血の涙を流してアリシアを見つめていた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……アリシアお姉ちゃん……私が、私が馬鹿だから……」


グリッチの赤い瞳から、大粒の涙が溢れ落ちる。


「でも……これ以上お姉ちゃんの大切なものを、壊させたくないんだ……!」


グリッチは泣き叫びながら、震える指先で、アリシアに向かって魔力弾を発射した。


「……おかあ……さま……」


アリシアは虚ろな目で宙を見つめ、糸の切れた操り人形のように血だまりの中へと崩れ落ちた。


「あああああああああああッ!」


愛する家族を自らの手で撃ち抜いたグリッチの絶叫が、崩壊する王都の空に虚しく木霊した。


ちょうどその路地裏に、爆発から間一髪で逃げ延びたゴウとカレル警部が通りかかった。


「……なんてこった。アリシアさんが……グリッチ、お前がやったのか……!」


カレルが絶望の表情で立ち尽くすが、ゴウが泣きながら彼の腕を引く。


「ダメです父さん! グリッチさんも、酷い怪我です……! 早く、エラーラ先生のところへ……探偵事務所へ急ぎましょう!」


血まみれのグリッチを抱え、三人は炎の海と化した王都を抜け、最後の希望であるヴェリタス探偵事務所へと急いだ。

その頃、探偵事務所は分厚い防護隔壁によって完全に密閉されていた。

室内は異常なほどの静寂に包まれ、多数の猫たちが怯えたように部屋の隅に固まっている。

モニターの光だけが照らす暗闇の中で、エラーラは白衣を血が滲むほど強く握りしめ、冷たいコンソールパネルを睨みつけていた。


「……フム。これが、彼女が仕掛けた最後のバグ……『思想ウイルス』か。……術式『魂の共鳴』を応用したのか……」


『思想ウイルス』。

強い思想や美学を持つ者の脳内に入り込み、その思考を内側から腐らせて破滅的な行動をとらせる悪魔のウイルス。

彼女の頬には、一筋の冷たい涙が伝っていた。天才的な知性を持つ彼女は、既に王都で何が起きているのか、そして自分の家族たちがどのような凄惨な結末を迎えたのかを、地脈のデータから完全に把握していたのだ。

外で、ドンドンと重いドアを叩く音がする。

ナラティブが到着し、続いてカレル、ゴウ、そして血まみれのグリッチが辿り着いたのだ。

彼らがウイルスに感染しなかった理由はただ一つ。

良くも悪くも、彼らには他者を排除してまで貫くべき『強い思想』がなかったからだ。

エラーラは、隔壁を開けようとはしなかった。

ヴェリタス探偵事務所は、今や完全に外部から遮断された無菌室であり、世界で最も冷酷な密室と化していた。


「お母様!開けて!お願いだから開けてよ!グリッチが死んじゃう……!」


ナラティブの悲痛な叫び声が外部マイクを通じて無機質な電子音として室内に響く。

カレル警部も防犯カメラに向かって血まみれの手を合わせ、ゴウは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫んでいた。だが。

エラーラは、コンソールパネルに置いた指をピクリとも動かさない。

助けたい。

扉を開けて彼女たちを抱きしめ自らの持つ最高の治癒魔導でその傷を塞ぎたい。

その強烈な愛情とヒューマニズムの衝動がエラーラの胸の奥底で嵐のように吹き荒れていた。

しかし、彼女は己の知性を総動員して、その感情を絶対零度の論理で凍結し、殺し続けていた。


なぜなら、それこそがこの王都を地獄に変えた悪魔のウイルス思想ウイルスの発症トリガーだからである。

愛、正義、そして……救済。

それらが強ければ強いほど、ウイルスは狂暴化する。

生存への執着すらもまた、発症の引き金となる。

もし、世界最強の魔導師であるエラーラ・ヴェリタスが誰かを救いたいと強く願い、ウイルスに感染してしまったらどうなるか。答えは明白だ。

彼女は己の持つ無尽蔵の魔力と冷徹な論理を用いて「私が救えない人間は全て最初から存在しなかったことにする」という究極の殺戮マシンへと変貌し、王都の全市民を瞬時に塵へと変えてしまうだろう。


だからこそ、エラーラは誰のことも、助けられない。

自分自身を助けたいと思うことすら、許されない。

完全なる、詰み。

最強であるがゆえに何もできない究極の無力感が、彼女の精神を少しずつ削り取っていく。


「私は君たちを中に入れるつもりは、一切ない!!!」


エラーラはマイクのスイッチを押し感情を完全に削ぎ落とした氷のような声で告げた。モニターの向こうでナラティブが絶望に目を見開く。


「どうして!!!」


ナラティブの悲鳴が耳をつんざく。

エラーラは全てを理解していた。誰がこの絶望をばら撒いたのか。なぜ王都がこんな悲劇に見舞われなければならないのか。

全てはあの銀髪の少女ヘレナの憎悪から始まっているのだ。

ヘレナはあの偽りの戦争を憎んでいたのではない。

戦争を起こしたレクタとシュピーゲル博士を憎んでいたのでもない。

彼女が本当に憎んでいたのは、自分を助けなかった「この世界そのもの」だった。

エラーラの脳内で、恐るべき点と点が線として結びついていく。

ヘレナはかつてゴルドファング歌劇団に幽閉され、自我を奪われ、奴隷として扱われていた。

その歌劇団を運営し彼女を商品として搾取していたのは他でもない、リオン・ゴルドファングの親たちだ。

そして、その非人道的な歌劇団に裏から莫大な資金援助を行いパトロンとして君臨していたのは、アスナ・クライフォルトを養子として引き取った、クライフォルト家の祖父母たちだったのである。

リオンとアスナの血筋こそが、ヘレナを地獄に突き落とした元凶だったのだ。

そんな彼女の檻を壊し地獄から「助け出した」のは、皮肉にも、悪党であるレクタとシュピーゲル博士の二人だけだった。

彼らは自らの戦争という演劇の駒としてヘレナを買い取ったに過ぎないが、それでも彼女にとっては彼らだけが暗闇から引き上げてくれた唯一の「救世主」だったのだ。

それなのに、何の罪悪感も持たず、正義の顔をしたリオンとアスナが現れ、彼女の恩人であるレクタとシュピーゲルを撃破した。

その上で、リオンとアスナはのうのうとドーナツを頬張り平和を謳歌している。

ヘレナから見ればリオンとアスナは、自らの悲劇の上で踊り狂う悪魔そのものに他ならない。

怒りと憎しみが彼女の魂を真っ黒に染め上げ、レクタの悪意とシュピーゲルの理論が組み合わさり、この思想ウイルスが生み出されたのだ。


そして、なによりも。

エラーラは、調査の末に「たまたま」発見した真実を、心の奥底に封印していた。

あのヘレナという復讐の少女は、自分と瓜二つの容貌を持つ。

つまり、他人ではなかった。ナラティブと同じく、エラーラの実の妹なのだ。

血の繋がった実の妹が、最愛の友と妻の血族から地獄のような虐待を受け、最大の宿敵たちにすがり、最後は世界を滅ぼす魔女へと変貌していく様を、エラーラはただ、無関心を装って見過ごすしかなかった。

なぜなら、妹への執着や同情すらも、たちまち強烈な思想へと変換され、エラーラ自身をウイルス感染者へと変えてしまうからだ。

妹を愛することも許されず、目の前の家族を救うことも許されない。正しく在ろうとすればするほどに、周囲が血の海に沈んでいく。

これが最強の賢者に与えられた、『最期』の、究極の罰だった。


「聞きなさいナラティブ。私がもしその扉を開けてウイルスに感染すれば、私は……この王都の全てを焼き尽くす殺戮者となる。だから、私は誰も助けない。君たちの流す血にも涙にも、一切の関心を持たない。……さようなら、諸君」


エラーラは、息を吐くように残酷な言葉を紡ぎ出した。

完全なる詰み。


だが、エラーラの超高速の脳内演算はまだ停止してはいなかった。この絶望的なウイルスに感染しておらず、物理的かつ強引に状況を打破できるイレギュラーな存在が、この世界にたった二人だけ残されている。

最強の戦闘力を持ちながら物事を深く考えない竜人、アスナ・クライフォルト。

そして、エラーラと互角の演算能力を持ちながら、その全てを目の前の単純な衝動に全振りしている獅子獣人、リオン・ゴルドファング。

彼らでなければ、このウイルスが蔓延する地獄を駆け抜けることはできない。

彼らの家系がヘレナを狂わせた元凶であるという最悪の因果律。それでも、この世界を救うためには、その罪深き血筋を持つ二人に全てを託すしかなかった。

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