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ヴェリタスの最終定理 PART4/飛竜の覚醒   作者: ♡Wan Liyue♡
●第12章:残穢との対峙

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定理3:残穢との対峙(3)

王都中央時計塔の直下。

地上の喧騒が遠く沈み、蒸気パイプの啜り泣きと、重苦しいマナの唸りだけが支配する旧世代魔導炉心施設。

私、アスナ・クライフォルトは規制局の制服を闇に馴染ませ、音もなくその深淵へと足を踏み入れた。懐に忍ばせた強制停止コードの結晶が、私の体温を吸い取って冷たく居座っている。

本来ならば、この事態を解決するのに最も適した人物は、地上でドーナツをかじりながら不敵に笑っているあの白衣の主……エラーラ・ヴェリタスであった。しかし、私が彼女の力を借りるわけにはいかない、あまりにも明確な理由があった。


コードネーム『魂の共鳴』。

それは若き日のエラーラが、その狂気じみた天才性の果てに設計した「自己完結型」の論理兵器だ。この兵器には、設計段階で回避不能な開発者の認証バグが組み込まれていた。エラーラ固有の魔力波形――彼女という個人の存在を定義するパルスを検知した瞬間、システムはそれを管理者による最終起動の承認と見なし、一切の猶予なく全王都を対象とした『共鳴』を開始する。つまり、彼女がこの施設に一歩でも近づけば、世界はその瞬間に終焉を迎える。開発者自身が、この兵器を起動させるための最大かつ唯一のスイッチとなってしまっているのだ。


だからこそ、彼女とは決定的に異なる魔力波形を持ち、かつ彼女の論理思考の癖を誰よりも深く理解する私だけが、この暴走を止める資格を持っていた。

私は眼鏡のブリッジを指で押し上げ、竜人としての感覚を極限まで研ぎ澄ませた。


最初に行く手を阻んだのは、施設の外縁部に張り巡らされた高密度な魔導検知センサーの網であった。目に見えない光の糸が、侵入者の微かな魔力の揺らぎさえも逃さぬよう、空間を幾何学的に切り裂いている。

私は、自らの魔力を内側に完全に封じ込め、肉体という名の無機質な物質へと意識を置換した。魔導規制局で培った隠密行動の真髄。竜の鱗が持つ高い耐魔導性を盾にし、壁面に突き出した錆びついた蒸気パイプのわずかな死角を見極める。センサーの走査周期が描く一瞬の空白を計算し、その合間を縫うようにして進んだ。


施設の中層部へと降下すると、そこには武装したテロリストたちが規則的な周期で哨戒を行っていた。彼らは旧世代の魔導銃を手に、殺気立った瞳で周囲を監視している。多勢に無勢。竜人の身体能力と火を吹く力をもってすれば、力で道を切り開くことも不可能ではなかった。しかし、ここでわずかでもマナを解放すれば、その魔力反応は即座に中枢の炉心を刺激してしまう。

私は巨大な魔導コンデンサの影に息を潜め、哨戒兵の足音をカウントする。背後の壁から突き出たダクトの蓋を音もなく外し、その狭い空間へと身体を滑り込ませた。竜の筋力を限界まで収縮させ、天井を走るマナの供給パイプを足がかりに、彼らの頭上を文字通り飛ぶようにして飛び抜けた。


そして、中枢へ続く巨大な隔壁。そこに施されていたのは、エラーラ独自の論理ロックであった。それは物理的な破壊を一切受け付けず、入力された論理の整合性を問う、彼女の美学の結晶だ。

私はコンソールの前に立ち、画面に表示された無機質な文字列を見つめた。


『この世界で最も定義困難な、非論理的な変数を入力せよ』


エラーラ・ヴェリタスの過去の思考が、今の私に挑戦状を突きつけているようであった。通常の魔導師ならば、愛や死、あるいは無限といった高尚な概念を試すであろう。しかし、私は迷うことなく、自らの、そしてあの人との生活における、極めて個人的な事実を叩き込んだ。


『エラーラ・ヴェリタスが、明日の朝、何時に起きるかという確率』


それは神ですら計算不能な、この世界で最も予測不可能なバグ。

コンソールが一瞬の沈黙を保ち、やがて溜息をつくような電子音と共に、重厚な隔壁が左右に滑り開いた。完璧な論理を自負するシステムにとって、この予測不可能な不条理こそが、処理不可能な正解として認識されたのである。

扉の向こう側からは、王都の地脈を強引に吸い上げ、赤黒い光を放ちながら脈動する巨大なクリスタルが姿を現した。


「……エラーラ、貴女の尻拭いは、やはり私がやるしかないようですわね」


私は懐から停止コードの結晶を取り出し、震える指先でそれを最深部のスロットへと近づけた。背後で何かが覚醒するような重い駆動音が響いたが、私は振り返ることなく、その結晶を突き刺した。


その瞬間、王都の地脈を強引に吸い上げていた不吉な脈動が止まった。脈動していた赤黒い光は、浄化を告げる蒼い光へと反転し、やがて熱を失って静止する。私は眼鏡のブリッジを押し上げ、一つ、深く息を吐き出した。世界を幸福という名の泥濘へ沈める論理は、今、ただの沈黙した鉱石へと戻ったのである。


「……動くな、規制局の狗め!」


背後から響く怒号と共に、施設の搬入用大扉が吹き飛んだ。なだれ込んできたのは、重武装を施したテロリストの実行部隊だ。彼らは旧世代の魔導小銃を構え、一斉に私を包囲する。多勢に無勢。しかし、私は落ち着いて彼らを見据えた。


「公務執行妨害、および国家反逆罪の現行犯で貴方たちを拘束します。大人しく縛りにつきなさい。……抵抗するならば、相応の処置を執るまでです」


私は肺の奥底から灼熱の魔力を練り上げた。竜人としての矜持。すべてを灰にする炎の吐息。私が大きく口を開き、肺に溜めた熱量を一気に解放した瞬間、猛烈な紅蓮の炎が渦を巻いて放たれた。先頭にいた三人の男たちは悲鳴を上げて後退した。

だが、その勝利の確信は、施設全体に響き渡った冷酷な電子音によって打ち砕かれた。


『警告。施設内での異常な魔力反応を検知。自動防衛装置起動。全域に魔導中和バリアを展開します』


その瞬間、肌を刺すような違和感が私を襲った。空気中に満ちていたマナの粒子が、巨大な空白に吸い込まれるようにして急速に消失していく。


「……!?」


私はもう一度、炎を練ろうとした。

しかし、吐き出されたのは、ただの虚しい咳き込みと、僅かな煤の粒子だけだった。背中の翼に力を込めても垂れ下がるばかりで、浮力を生み出すことはない。魔力障壁すらも、霧散したマナと共にその輪郭を失った。この施設は今、完全な無魔空間へと変貌を遂げていたのである。


「運がねえな!魔法が使えなきゃ、ただのトカゲ女だ!」


テロリストたちが、ナイフや鉄パイプを引き抜き、色めき立って距離を詰めてくる。私は即座に、重厚なコンソールの台座を蹴って物陰へと飛び込んだ。直後、私がいた場所に重い鉄パイプが叩きつけられ、鋼鉄の床が激しく凹む。

魔法が使えない竜人に一体何ができるか。私は眼鏡を指で直しながら、冷徹な生存計算を開始した。


私は通路の角にある消火用冷却液の大型タンクに目を留めた。バルブを竜人の怪力で引きちぎり、中身を背後の路面にぶちまけた。


「うわぁぁっ!?」


追撃してきた男たちが、凍結した路面で無様に滑り、折り重なって倒れる。その隙に、私はメンテナンス用ダクトの狭い入り口へと滑入り込んだ。見つかれば、最後。私は、自身の心拍数すらも制御し、静かに、しかし確実に上層へと向かった。

ダクトの出口で待ち構えていた敵に対し、私は手近にあった重厚な工具箱を全力で投げつけた。不意を突かれた男の顔面にスパナが直撃し、彼が怯んだ瞬間にその懐へと飛び込む。私は彼の重心を奪い、竜の尻尾を支点にして、階下の資材置き場へと強引に放り投げた。


「弾切れか? ならば……!」


別の敵が近接戦闘を挑んでくるが、私はコンベアの駆動ベルトを指先で切り裂き、それを鞭のようにしならせて相手の首筋を絡め取った。そのまま回転を続ける巨大なギアにベルトを巻き込ませ、敵の武器を強引に奪い取る。竜人の力強さは、魔法を奪われてもなお、この閉塞した戦場において唯一の絶対的な牙であり続けた。

施設の中層から上層へと抜けるには、巨大な貨物用昇降機を突破しなければならない。しかし、メイン電源は既に遮断され、エレベーターは沈黙していた。私は昇降路の壁面に備え付けられた錆びついた梯子を駆け上がった。


「逃がすかよ、役人女!」


下から、旧式のガソリンエンジンで駆動する小型の浮遊艇に乗ったテロリストたちが追いすがってくる。彼らは魔導中和バリアの影響を受けない物理的な動力を用いているようだった。私は上昇を止め、昇降機を支える太い鋼鉄のワイヤーを見据えた。

私はワイヤー射出機を天井の滑車へと正確に撃ち込み、自らの身体を宙へと投げ出した。振り子の要領で加速し、迫り来る浮遊艇のパイロットに向かって両足蹴りを叩き込む。衝撃でバランスを崩した艇から男が転落し、私は空っぽになったその操縦席に飛び乗った。


「不法駐機の罰金は高くつきますわよ!」


制御を失いかけた浮遊艇を、私は腕力だけで強引に操作し、施設内を縦横無尽に駆け抜けた。迫り来る隔壁をミリ単位で回避し、追手の銃弾を複雑な機動でかわす。最後には、上昇する艇をあえて上層の排気ファンに激突させ、その爆風を背に受ける形で最上階の気密扉へと自らを放り投げた。


扉を蹴破った先には、冷たい王都の夜風が吹き荒れていた。

施設の屋上。そこは海に面した断崖絶壁の上にそびえる、時計塔の頂上付近であった。

逃げ場はない。背後の扉からは、怒り狂ったテロリストたちの生き残りが、十数人の数でなだれ込んできた。彼らは一斉に銃口を私に向ける。彼らが手にするのは、魔法を介さない物理的な火薬式の旧式銃。この無魔空間において、最強の暴力となる代物だ。


「もはやこれまでだ、竜人のお嬢ちゃん。魔法も使えず、翼も動かないお前に、何ができる?」


テロリストの指導者が、勝ち誇った笑みを浮かべて一歩、前へ出た。

私は、湿った夜風に吹かれながら、ひび割れた眼鏡を外して懐にしまった。足元は断崖絶壁、背後は幾重にも重なる銃口の列。私は太い竜の尻尾を低く構え、最期の瞬間まで抗う覚悟を決めた。たとえ飛べなくとも、この命を使い切って、あの人の隣へ帰るための道を作る。


だが、その時。

銃を構えていた男たちの顔から、一斉に血の気が引いた。彼らの瞳に映っているのは、私ではない。私の背後、虚空の向こう側に浮かび上がる「何か」に対して、彼らは言葉を失い、恐怖に震え始めたのだ。

私は、ゆっくりと振り返った。

夜の帳を下ろす王都の空。ビルの断崖、底の見えない暗闇の中から、一人の人影が音もなく浮遊して現れた。

銀色の髪を夜風になびかせ、場違いなほどに白い、あの使い古された白衣。

首には金色の魔導聴診器がかけられ、その主は不敵な、どこまでも傲慢で、それでいてひどく穏やかな笑みを浮かべていた。


「……エラーラ」


私は、その名を震える声で呼んだ。

エラーラ・ヴェリタス。王都最強の魔導師。

彼女は、まるで近所の路地を散歩しているかのような気軽さで、空中に佇んでいた。施設の魔導中和バリアなど、彼女の存在を定義する論理の前では、ただの微風にすら満たないようだった。


「やあやあ、アスナ君。随分と熱烈な歓迎の列ができているじゃないか」


エラーラは、私を追い詰められていたテロリストたちを、路傍の石ころでも眺めるような退屈そうな目で見下ろした。彼女が指先を軽く弾く。


「フム。どうやら、この場所には、少々『余計なデータ』が多すぎるようだね。私の日常を邪魔する不純物は、一括で削除させてもらおうか!」


エラーラが放ったのは、彼女にとっては極めて「手加減」されたはずの、しかし常人からすれば戦略兵器級の規模を持つ光の奔流であった。

轟音と共に、銃を構えていた男たちは、屋上の隅へと蹴散らされた。彼らが握っていた武器は砂のように崩れ、戦意は跡形もなく霧散した。

エラーラはゆっくりと、宙を歩いて私のもとへ近づいた。

私は、張り詰めていた緊張が糸が切れたように解け、その場に膝をつきそうになった。しかし、それよりも早く、温かい白衣の感触が私を包み込んだ。


「……遅いですわ。ばか」


私は、彼女の胸に顔を埋め、絞り出すような声で言った。

エラーラは少しだけ驚いたように目を見開いたが、すぐに優しく、私の背中に腕を回した。彼女の白衣からは、今朝食べたはずのドーナツの甘い香りと、いつも通りの非論理的な安心感が漂っていた。


「おや、熱烈な歓迎だね」


彼女はそう言うと、私の身体を軽々と横抱きにした。

屋上を埋め尽くしていたテロリストたちは、もはや彼女の視界にすら入っていない。


「さあ、帰ろうか、アスナ君。夕飯が冷めないうちにね」


エラーラが白衣の裾を翻した瞬間、私たちの身体は重力から解き放たれ、夜の王都へと高く、高く舞い上がった。

眼下に広がる街の灯りは、まるで宝石を散りばめたように美しく、私たちの騒がしくて愛おしい日常が、そこには確かに続いていた。

私は、空を切る風の音を聞きながら、彼女の首に腕を回した。

私は、確信した。

例え魔法が使えなくなっても、翼が動かなくなっても、この人の隣にいる限り、私はどこまでも高く飛べるのだと。

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