定理1:最強探偵事務所へようこそ!(後編)
王都のメインストリートは、物理的な定義における「大掃除」の真っ最中だった。
……ただし、箒と塵取りではなく、質量と破壊による強引なリセットであるが。
「ガガガ……不要、不要、断捨離、実行……」
暴走した清掃ゴーレム『クリーン・キーパー』は、既に二階建てのバスほどのサイズに膨れ上がっていた。そのボディは、彼が「ゴミ」と判定して取り込んだポスト、街灯、ベンチ、そして不運な露店の屋台などが無秩序に融合したスクラップの塊だ。
蒸気機関の心臓部が悲鳴のような排気音を上げ、レンズ状の瞳が周囲をスキャンするたびに、空間そのものが「デリートキー」を押されたように削り取られていく。
「ちょ、ちょっと! アレは公的資産ですよ! 壊すんじゃありません!」
アスナが走りながら叫ぶが、彼女の声は騒音にかき消される。彼女は走りながらも器用に懐から手帳を取り出し、被害状況をリアルタイムで記述している。さすがは規制局の鑑、あるいはただの職業病だ。
「おいおい、元気なワンちゃんじゃねーか!」
突如、頭上から場違いなほど明るい声が降ってきた。
近くの時計塔の上に、人間離れした跳躍力で着地した影がある。金髪のポニーテールを揺らし、季節感を無視した薄着で仁王立ちする長身の美女。
リウ・ヴァンクロフトだ。
「リウ! 危ないわ、下がってて!」
ナラティブが悲鳴を上げるが、リウは笑うと、手近にあった時計塔の装飾の鉄骨を引き剥がした。
「取ってこーい!」
ブン、と風切り音が鳴る。
彼女は鉄骨を、ゴーレムの鼻先へ向けて全力で投擲した。
狼獣人の本能か、あるいは単なる悪乗りか。だが、その行為は意外な連鎖反応を引き起こした。
ゴーレムのセンサーが高速で移動する物体に反応し、その巨体が「待て」をされた犬のように急旋回したのだ。
「……ナラちゃん、今のシャッターチャンス。リウさんの腋、完璧」
路地裏の影から、不気味なほど冷静な声がする。
ルル・ヴァンクロフトだ。彼女は戦場には出ず、安全圏から超望遠レンズ付きの魔導カメラを構え、姉の活躍ではなく、それに見惚れるナラティブの横顔を盗撮している。
この姉妹が絡むと、戦場のカオス指数は指数関数的に跳ね上がる。
「もう、めちゃくちゃね!でも……リウが見ているなら、あたしだって!」
ナラティブはドレスの裾を翻し、地を蹴った。
黒い弾丸と化した彼女は、ゴーレムの側面に回り込むと、愛用の鉄扇を一閃させる。
「ゴミはゴミ箱へお帰りなさい!」
ガキンッ! と重厚な金属音が響く。
魔力を持たない彼女の一撃は、純粋な運動エネルギーの塊だ。鉄扇がゴーレムの装甲をひしゃげさせ、その巨体を数メートル横滑りさせる。
「見た!?リウ、今のあたし、見た!?」
「おおー!すごい音したな!バーベキューの炭を割るのに良さそうだ!」
「(……見てないじゃん……でも好き!)」
ナラティブが葛藤と歓喜に身悶えしている隙に、ゴーレムが反撃に転じる。巨大なアームが振り下ろされ、その標的はナラティブ――ではなく、その横にいたアスナに向けられた。
「えっ、私!?」
正確には、アスナの背後で揺れる立派な竜の尻尾だ。ゴーレムのAIは、その太くて長い物体を「回収すべきホース」か何かと誤認したらしい。
「いやぁぁぁ!離しなさい!これは私の体の一部です!備品じゃありません!」
アームに尻尾を掴まれ、宙ぶらりんになるアスナ。
その光景を見た瞬間、ナラティブの目が怪しく光った。
「……あの太さ、あの弾力。機械ごときに独り占めさせるなんて、資源の損失よ」
ナラティブが再加速する。今度は助けるためではない。アスナの尻尾という「崇高なオブジェクト」が汚されることを防ぐための、歪んだ義憤だ。
戦場がドタバタと混乱する中、私はビルの屋上からその様子を俯瞰していた。
首にかけた聴診器『真理の眼』が、ゴーレムの発するノイズを拾い続けている。
「フム。循環参照エラー。定義ファイルの破損により、『ゴミ』と『世界』の境界線が消失しているねぇ。このままでは、王都全体がリサイクルショップ行きだ」
「お姉ちゃん、解析完了したよー!」
私の背後から、グリッチが顔を出す。彼女の手元の端末からは無数のケーブルが伸び、ビルの避雷針に直結されている。彼女はこの短時間で、王都の魔導通信網をハッキングし、ゴーレムの制御系へのバックドアをこじ開けていたのだ。
「コイツの核、『寂しさ』で動いてるみたい。誰もゴミを拾ってくれないから、全部拾っちゃえって暴走してるの。……ボクみたいだね、あはは!」
グリッチの瞳孔が開く。彼女の指先が端末の上で踊る。
彼女の狂気は、物理的な防御を無視して、ゴーレムの電子頭脳を直接焼き切る最強の矛だ。
「それじゃ……消しちゃおっか?存在ごと。お姉ちゃんの視界から、塵一つ残さず」
グリッチの指が「エンターキー」にかかる。
その一撃が放たれれば、ゴーレムは消滅するだろう。半径五百メートルの街区ごと。
「お待ちなさい、グリッチさん」
その暴走を止めたのは、私のポケットに入っていた通信機からの声だった。
アリシアだ。彼女は安全な事務所でお茶を飲みながら、この状況を「管理」している。
「その区画には、わたくしのお気に入りの洋菓子店がありますの。爆破範囲を最小限に抑えなさい。さもなくば、今晩のおかずは『空気の天ぷら』になりますわよ」
「ひっ!?り、了解! 出力調整、魔導ライフル並みに絞るね!」
グリッチが怯えて縮こまる。最強の狂人が、電話越しの声一つで制御される。このパワーバランスこそが、我が家の生存戦略だ。
「さて、お膳立ては整ったね」
私は屋上の縁に立ち、風にはためく白衣を押さえた。
空腹はピークに達し、思考は極限までクリアになっている。
今朝の定理を思い出そう。『愛の総量は、胃袋の空腹度と反比例して増大する』。
今の私に、王都への配慮という愛など一ミリもない。あるのは、この騒動を終わらせてドーナツを食いたいという、純粋なエゴイズムのみ。
「これが、真理だ!」
私は叫びと共に、屋上から跳んだ。
落下しながら、懐から取り出したのは「未払いの請求書の束」だ。過去十年間、私が踏み倒し、保留し、見なかったことにしてきた、総額150億クレスト分の督促状のデータ結晶。
「おい、そこの掃除屋! ゴミが欲しいんだろう? ならば食らえ、この世で最も処理不能な汚染データを!」
私は着地と同時に、ゴーレムの口腔部へ結晶を叩き込んだ。
ゴーレムが動きを止める。
その電子頭脳が、150億という天文学的な負債データを解析し、それを「ゴミ」として処理しようと試みる。
だが、無理だ。それは王都の国家予算すら揺るがす、論理を超えた負の遺産。
清掃プログラム如きに処理できる代物ではない。
「ガ、ガガ……エラ……ー、処理……不能……、キャパシティ……超過……」
「論理崩壊!……君の胃袋には、私の借金は重すぎたようだねぇ!」
次の瞬間。
ゴーレムの内側から、まばゆい光が漏れ出した。
処理落ちした核が熱暴走を起こす。
「総員、対ショック防御!」
私が叫ぶのと同時に、ナラティブがアスナの尻尾を抱えて伏せ、リウが「花火だー!」と叫び、グリッチが私の前にバリアを展開する。
ドッカァァァァァン!!
王都の空に、綺麗なキノコ雲が咲いた。
それは、暴走した論理と、行き場を失ったゴミと、私の借金データが混ざり合った、実に芸術的な爆発だった。
・・・・・・・・・・
数時間後。
王都とスラムの境界にあるオンボロ映画館『光座』。
接触不良でチカチカする魔石灯の下、古びた座席に二人の人影があった。
「……まったく、酷い映画でしたわ。主人公の捜査官が、あんな簡単なトリックも見抜けないなんて」
「フム。脚本の論理構成が甘いね。だが、あのカーチェイスの加速度計算だけは評価に値する」
私とアスナは、暗闇の中で隣り合って座り、ポップコーンを貪りながらスクリーンを睨みつけていた。
私の手には、命がけで守り抜いたハニーグレイズドーナツがある。
アスナは煤だらけのスーツのまま、それでも眼鏡の位置だけは正して、スクリーンの中の「理想の公務員」に文句を言い続けている。
「今日の爆発で、貴方の借金、また増えましたよ?建物の修繕費に、道路の舗装費……」
「まあまあ、気にするな。宇宙の膨張に比べれば、150億も160億も誤差の範囲だ」
「……ふふっ。貴方って、本当に最低ですね」
「君もね。公務中に映画鑑賞とは、始末書ものじゃあないか?」
「これは……現場検証の一環です!この映画館に、逃げた魔獣が潜んでいる可能性が……」
アスナは言い訳をしながら、私のドーナツの箱に手を伸ばしてきた。
私は無言で、箱を彼女の方へ少しずらす。
定理の証明終了。
『空腹が満たされた時、愛は回復する』。
「静かに。……いいシーンだ」
スクリーンの中では、時代遅れの魔導車が、明日へと向かって空を飛んでいた。
私たちの明日には、さらに積み上がった請求書と、アリシアの冷たい笑顔が待っている。
だが、今はいい。
この薄暗い箱の中だけは、論理も狂気も忘れて、ただの観客でいられるのだから。




