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バベルの免罪符  作者: やばくない奴
インダルジェンス
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亡失

 同じころ、由奈(ゆな)は一本の縄を手にしながら部屋の真ん中で立ち尽くしていた。彼女の淀みきった目には、希望など欠片も残されていなかった。

風音(かざね)に会った時、やっと幸せになれると思ったのにな)

 錆びた鉛のような心を抱えつつ、彼女は過去のことを思い返す。風音に会う前、由奈は絶望の淵に立たされていた。



 ***



 由奈の人生が壊れ始めたのは、彼女が小学生五年生のころのことだった。この当時、彼女の父親は重度のアルコール中毒を患っていた。かつての彼は仕事熱心で真面目な男だったが、そんな彼を変えてしまった出来事があったらしい。


 彼の勤務していた会社が、不正の発覚により倒産してしまったのだ。


 由奈の父は不正に関与していない部署で働いており、完全に被害者であると言っても差支えはない。会社の名は「ミート・リバティ」――――それなりに規模の大きかった食品メーカーだ。

「ジューシーを重視、ニクい美味しさ」

 それがミート・リバティのスローガンだ。しかし、ミート・リバティの売ってきた商品は劣悪なものばかりである。


 この会社は、ひき肉の水増しのために消費期限の切れた肉やパン粉などの異物を使い、水道代を節約するために雨水を使うなどの暴挙にも出ていた。産地も原料も消費期限も偽装していたその会社は、まさに欺瞞を極めていたと言っても良いだろう。また、ミート・リバティは色味を調整するためにひき肉に血液を混ぜ、味を良くするためにふんだんに化学調味料を使用していたのだ。


 会社のこういった不祥事はメディアで大きく取り上げられ、由奈の父親は職を失った。


 あれから彼は新しい仕事を探し求めたが、ミート・リバティの元社員全員が職を探している状況は茨の道でしかなかった。この競争を生き抜くことは難しく、彼は酒に溺れるようになってしまった。

「俺はずっと真面目にやってきた。ガキのころから、ずっと……真面目な人間が報われると信じて生きてきた。なのに、不真面目な人間の不正一つで、俺の人生は終わっちまったよ……!」

 無論、彼がミート・リバティの社長を憎んでいたことは言うまでもない。しかし、由奈の父親には復讐の手段などない。


 そこで、アルコール依存症によって正気を失っていた彼は一家心中を図った。


 彼は自宅に火を放ち、実の妻と娘を道連れにしようと考えたのだ。由奈の母親は消火を試みたが、包丁を手に持った夫に脅されて萎縮していた。

「由奈! 早く逃げなさい!」

 それは母親が恐怖の中で絞り出した唯一の言葉だ。家中が灼熱の炎に包まれていく中、由奈は震える足で全身を支えながら逃げ出した。猛火をまといながら崩れ落ちていく一軒家の中で、父親の叫び声がこだました。

「あのクソ社長は不正の報いを受けたつもりでいるだろう! だが、アイツは俺を含めた何万人もの社員の人生を狂わせた報いはまだ受けちゃいねぇ! 俺の人生はもう戻ってこねぇんだよ!」

 彼は自らの愛した妻を殴り倒し、何度も彼女の腹に包丁を突き刺した。近隣住民の通報により、すぐに消防署が駆け付けた。消防隊員が消火に向かう傍ら、由奈は腰を抜かしながら落涙していた。結局、彼女はこの火事によって両親を失い、遠い親戚に引き取られることとなった。



 突然の身内の不幸と転校により、由奈は精神的に疲れ切っていた。あの火災によって多くを失ったこともあり、彼女は何をするにも消極的になっていた。

(真面目に生きてきた父さんはあんな惨めな最期を迎えたし、私が今まで過ごしてきた思い出の証はすべて焼き払われた。人は何かを手に入れたところで、いつかはそれを失う運命にあるんだ)

 当然ながら、彼女にはもう友人を作る意欲など全くない。学校でも家でも居場所が出来ず、由奈は虚無感に囚われていた。彼女は無事に小学校を卒業したが、最後まで孤立したままだった。



 無気力感に溢れた人生観は、彼女が中学校に入学した直後も健在だった。一際影のある雰囲気を醸していた由奈は、周りの生徒に疎まるのが常だった。部活動や交友関係を通して充実感を覚えている学生たちに囲まれつつ、彼女はいつもこう考えていた。

(世間は青春の押し売りが好きなんだね。それで何かを手に入れたとしても、どうせ簡単に壊れてしまうのに)

 そんな彼女が風音と接触したのは、あれから約二週間後のことだった。

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