清算
かつて鈴木由奈の家があった瓦礫の上――――そこで化け物と死闘を繰り広げつつ、風音は大声で訴える。
「目を覚ませ! 由奈! オレのことがわからないのか!?」
バベルに感染した由奈には、もう声が届くことなどない。今の彼女は、ただいたずらに破壊を繰り返す怪物でしかないのだ。風音はその現実を受け入れず、いつまでも化け物を殺せずにいる。
「オレはこんな時でさえ力と力でぶつかり合うことしかできねぇ馬鹿だけど、それでもアンタのダチなんだ! こんなオレに、どうかアンタを守らせてくれよ! なあ!」
不毛に声を張り上げ続けている彼女は、少し喉が枯れ始めている。この期に及んでもなお希望を信じ続ける彼女に対し、化け物は容赦なく豪腕を打ち付ける。
「由奈っ……!」
無慈悲な一撃により、風音は真横に勢いよく殴り飛ばされた。彼女は全身を擦りむきながらも体勢を整え、めげずに化け物の方へと走り寄る。それからも彼女は幾度となく殴り飛ばされ、時には蹴り飛ばされ、そのたびに立ち上がった。
その様子を見かねた青年は、苦笑とも見て取れる微笑を浮かべながらこう言った。
「何を今更ためらう必要があるのですか。あれは、あなたが今まで殺してきた感染者と何も変わらないではありませんか」
――――その言葉は風音の胸に深く突き刺さり、まるで烙印のように脳裏に焼き付いた。彼女の胸の中では、親友が化け物になった悲しみと混ざり合うように罪悪感が湧き上がる。この時、風音は初めて自分のやってきたことの意味を理解したのだ。
(オレは今まで、普通の人間として普通に暮らしてきたような奴らを殺してきたのか。他ならぬ、オレ自身の手で……)
今度は、心の奥底から忌まわしき記憶が湧き上がってくる。自分が感染者を殺し続けてきた一ヶ月間の記憶が、時系列を破りながら頭の中を侵食していく。
「うぅ……オエエエエッ!」
押し寄せる罪の意識に耐え切れず、風音はついに嘔吐した。しかし、今は悲しみに暮れている場合ではない。
(そう言えば、こないだ約束したばっかじゃねぇか。由奈が化け物になったら見殺しにするって。けど、今はオレ以外にアンタを殺せる奴はいねぇ。だから、オレを許してくれ……由奈……)
先ほどまでただひたすらに虚ろだった彼女の眼差しは一変し、燃えたぎる闘志に満ちたものと化していた。彼女がようやく戦意を抱いたことをその目で確認し、青年はポープロを弄り始める。もはやこの地は轟音の鳴り響く無法地帯と化しているが、彼は依然として眉一つ動かさない。
(生身でありながら、あの卓越した生命力と戦闘能力――――やはりあの少女こそ、僕が風のうわさで聞いた相良風音さんで間違いなさそうですね)
どうやら、この男は風音のことを認知していたらしい。一ヶ月という時間の中でたくさんの感染者を駆除し、彼女は少し有名になったようだ。
意を決した風音は閃光のごとく俊敏に動き始め、由奈の面影を失った化け物に何発もの攻撃を加えていった。
(由奈は、オレのせいでこんな姿になっちまったんだよな)
一発、また一発――――いくつもの負の感情のこもった打撃が、眼前の怪物の体を着実にえぐっていく。その威力がバベルの感染者に通用するだけのことはあり、彼女の打撃による衝撃はアスファルトに大きな亀裂を入れていく。
(クソッ……由奈を殴るたびに胸が痛くなっちまう。これじゃ、まるで自分の心そのものをタコ殴りにしてるようなモンじゃねぇかよ……)
いくら現状を嘆いたところで、運命に抗うことはできない。風音は化け物がよろめいた一瞬を見逃さず、高く跳躍しながら握り拳に全力をこめた。
「ごめんな……由奈!」
彼女の拳骨に頬を思いきりえぐられ、化け物は地面に叩きつけられる。その巨体は家の瓦礫を勢いよく粉砕し、土地を大きくへこませていた。風音の一撃により、化け物の心臓は止まった。人間として死ぬことを望んでいた由奈は、血にまみれた醜い怪物としてその生涯を終えたのだ。
「オレって、本当に力だけが取り柄の馬鹿だよな」
黄砂のような砂煙が舞う退廃した路上にて、風音は自嘲的な微笑みを浮かべた。戦いを終えてもなお、その拳にこめられた力が彼女の腕を震わせていた。
青年は言った。
「ようやく片付いたようですね。それでは、話の続きをしましょうか」
もはや彼には、自らの手で親友を始末することになった風音を気遣うつもりなど毛頭ないらしい。青年は本題に入ろうとしていた。




