隣の部屋の女の子
「コン、コン、コン」
ノックの音が聞こえました。
どなたでしょうか。
わたくしはティーカップを置いて、立ち上がりました。
目で合図を送るまでもなく、すかさずニコルが扉を開けてくれます。
「おはよう!」
女の子の気持ちのいい笑顔が、わたくしの目に飛び込みます。
開口一番、彼女は鈴が鳴る声で言いました。
「えぇ、おはようございます」
わたくしは、いきなりのことで少々面食らってしまいましたが、何とか挨拶を返します。
顔を上げてよく見ると、昨日の自己紹介で見た顔でした。
確か、名前は……
「たしか、スーナさん?」
そう言うと、彼女は目を丸くして、口に手を当てました。
そして、次の瞬間には、彼女はすごい勢いで話し始めました。
「わぁ、すごい! スーナのこと、覚えててくれたの!? 感激! やっぱり頭のいい人は違うね! スーナなんか、昨日の自己紹介で半分も覚えられなかったよ。あっ、でもね。もちろん、フランソワさんのことは覚えてるよ! フランソワさん、綺麗だし、礼儀正しいし、深窓の令嬢って感じで、スーナ憧れちゃうなぁ。あっ、スーナばっかりでごめんね。そうだ! 立ち話も何だし、一緒に食堂いこうよ。スーナ外で待ってるから、準備できたら言ってね」
わたくしは、相槌を打つ暇もなく、曖昧に頷くことしかできません。
バタン。
扉が閉まると、嵐が通り過ぎた後のように、部屋がしんとしました。
わたくしは、助けを求めるように、ニコルと目を合わせました。
すると、ニコルはにこりと笑って、ただ一言だけ言いました。
「いってらっしゃいませ、フランお嬢様」
☆★☆★
「へぇ。では、スーナさんはお隣さんだったのですね」
「うんそうだよ、フランソワさん。挨拶が遅くなっちゃってごめんね」
「いえ、こちらこそ。今日からよろしくお願いしますね、スーナさん」
「うん、よろしく! それから、スーナのこと、『スーナ』って呼んで! そしたら、スーナも『フランソワ』って呼ぶから!」
「えっと…… 」
おそらく、スーナさんは平民でしょう。
平民の彼女に「フランソワ」と呼ばれるのは、貴族としてどうなんでしょうか。
「……ダメ、かな?」
そう言われると、罪悪感がありました。
なぜなら、わたくしは昨日確かに「学園は誰もが学ぶ場所」で、「みんな平等であること」に賛成したのですから。
それに、親しき仲にも礼儀あり、です。
わたくしは、ずっとそう教えられてきましたから、呼び捨てで人の名前を口にすること自体にも、多少の抵抗がありました。
ふと彼女を見つめると、スーナさんも心配そうにわたくしを見つめていました。
「そうですね、分かりました。では、スーナ。改めて、これからもよろしくお願いしますわ」
「ありがとう、フランソワ! よろしくね!」
そう言うとスーナは、花が咲くような満面の笑みを浮かべました。
天真爛漫とはこのことでしょうか。
この笑顔、日常を忘れて癒されるようです。
☆★☆★
「あ、フランソワ。そこの蜂蜜ヌガーとって」
「はい、どうぞ」
「ありがと」
「スーナは朝からよく食べるのね」
「今日から授業だもん。いっぱい食べとかなきゃ」
それにしても、気持ちいいほどの食べっぷり。
朝のランニングのおかげで、わたくしも朝はよく食べる方ですが、スーナはその倍は食べています。
「それにね、スーナの家は貧乏だったの。学園では好きなものを好きなだけ食べられるでしょ。だから、嬉しくっていっぱい食べちゃうの」
「そうだったのですか…… 」
ご飯が食べられないぐらいの貧乏。
わたくしには、想像もできません。
スーナと話していると、わたくしの常識が塗り替えられていくようです。
「気にしないで、フランソワ。今はお腹いっぱい食べられるからスーナ幸せだよ…… だから、そのタルトもちょうだい!」
「だ、だめです! これはわたくしの分です! それに、いくら何でも食べ過ぎでしょう! 模擬訓練の授業で動けませんよ」
「ちぇー」
わたくしは、スーナとすっかり意気投合してしまいました。
寮の部屋も隣同士ですから、これからも良い関係でいられるといいなと思います。
(あら、あの子は)
その時、わたくしは紫髪の彼女の姿を見つけました。
彼女は、1人の女の子と共にこちらへと歩いてきました。
「あら、フランソワ様。おはようございますっ」
「おはようございます、メランダさん」
「フランソワ様、紹介致しますわ。こちら、マルタ=サンクストさん」
「はじめまして、フランソワ様。私、サンクスト準男爵家長女のマルタと申しますの。お会いできて、光栄ですわ」
すらりとした長身。
ブルーの大きな瞳と短めに切り揃えられた髪は、中性的な印象を与えていました。
サンクスト家といえば、生粋の武闘派貴族。
その端正な顔にも気の強さが滲み出ているようにも見えました。
「はじめまして。フランソワ=リーンヴェルトですわ。これから1年間、よろしくお願いします」
わたくしたちは、お互いに微笑んで挨拶を交わしました。
この時、一瞬だけ、マルタさんがわたくしを睨み付けていたような気がしたのは、わたくしが見間違えたのでしょうか。