第6話
「見つけた」
雑踏の中、私は一人の女性をロックオンした。
ターゲットに近づき、そっと服の裾を引く。
「お姉さん。ちょっと、いいですか?」
声をかけられた彼女――結は、びくっと肩を跳ね上げると、
まるで野良猫のような俊敏さで建物の影へ逃げ込んだ。
そこから恐る恐るこちらを覗き込み、相手がただの子供だとわかると、
ようやく警戒を解いて戻ってきた。
「……お嬢ちゃん、どうしたの? 迷子?」
「お姉さん、お願いがあるの。このナンバーズの当たり券をあげるから、
しばらく家に置いてほしいの」
私は数日前に仕込んでおいた当選券と、今朝買った新聞を差し出した。
結はそれをひったくるように受け取り、何度も見比べる。
その瞳が、驚愕で大きく揺れた。
私は知っている。
彼女が元カレの連帯保証人として、500万円の借金を背負っていることを。
この105万円があれば、彼女の首を絞めている返済は一気に楽になる。
けれど、彼女の脳内ではまだ葛藤が渦巻いていた。
子供を保護するリスク。 食費。
そして何より――正体不明の不気味さ。
「大丈夫だよ」
私は、彼女の迷いを見透かして言った。
「お姉さん、これから宝くじ買うつもりだったでしょ?
そのお金を持って競馬場に行こう。私が勝たせてあげるから」
「……はぁ?」
当然、結は疑った。
けれど私は畳みかける。
「もし損したら、この当たり券は全部あげる。
私も二度とお姉さんの前に現れない」
押しに弱いのが結の弱点であることも、もちろん知っていた。
結局、彼女は毒気に当てられたように、私を連れて競馬場へ向かった。
◇
熱気と砂埃、そして欲望が渦巻く競馬場。
私は馬券を買う人々のウィンドウを次々とスキャンし、結に指示を出す。
「全額、2-3。……次は4-1に全部」
結は半ば呆れながらも、私の言葉通りに馬券を買った。
そしてレースが終わるたび、彼女の握りしめた紙切れは万札の束へと変わっていく。
的中。
的中。
また的中。
わずか数時間で、今月の生活費どころか、
彼女が見たこともない大金が積み上がった。
「……あなた、何なの? 死神? 私、もうすぐ死ぬの?」
震える声で結が問う。
その瞳には、恐怖と期待が入り混じっていた。
私はゆっくりと首を横に振る。
「ううん。私はただ、逃げてきただけ。
……この能力を、手にしてしまったから」
夕暮れの競馬場。
私は結の目を真っ直ぐに見つめた。
「お姉さん。お願い。私を、ここにいさせて」
結は長く深いため息をついた。
「……はあ。わかったわよ。でも、絶対に目立つことはしないでね」
――交渉、成立。
◇
こうして、私たちの奇妙な共同生活が始まった。
私の名前は「絢」。
彼女の名前は「結」。
……もちろん、私は最初から知っていたけれど。
身元が割れる高額当選は避け、結に複数の売り場を回ってもらい、
10万円以下の当選金をこまめに回収する。
それが彼女の借金返済と、私の生活費になった。
私は結の家から一歩も出ない「引きこもり」になった。
私が手に入れたのは、結が契約したISDN回線と、一台のパソコン。
1999年のインターネット。
そこは、現実の運命から切り離された、
私にとって唯一の安息の地だった。
「働いたら負け、だもんね」
暗い部屋の中、モニターの光に照らされながら、私は小さく笑った。
アンゴルモアの王は、東京の片隅で、静かに牙を研ぎ始める。




