第16話 美味しくなあれ!
「これでよし、と……」
店先でよく見かける、イーゼル型の両面黒板――いわゆる“A型ブラックボード”を新たに調達した。
澪さんデザインのブラウニーの擬人化らしい、なんとも言えないゆるさが売りの“ニーちゃん”を隅に描き、「学生限定! ブラウニーセット 500円 10食限定お早めに!」と表記してみた。
さあこれがウケるかどうかだな。
さらに俺には秘策があった。
「澪さん、どうすか?」
「み、湊ちゃん! すっごく良いよお……他の人に見せたくないけど、仕方ないね……」
ティータイム限定のメイド衣装を着てみた。
(うん、可愛いなこの衣装)
鏡に映る自分の姿に少しときめいてしまう俺は、どうしようもないナルシストだった。
新たに導入したメイド衣装は、美冬のコス仲間が俺のために作ってくれた品だった。美冬が預かってくれていたのだ。
衣装を取りに行ったときに「あーしも執事役でお給仕したいなー!」なんてことを言っていたので、そのうちやってもらおうかな。
そんなこんなでティータイムだ。看板を表に出してる最中、通行人に「メイドさんだ!」「かわいー!」なんて口々に語られていた。んふ、可愛いって罪ね。
しばらくして大学生のカップルが入店してきた。
「いらっしゃいませ~!」
席に案内してお冷を提供する。
カップルは俺を珍しげにじっと見ていた。
狙い通りかな。パッと見で俺を男と判別できる人はなかなかいないだろう。もっとも隠すつもりもない。聞かれたら男だと答えるつもりだ。
「ご注文はお決まりですか?」
「学生向けのブラウニーセットを2つお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
男の方は呆けたような表情でずっと俺を見ている。ゴツッと言う音とともに軽い悲鳴が聞こえてきた。彼女に足でも蹴られたようだ。罪深いなあ俺。
「おまたせしました。ブラウニーとコーヒーのセットです」
さらさらっとパウダーシュガーがかけられ、その上にハート模様が描かれていた。澪さんってホント器用だな。
大学生のカップルには確実にウケが良かったようだ。
まあこれで500円だものな。
「メイドさん、『美味しくなあれ』とかってやってくれます?」
調子に乗った彼氏がそんなことを言ってきた。彼女さん顔を赤くしてるぞ。大丈夫か?
「良いですよ。でも、ぼく男ですけどいいですか?」
俺の言葉にふたりとも固まってしまった。
「ぜひお願いします! 目覚めました!」
「私にもお願いします! すごく可愛い! むしろ男の人でありがとうございます!」
なんだかとても興奮してくれた。メイドの写真撮影はご遠慮ねがいつつ、ブラウニーセットの写真はたくさん撮ってもらった。
「美味しくなあれ、キュン♡」
「ありがとうございます! この店リピ決定です!」
「ふふ、この店の一番の売りはコーヒーです。冷める前にいただいてくださいね。ごゆっくりどうぞ」
背後から「このコーヒー美味しい!」と感嘆の声が聞こえた。そうだろうそうだろう。俺は確実な手応えを感じた。これはいける。
その後も初来店のお客さんが結構来てくれた。ブラウニーセット10セットは少なかったかも知れないな。他のケーキと言えば冷凍チーズケーキぐらいだ。まだまだスイーツは貧弱だな。
この売れ行きが継続するようなら更なる対策も必要になるだろう。
閉店後、澪さんが俺に抱きついてきた。待ち切れない様子だったようだ。
「湊ちゃん! メイド姿すっごく良い!お持ち帰りしたいけど、もうおうちだった!」
「澪さんがダメになっちゃうのは想定内っす。じゃあ今日はこのまま晩ごはん作りますね」
「晩酌もその格好でちょっとだけ良いかな? だめ?」
上目遣いに俺を見る澪さん。それは反則だろう……。
「……いいっすよ。でも、明日もお店だから飲み過ぎは駄目っすよ」
「分かった!ありがとう湊くん!」
今晩のメニューは鶏もも肉の塩こうじ焼き、ナスの揚げ浸し、ほうれん草のナムル。おかずにもよし、晩酌にもバッチリな組み合わせだ。
「新メニューと湊ちゃんの新衣装にかんぱーい!」
「ブラウニー完売おめでとうー、かんぱーい!」
澪さんと晩酌に付き合うようになってから結構飲めるようになったな。良いのか悪いのかはわからないが。
「毎日ありがとうね、湊くん。ホント美味しいご飯作ってくれるの嬉しいな~。さらば、冷食生活!」
「喜んでくれて嬉しいっす。なんだか澪さんのために専門学校卒業したみたいっすね」
「私としては嬉しい話だけど、元々はファミレスに勤める予定だったんだよね。……今でもレストランに勤めたいって思ったりする?」
「そうっすね。チャンスがあればって思ってたし、探せば結構あるとは思うんすけどね。外食産業は常に人手不足だし。でも、今はこの店の売上を上げることを考えるのが楽しいんすよ」
澪さんは嬉しそうにしつつも、ふと視線を落とした。少し寂しいような切ないような。そんな風に見えた。
何か思うことでもあるんだろうか。
「ホントに良いのかな。――若くて才能がある君を私が独り占めしちゃってるって、罪悪感があるのよ」
声が少し震えていた。
自分の力ではどうにもならなかった店の状況が、今こうして持ち直している。澪さんにとって、それはきっと複雑な思いだったんだろう。
けれど、この店の要は紛れもなく澪さんだ。あの美味しいコーヒーがなければ、俺がどれだけ頑張ったって、お客さんは来てくれなかったはずだ。
「俺と澪さんっていいコンビだと思うんすよね。俺は料理や店舗運営の基礎とか勉強したことを出せているし、澪さん無しではまずコーヒーが淹れられないし。メニューやイラストとか、お互いの得意分野が今は良い感じに噛み合ってますよね」
「え……。私、役に立ってる?」
「役に立ってる度合いで言えば7:3で澪さんのが上っす。言い過ぎたか、8:2で澪さんっす。この店は澪さんのコーヒーが大前提っすからね」
別に卑下してるわけじゃない。実際この店のコーヒーの美味さに惚れてお客さんが来ているのだ。自信をなくすほうがどうかしていた。
「そっか……。私の淹れるコーヒーはお祖父ちゃん直伝だから美味しいもんね。でも、湊くん無しでは潰れてたのは確かだよ。今はまだお店も十分儲かってるって言える状況じゃないだろうけど、湊くんにはお給料払わないとね」
「そっすね。でも、今はこうして温かい家に住めているし、ご飯も美味しく食べれてる。仕事は楽しいし、澪さんのこと、その、……好きだし」
俺の言葉に澪さんは顔を真っ赤にしている。嬉しいんだか興奮しているんだか、とにかく感極まった様子だ。
「と、とにかく不満はないっす! 澪さん一人になんて絶対しません。もちろん儲かったらきっちり給料は貰うっすからね!」
澪さんが顔をぐしゃぐしゃにして俺にしがみついてきた。
「もちろんだよー! ありがとうね、湊くん。君がいてくれるだけで私は良いの。出ていったらどうしようって、愛想つかされたらどうしようって、そう考えると怖かった……うあああ……」
「出ていくわけないっす。行き場がないとかじゃない、澪さんとずっと一緒に居たいんすよ」
今日のお酒は泣き上戸なようだ。毎日いろいろ楽しませてくれるなあ、俺の愛しい人は。




