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第7話 歩いてきた霊水


 夕刻というにはまだ早い時間。普段であっても、たちばなに客が来る頃合いでは御座いません。まして、ここ数日、仔細あって店を閉めていたところです。しかし、


「こちら、たちばなさんで間違いありませんかな。土御門家の方はおられますかな?」


と声をかけながら、一人の男がその身を半分、引き戸から中へ入れました。

 一見して堅気らしくなく、目の下についた深いくまと鋭い目付きが人を不安にさせます。骨董、書画の目利きか、あるいは人相見か。物を品定めすることに秀でた人物のように思えますが、その目にや険がありかげがあります。


 男のおとないを受けて、これ幸いと美由紀の手を逃れて着物のすそを整えながら土御門光雄が応じていわく。


「へいへい、僕のことかね」


「おまえさんが?」


 戸口に立ったまま、光雄の全身を見て、最後に引っ掻き傷だらけのその顔を見て、嫌そうな顔をしています。


「うわ、傷付くなぁ。名家に相応しくない立ち居振る舞いとはよく言われるけど、あからさまにがっくりされると、ちょっぴり悲しいね」


「いや、失礼しやした。不機嫌そうな顔と目付きは生まれつき。ついつい人を眺めちまうのも悪い癖でさぁ。言葉と態度の悪さも織り込み済みと願いたいですな。

 あっしは、河津の達と申しやす。先ほど、倉橋の屋敷を訪ねて行ったところ、こちらの光雄さんに頼むように言われやして」


「なんだ、分家のお客さんか。そりゃ、倉橋のばばぁに体良ていよく断られたのさ。面倒ごとはとりあえず押し付けてきやがるんだ。おっと失礼、何も聞かぬうちに面倒ごと扱いはなかったな。こちらは土御門家のはぐれ者、土御門光雄でござい。して、ご用件は?」


「心水教の名代みょうだいとして、失せ物探しの依頼に来やした。こちら、手土産の霊水で御座いやす」


 河津かわづが風呂敷を床机しょうぎに置き、小瓶こびんに入った霊水を取り出しました。戸口から差し込む光にき影が美しく、いかにも玄妙にして清冽なものと見えます。


「詳しいことも話さずになんですが、依頼の件は、引き受けて頂けるなら、後日、教祖の白里様から話させてもらいやす」


「わからんままにねぇ」


「無理にということはありやせん。あっしとしては、あまり外へ吹聴ふいちょうしたくはないんですがね。白里様の意とあれば仕方ねぇですから」


 まあ、ゆっくり考えていただければ結構、と懐から小天狗しょうてんぐを取り出して火をつけました。このころ人気の紙巻き煙草です。

 ぷはぁ、と天井へ煙を吐いたところへ、河津の着物を、小さな手がくいっくいっと引っ張りまして。


 しがみつくようにして中を覗いていたのは、十歳くらいの可愛らしい女の子です。吉原の禿かむろのように見えなくもありません。


「なんでぇ、沙希さき。表で待ってな」


 煙草をふかしながら応じますが、沙希と呼ばれた子が黙ったままさらに着物を引くので、面倒くさそうに振り返り、外の様子を伺いました。沙希が身振りで示すには、落としたお手玉を犬に取られたらしく、指差して取り返してくれと訴えているのです。

 河津は、如何いかにも気怠けだるげに歩いて、犬の前に屈むと、叱声しっせい退がらせてお手玉を取り返しました。ぽいっと投げられたそれを受け取って、嬉しそうな沙希です。


 なんとなくばつの悪そうな感じで戻ってきた河津が、改めて依頼の件を口にしました。


「詳しい事情を聞かずに引き受けるというのは、やっぱり無理ですかいね?」


「いや、引き受けよう」


「へっ、そうかい?」


「不満かな」


滅相めっそうもねぇ。断られると思ってやした」


「分家の方はそうだろうさ。僕は、そこまで余裕のある身でもないのでね」


「わかりやした。では、後日、教祖の白里様の元へお連れしやしょう。今日はこれで」


 そそくさと立ち去ろうとする河津を、光雄が呼び止めます。


「まあ待ちない。ここは飯屋だぞ。娘さんと一緒に飯だけでも食っていきなよ」


「娘なんかじゃねぇや。あっしの……」


「なんだい?」


「いや、なんでもねぇ」


「そうかい。美由紀ちゃん、さっきの子を呼んできてやってよ。親父さんも、いいだろう? なんか食わしてやってくれ」


 あいよ、おう、とそれぞれ応じ、美由紀が外へ出て沙希を呼びますが、一心にお手玉をやっていて気付かない様子。

 沙希ちゃん! 声をあげる美由紀の脇をすり抜けて河津が外へ出ました。


「もうしわけねぇ。あいつは耳が聞こえねぇんだ。おまけに口もきけないときた。やっぱり、今日はこのまま帰らしてもらいやす」


「なんでよ。食べていけばいいじゃない」


 口をとがらした美由紀が、河津の制止を無視して小走りに向かい、沙希を連れて戻りました。追って、渋々ながら店に入った河津に、珍しく口を開いて孝蔵が声をかけます。


「なんのことかわからないだろうが、今日はお祝いでね。おあしはいらないよ」


「そうですかい。沙希の奴は行儀の良い方でもないんで、お見苦しいかしれやせんがね」


 などと言われながらも、床机に静かに座って、その年頃の子供にしては落ち着いた様子の沙希でした。

 妙に無表情ですが、河津に引っ付いて着物の端を握っているところを見ると、見知らぬ場所と人に気が張ってもいるのでしょう。


 やがて出てきた握り飯にこうの物。牛蒡ごぼうの煮物に塩鰹しおがつお、八杯豆腐と油揚げの焼き物。酒のさかなのようなものが多い中、沙希は黙々と、そしてぺろりと平らげたものです。声に出ずとも表情がほくほくとほころんでおりました。

 それを見て嬉しいのは孝蔵です。美由紀の快気もあって上機嫌。


「たいした物もないのに、美味しそうに食べてくれる。良い子じゃないか」


「普段は味の薄いものばかりなんで、余計に美味しいんでしょうな。あんまりがっつかれると恥ずかしくていけねぇ」


「あら、いいじゃない」

 子供好きの美由紀は、沙希の食べっぷりを楽しそうに見て、何くれと世話を焼いておりました。「たくさん食べてね。子供に遠慮も気遣いもいらないもの。黙々と平らげてくれて気持ちいいわ」


「いや、面目ねぇこって」


 縮こまったようにしながらも、舩坂少尉のぐ酒を受けては、こちらも遠慮斟酌えんりょしんしゃくなく、きゅっと空けていきます。

 やがてお腹もいっぱいになったのか、うとうとしだした沙希を背負うと、いずれ迎えをやりやすと残して帰っていったのでした。


 暗い表へ姿を消した河津を見送ると、ほがらかに酔っていたはずの光雄がすっと表情を引き締めました。


「おかしなことが続くものだ。霊水がらみの憑き物を落としたところへ、また霊水が歩いてやってくるとはな」


「何か引っかかるのか」


 飲み続けているわりに顔色も変わらず、表情も崩さぬ舩坂少尉です。


「まあね。教祖の意を受けて頼みに来た割には、必死さがなくてよ。断ってくれるならその方がいい、そんな雰囲気があったよ。なにやら胡散臭うさんくさいな。

 それにしたって分家のばばぁめ、都合よく使いやがって。ももんじ屋の付けと狩衣かりぎぬを持ち出したのと、もうばれてやがるな」


 ちぇっ、と舌打ちするも、


「まあいいさ。折角の機会だ。当代随一とうだいずいいちの新神道、心水教の様子を見てこよう。なんなら、霊水の詰め方、売り方も学んでくるかな」


と、楽しげな様子で付け加えました。


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