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第63話 穴と腕 後段


 夏の夜明けに目覚めると、三郎の前には初老の御婦人。逢初桜(あいぞめざくら)の下で出会った花車(かしゃ)の女性でした。路上で寝込むようにしていた三郎らを見て声をかけたわけですが、


「夕べはずいぶん楽しまれた様子。酒に呑まれましたか。次には、ぜひとも身どもの見世(みせ)へお越しなさい」


との言葉には応えず、三郎が周囲を見回すと、東昇も半も千代殿も、それぞれ身を起こそうとしており、ひとまず安心です。女性に向かって御礼方々、問いかけます。


「お騒がせして申し訳ない。しかし、貴女(あなた)は、こんな朝早くにどうして此処(ここ)へ?」


「あら、私ですか。ふふ、儚い願い事のためですよ。いつだか此処(ここ)に捨てられた、いえ、捨ててしまった我が子に会いたいと」


「我が子を……」


「ええ、我が子を捨てた。私に比べれば黒塚の鬼でさえ慈悲深いもの。でも……。いえ、やめておきましょう。理由も、事情も、事実を塗り替えてはくれませんからね。

 私は望まれぬ子を産み、此処(ここ)に捨てた。願わくば生き延びさせたまえと勝手な祈りとともに。そしていまは、恨まれて殺されても良いから我が子に会いたいと願っている。ふふ、身勝手も此処に極まれり。吉原の獄卒には相応(ふさわ)しいものですね」


 烈しい言葉とは裏腹に消え入りそうな女性の声です。ふと顔を持ち上げて縋(すが)るように、


「時に、あなたの名前は? なんと言われるか、教えてはもらえませんか」


と問いかけますが、三郎は黙して答えませぬ。その目を覗き込むようにして、女性が声を震わせました。


「ふふ、そうですか。遣(や)り手風情に名乗る名はなきか」


「……三郎。俺の名は三郎です。名字などはない。ただの三郎です」


 三郎、三郎、と口中で繰り返して、女性は、いつの生まれか、いまいくつか、生まれの年に間違いはないかと立て続けに問いかけました。


「たしかに、その年なのですね。その翌年ではありませんか。そうか、違うのですか」


「すみません。意に沿わぬようで」


「いえ、こちらこそ取り乱して申し訳ない。あなたの生まれたその翌年が我が子の生まれた年でした。逢初桜(あいぞめざくら)の下で出会ったので、もしやと淡い思いを持ってしまいました」


 ふふ、と寂しげに笑うと、女性は、もう一度穴神様に願ってみようかしらとつぶやきました。それを聞いた三郎は、


「駄目です!」


と強く制止したのです。女性の方も少し驚いた様子でしたが、


「そう。じゃあ、あなたがあの子の代わりに来てくれたと思おうかしら」


と言って小さく微笑みました。



 女性と別れ、吉原の大門を抜けた後の話です。逢初桜(あいぞめざくら)、駒止松(こまどめまつ)と合わせて、廓(くるわ)の三雅木(さんがぼく)と呼ばれる見返り柳から吉原を振り返って、三郎がじっと動かずに立っております。それと気付いた千代殿が、どうかしたかと声をかけますと、首を振って応じました。


「吉原では、多くの赤子が殺されたり捨てられたり売られたりしてきたのでしょう。だから、違うかもしれないが……。

 あの人の言う年は、四郎が生まれた年、四郎が九郎助稲荷で拾われた年でした」


「……言わなかったんだね?」


「はい。あの人は四郎の母親なのかもしれない。でも、違うかもしれない。

 できれば、もしかしたら生きているかもしれないと思っていて欲しい。もしかしたら母が生きているかもしれないと俺が思うように」


「そうかい」


 言って千代殿が三郎の頭をわしゃわしゃと撫でてやるのでした。俯(うつむ)いた三郎の口元を通り過ぎて、薄く塩を含んだ水滴が一粒、柳の根本に落ちて乾きました。



 花車の女性は、三郎の短くも真摯な言葉を受け止めて、その後、穴神様に願掛けをすることはなかったと言います。

 そうしておいて本当に良かったというところ。なぜなら、三郎らが妖しの出来事に見舞われて間もない夜のこと、九郎助稲荷の跡地で再び、事が起きていたからです。


 失敗した、失敗した、失敗した。


 そう繰り返す者の姿は人に似ず。足がなく、白蛇を思わせる鱗に覆われた蛇女で御座います。操るのは勧修寺五月(かんしゅうじ さつき)でしょうか。

 傍らには年経た蜘蛛(くも)が人に化けたような八本腕のそれ。こちらは勧修寺忍(かんしゅうじ しのぶ)でありましたな。もう一体別の人形を支えております。


 面布(めんぬの)に鬼と書かれた人形を、九郎助稲荷跡地の穴の前に立たせているのでした。


「姉さん、本当にやるの?」


 不安げに問いかける蜘蛛こと忍に向かって、蛇女こと五月(さつき)が叱咤(しった)するように、


「やるとも。裏切り者は許しておけん。一族の仇や。父も母も、兄も叔父も叔母も従兄弟も殺された。新政府の連中も奴の縁者も塵に帰してくれる。そのために、秘蔵の夜叉丸、蜘蛛丸、外道丸を持ち出してきたんや。

 東京に残った最後の護り地を燃やし尽くしてくれるわ。うちが必ず殺してやる」


 さあ、外道丸をしっかり押さえとれよ。


 忍に念を押すと、五月は九郎助稲荷跡地の穴へ、次々と壺を投げ入れていきます。どうやら、古い骨壺のようです。


「やっぱり蟲や水子なんぞでは役不足やな。あかんなぁ。浄閑寺(じょうかんじ)には腐るほど骨壺があるんやで、最初から使えば良かったわ。小夜衣(さよぎぬ)の骨壺もあるでぇ」


 いくつもの骨壺を穴に放り込むと、忍に目配せをします。忍が反魂香を焚き始め、甘くとろりとした香が漂ってきました。


 蛇女こと五月が低く唸るような声で呪言を唱えるにつれて、外道丸と呼ばれた鬼の人形がしっかりと立ち、面布がひとりでに持ち上がってきました。その顔から、ごうと赤黒い炎が上がり、外道丸を包み込みます。


 呼応するように、穴からは一本の腕が突き出されました。細く華奢(きゃしゃ)な腕は若い女性のものと見えながら、黒く焼け焦げております。

 穴から這い出した腕とそれに続く体が、もぞもぞと動いて外道丸に縋(すが)りつくと、ぞろりと面布の下へ吸い込まれて行くのでした。


 だけでなく、次々と穴から腕が。


 四郎の腕だけでなく、他にも見知った腕があったとか。すべて外道丸の中へ吸い込まれて消えて行きました。最後の腕と持ち主を呑み込むと、外道丸を覆っていた炎も、吸い込まれるように消え失せまして御座います。それを見て、


「よしよし、ええ具合に仕上がったでぇ」


と、満足そうな勧修寺五月でありました。


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