第53話 蛇女と蜘蛛 前段
狐屋敷の一隅にある六角の庵です。
荒く削り出された一枚板のテーブルに、部屋の主である琴葉あるいは葛葉と、沙希、十五郎とが座り、三人の前に置かれた小さな箱が、がたがたと揺れておりました。その上には色鮮やかな姉様人形が乗っており、揺れども落ちず。これはいったい、と口を切ろうとした十五郎ですが、その前に、
「箱」
と言って小さな手が伸ばされました。
六つ七つほどの少女で、座ったままテーブル中央の箱を取ろうとして届かず。ひょいと手にした琴葉が箱を手渡しました。揺れる箱を両手に握って嬉しそうな件です。がたがたゆれる音に昼寝から目覚めたのでしょう。
「……大丈夫なのか」
妖しげな箱を件に渡して良いのか、もしくは箱が壊されたりしないか、両面で心配する十五郎でした。くすくすと笑って琴葉が、
「大丈夫です。あの箱は時至るまで開かぬようにしてあります。見張りもつけてますし」
「がたがたと、何かいるのか?」
「ええ、もしかしたら警告なのかもしれません。箱は奈落のようなもの。此の世と隠り世を薄皮一枚で隔てるのです。反魂香のように、件のように、また何かが起きようとしているのでしょうか」
ふと三人の視線が件と白水に向かいました。良い気持ちで昼寝をしていた白水ですが、同い年くらいの件には恰好の遊び相手ですから、叩き起こされて相手をさせられています。
白水の手には先ほどの箱があり、件の手には色鮮やかな姉様人形です。どうやら姉様人形が箱をやっつけるごっこ遊び。件が、
「箱、馬鹿、嫌い」
などと言う度に、箱に姉様人形をぶつけています。そうして遊びながら、白水も件も、時折、何もない虚空を見ては頷いたり笑ったりしているのでした。
まるで猫みたいと思う沙希の耳に、
「この箱、なんか嫌い」
と声が聞こえたのです。白水でも件でもなく、姉様人形から聞こえたようで、そちらを見つめておりますと、琴葉に声をかけられました。
「なにか聞こえましたか」
「声が聞こえたような。子供たちも……」
「ふふ、七つまでは天狗と言いますからね。常識に凝り固まった大人には見えないものが見え、聞こえないものが聞こえている。
佳乃と名付けた姉様人形と遊んでいるのでしょう。物に名を与えること自体が一つの式神を生むのです」
言葉を切って、あらぬ方を見る琴葉の耳に、どこか遠くで重い物が壊されて地に落ちる音が響いておりました。
ほぼ同時に、屈託なく遊んでいた件が、げぇ、と瑠璃珠を吐いて。それには、一文字、
「鬼」
と刻まれていたのです。実は、先ほどの重い物が落ちる音は、屋敷の護りである鬼瓦が壊されて地に落ちた音でありました。
しかし、それだけであるかどうか。鬼とは面を被って舞う死者のことでありますれば。誰もが不吉な予感を持つ中で、天井を見上げた御令嬢の雰囲気は、すでに葛葉でした。
「十五郎様、皆様、鬼門から何か良くないものが来ます。壁際へ」
葛葉の言葉を受けて動いた直後、天井を突き破って落ちてきたものがありました。ぽっかり開いた穴から夏の日輪が顔を覗かせます。きらきらと舞う塵の中に立つ人影は、どこか歪で、どこか見たことあるような。
それは、生き人形の見世物小屋に立っていた蜘蛛と蛇の変化じみたものでした。年経た蜘蛛が人に化けたような八本腕のそれ、足がなく白蛇を思わせる鱗に覆われた蛇女と。
落ちてきたそれらが生きているように動くのを不思議に思うと同時、鬼の人形がいないことを不思議に思う。そんなことを気にする人の心の面白さよ。しかし、下らぬことに気を迷わせたのは一瞬のことです。女子供を後ろに、前へ出る十五郎でありました。
男尊女卑の石頭と言われそうなところ、時は明治のことですから御許しを。沙希も葛葉も、力を持つ身ではありますが、刀を持つ身ではありませぬ。件と白水は言わずもがな。十五郎一人で、丁々発止、八面六臂の活躍と行きますものかどうか。
その前に、此奴らは何者か。戦わねばならぬ相手であるのでしょうか。その答えは、蜘蛛の一刀で御座いました。分厚く硬い一枚板のテーブルを無言で一刀両断、畳から床下まで真っ二つにしてみせます。
テーブルの片割れに半身を預けた蛇女が、壁際の一同を見つめました。感情の読めない爬虫類を模した目を通して、どこか遠くから響くような女の声が聞こえます。
「こんな風に真っ二つになりたいか? なりたくないわな。さあ、教えてくれるかい。箱を何処へやったんさ?」
と問われるも、皆が息を呑んで答えられずにいるところ、
「箱!」
と件が元気よく声を上げたものでした。がたがたと震える箱を高く持ち上げて、
「箱! 箱!」
と嬉しそうです。
しかし、蛇女は、件の手から箱を取り上げ、長い指先に摘んでじっと見つめると、
「これ、ちゃうで。偽物やん」
と、ぽいと放り捨てたのでした。がーんとショックを受けた様子の件が箱を拾い上げます。しくしくと沙希の胸で泣くのですが。
それはさておき、屋根を打ち破って入ってきた無礼な侵入者を非難する葛葉であります。
「よくもまあ、私の庵を台無しにしてくれましたね。甲斐性無しのお兄様に、屋根を修繕する余裕があるとお思いですか」
「そんなん知らへん。うちは此処に伝わる箱を取りに来ただけや」
「音なしの箱?」
「そうや。どこへやった? こんな偽物で騙せると思うたか。奪わせてもらうでぇ」
「ありません」
「……なんやて?」
「音なしの箱は、ずっと昔、子供の頃に遊びに持ち出して無くしてしまいました。その代わりに、母にねだって作ってもらったのが先ほどの箱です」
と口元を抑えて笑います。嘘とも思えぬ言葉でしたから、蛇女は、
「忍、ほかに何かあらへん?」
と蜘蛛に問いかけました。忍と呼ばれた人形がふるふると首を振りまして、
「姉さん、ほかにはそこの姉様人形に力を感じるくらいです。偽物の箱に惹かれたのかも」
「ちぇっ、外れかぁ。しゃあない」
帰るか、と続くかと思いきや、
「……そいつだけでも貰ってこか」
と、沙希の腹を指差しました。




