〜彷徨い人と、迷い猫 9 〜
心がほどける時がある。
それは誰しも安らげる瞬間だろう。
そういう時、生きててよかったなぁとか、生に対する感謝みたいな感情をきっと皆が感じるはずだ。
だけど、そういう時に限って僕は嫌な夢を見る。
まるで、『お前はずっと縛られておけ』と心に言われているかのようだ。
確かにね。僕は穏やかな生き方なんてしちゃいけない人間なのかも知れない。
もしくは、『油断するな』という警告なのかも知れない。
3課の前衛を外されて、実家で温かさを思い出して、少し安心している僕は確かに今、油断しているのかもしれない。
歩いていてはダメなんだ。
常に走り続けていないと、止まった時にしんどさが一気にこみ上げてくるから。
そういう事にしておいて、今一度気持ちを入れ直した方がいいんだろうなぁ、きっと。
…とはいえ、こんな状況では気も緩むよ。
「…ん?キヨぴ、どうかしたー?」
車の後部座席。
僕の隣に座るこんがり焼けたギャル風の女の子が、ニコッと笑顔を向けてくる。
「…いや、なんでもないよ」
「そ?なんかぼーっとしてるよ?さっきから」
「大丈夫だから」
今度は運転席から声がかかる。
「湯川さん、近衛さんは先輩なんだから、敬語使って下さい」
少し苛立った声の、ショートカットの地味めな女の子。
4課の見習い修復士、実川ヒナちゃんだ。
彼女にたしなめられ、ギャル風の女の子は少し唇を尖らせながら、渋々といった風に「はぁーい」と返した。
話は少しさかのぼる。
1時間くらい前。
「じゃあ課長、山王さん所に行ってきます。車使いますね」
いつも通りに出社した僕は、以前から話のあった山王家からの依頼に基づき、山王家を訪問する事になっていた。
山王家という太客かつスポンサーからの依頼に会社は身構えているようだけど、チヅルさんの話の通りなら、おそらくただの猫の捜索だ。
礼節を持って粗相のないように対応すれば、後はまぁ問題無い、大した事のない依頼だ。
「あ、待って近衛くん」
「はい?」
「こんな機会なかなかないからさ、研修も兼ねて一人付けようと思ってるんだけどいいかな?…というか、研修させてあげて欲しいって4課から頼まれてるんだ」
「…はぁ、構いませんけど」
「ムラクモで働く上で、社会人としての振る舞いも身につけて貰わないといけないからって、御門主任からも言われててね。その代わり、運転手は4課から出してくれるらしいから」
「そうなんですか、分かりました」
いつものように申し訳なさそうな、御手洗課長の表情。この人も色々大変…というか、管理職って色々面倒なんだろうなぁ。
「多分、下に湯川くんがいるから、一緒に連れていってあげてよ。ちゃんと粗相のないように、近衛くんが教育してあげてね」
湯川ユウカ。
4課でインターンやってるって言ってた、あの黒ギャルの回復士か。
以前、ミサやカゲが『メルクリウス事件』でてんやわんやになっている頃、初めて彼女と会った。
まあ僕も現場に出ていたから、参加していた事にはなるのだけど。
いかにもなヘソ出しの露出度高めの恰好に、長いネイル、へそピアス、メッシュの髪…
ちょっと待ってよ、山王グループへ行くんだよ?
そんな子を同伴させたら、怒られるよ。
山王さん家がヘソ曲げたらどうすんのよ。
「あの、課長」
「ん?」
「彼女、ほんとに同伴させるんですか?あんなゴリゴリのギャルを?山王グループですよ?」
「大丈夫、彼女にはちゃんと言っといたから。『身だしなみをちゃんと整えて』って」
「…アテにならんっすよ。ギャルなんて言う事聞かないですから」
「た、多分大丈夫だと思うけどなぁ」
お人好しだな、課長は。相変わらずだ。
会社指示なんだとしたら、逆らえないだろうから仕方ないんだけど。
矢面に立つのは僕ですからね、所詮。
…何とかするかぁ。
初っ端から凹む内容のオプションを付けられてエントランスへ向かう僕。
エントランスロビーに、高校の制服姿なんだろう、ブレザーにプリーツスカート姿の彼女が待っていた。
髪は真っ黒に染め直されている。
それでもプライドなんだろうか、サイドに一筋だけ栗色のラインが入っている。素麺の束に少しだけ入った色付きの麺みたいだ。
長かったネイルは普通の長さに全て切り揃えられていて、さすがに生の爪のままではなく、控えめなヌードカラーのネイルグロス。それでも以前に比べれば全然いい。むしろ清潔感がある。
ブレザーの制服に、おそらく校則通りのリボン。ちょっと襟元は緩めだけど、許容範囲内。
スカートの丈は…さすがに間に合わなかったか。膝上15センチってところ。うーん…まぁ仕方ないか。
肌は…どうしようもないもんな。おそらく日サロで焼いているんだろう、ムラのない小麦色は今更どうすることもできない。
カラコンは…外してきたか、よしよし。
黒目が大きく見えるコンタクトをしてるみたいだけど、それくらいなら良しとしよう。
ピアスは…シンプルなスタッドタイプの、まち針みたいな形のものか。できれば透明ピアスが良かったけど…指摘するのはやめとくか。彼女なりに妥協してコレなんだろうし。
メイクは…控えめにしてきたな。付けまつ毛だけは外せなかったのか、それでも前よりはおとなしめだ。許してやるか。
「…めっちゃ見るじゃん」
少し不機嫌そうに、彼女…湯川ユウカは口を開いた。唇も艶のあるリップだけみたいだ。
「…ファッションチェックだよ。山王さんとこは身だしなみにうるさいんだ。粗相があると評価に響くよ」
「だぁからぁ、ちゃんと直してきたじゃん?…直せる所は。風紀委員かよ」
「…まぁ仕方ないか。いいよ、それで」
「誉めてよ。頑張って直してきたんだから」
「うん、ちゃんと大人の言う事聞いてきて偉いね」
ユウカちゃんの頭を思わず撫でようと手をあげたけど、先日ミサちゃんに注意された事を思い出し、引っ込める。
「……しないの?」
「…え、何を」
「…なでなで」
ユウカちゃんは誘うように頭を出す。切り揃えた前髪からのぞく、上目遣いの瞳。
…小悪魔だなぁ。こうやって何人オトしてきたんだか。
「…こないだ注意されたから、しない」
「えーなんでー」
「コンプライアンスとか、セクハラとか色々あるの」
「私は良いって言ってるからいいの。はい、なでなで」
「…えぇ…」
「…あの、社内でいちゃつかないでもらえますか」
更に不機嫌そうな声に振り返る。
背後に、黒のセットアップスーツ姿の別の女の子がこちらを軽く睨みつけていた。
4課の修復士見習い、
『実山 ヒナ』
だ。
スポーツやってる系の女の子がよくしてる、前髪ぱっつんで少しボリュームのある黒髪ショートカット。実際陸上やってたらしいから、その名残か。
メイクはほぼすっぴんに近い、ベースメイクのみ。うん、清潔感と奥ゆかしさがあってよろしい。
長めのぱっつん前髪から少しだけ覗く、控えめな一重瞼の瞳。だからなのか、少しキツい印象。良く言えばクール。
実に4課らしい、控えめな印象だけど、目つきだけはちょっと怖い。
まぁ実際不服そうだし。
「えーそんな風に見えますー?実山パイセン」
「先輩、です。いい加減社会人になる自覚持ってよ、湯川さん」
「ふぁーい」
差し出していた頭を引っ込め、間の抜けた返答のユウカちゃんと逆に、ヒナちゃんは少し緊張した面持ちだ。
「山王グループに行くんですよね?私、運転手を務めさせて頂きます。近衛さん、よろしくお願いします」
「よろしくね。そんなかしこまらなくて大丈夫だよ」
「いえ、あの山王グループですから、このくらいで丁度いいと思います」
…正直な事言っていい?
ユウカちゃんはともかく、ヒナちゃんも見習いでルーキーなんだよね。
…半人前2人の面倒を見なきゃいけないの、ちょっとしんどいんですわ。
緊張してるのは気持ちが入ってるからいい事なのかも知れないけどさ、さすがに半人前2人はねぇ…。
ヒナちゃんは体育会系っぽいから、礼儀については大丈夫そうだけど…。
「そうか。運転は大丈夫なんだよね?」
「はい。余り車乗らないですけど、免許取ってから3年くらい経ちます」
「そか。急がなくていいからね、安全運転で」
「了解です」
…ペーパーじゃん、この感じだと。
大丈夫かよ、ほんとに…。
ヒナちゃんが車を表まで用意してきて、僕とユウカちゃんが後部座席に乗り込む。
「湯川さん、後輩なんだからあなたは助手席」
「えーいいじゃーん、イケメンの隣がいいー」
「あのねぇ…」
「実山さん、僕は別にいいよ。他に誰か乗せる訳じゃないし」
「甘やかしちゃダメですよ近衛さん。これから社会人になるんですから」
「いいじゃん、キヨ先はいいって言ってるんだし」
「『近衛さん』、ね、湯川さん!」
「えー、親しみを込めてるのにぃ」
「呼び方もどういう風でもいいよ、僕は。その代わり、上司にはちゃんと役職で、敬語使ってね。あと、これから会うお客様にもね」
「はぁーい!じゃあこれから近衛パイセンは『キヨぴ』って呼ぶね!」
「……はぁ、まぁいいか」
「近衛さん!」
ヒナちゃんから強めの声。
もう、初っ端から揉めないで。
「まぁまぁ。それより、トゲトゲした空気をやめようよ。相手さんに伝わっちゃうから。湯川さんも湯川さんで、頑張って社会人になろうとしてるのは確かなんだからさ。ギャル系の子って、恰好にこだわりとかあるんでしょ?それをここまで合わせてくれてるんだからさ」
「さっすが!やっぱモテる男は違いますよねー、実山セ・ン・パ・イ」
「くっ…」
「これでも、ウチ頑張って見た目直してきたんですよ?少しくらい大目に見て下さいよぉ」
「…ここは近衛さんを立てて大目に見ます」
「ありがとね」
「あざーっす!」
調子いい返事で、僕より先に後部座席に乗り込むユウカちゃん。
…確かに、これからちょーっと教育が必要だな。まあ、それは4課の仕事なんだろうけど。
「じゃあウチもユウカでいいからね、キヨぴ!」
「…はいはい、ユウカちゃん」
「へへっ、イケメンに下の名前で呼ばれるの、アガるわー」
ご機嫌で後部座席にちょこんと座るユウカちゃん。顔がにまにましてる。
座り方も、なんだかんだで座席に遠慮がちに浅めに座りながら背筋はちゃんと伸ばしてる。
ところどころ、いい子だって事は伝わってくるんだよな。だから余り強く言いたくないっていうのもある。変に矯正して、この子の良さを消したくないというか。
「でも、先に乗るのは先輩的にはNGだからね。他の人の時は気をつけてね」
「そうなんだ、あんまマナーとか知らなくて、ごめんね。これから勉強するね!」
ご機嫌なまま腰を浮かせ、座った僕の上を移動して反対側へ位置を移るユウカちゃんを見て、ヒナちゃんはいかにも嘆かわしい表情を見せた。
「…わ!おっと、ごめんねキヨぴ」
すとん、と僕の膝で一度尻もちをつき、ユウカちゃんは最初と反対側へ座り直した。
一瞬、柔らかな太ももの感覚がスラックス越しに伝わってきた。
…小悪魔だなぁ。
「はい、これでオッケーだね」
満足げな顔のユウカちゃんに、嘆きを通り越して諦めの表情でヒナちゃんはやっつけ気味に頷いた。
「はいはい、いいですもう。車、出しますよ」
いかにも慣れていない感じで、車はトロトロと動き始める。
いくら簡単な仕事(多分…)とはいえ、大丈夫なのか、こんな感じで。
「ねぇね、キヨぴ疲れてない?こないだのアレ、やってあげよっか?」
何だろう、この子が言うと何かやらしいな。
アレ、というのは回復行為の事だ。決してやましい事ではない。
手を頭にかざして、おそらく彼女の魔象を流すか何かして疲労感を取る。
以前やってもらったけど、アレは確かに癒されるというか、クセになる。
体全体が柔らかな感覚に包まれて、温かくなる。
実際、以前やってもらった時は疲労がすっかり取れたもんなぁ。
「いや、大丈夫だよ。そういうのはとっときなよ。それに…」
「魔象行為を無闇矢鱈に使うな、ってこないだ御門主任にも言われたよね?」
ヒナちゃんが僕の発言を遮る。
「えー、いいじゃーん。ウチがいいって言ってるんだから」
「そんなのだから、あなたの能力を良いように利用する輩に絡まれるのよ」
「…はぁーい」
「…そんな事あったの?」
僕の質問に、ユウカちゃんは御手洗課長がするような、困った感じの苦笑いをする。
「あー、高校ではさ、私の能力をみんなが頼って、しょっちゅう揉めてたんだよね。特に部活やってる人達から。あと、ちょっと悪い連中というか、ヤンキーグループからも目つけられてて、色々あったんだー」
「確かに、回復士って便利だよね。僕もこないだお世話になった時は、ほんとに癒されたというか、助かったもん」
「みんな疲れ過ぎなんだよ。世の中テキトー、くらいでいいのにね。この力のせいで、友達関係とかもぎくしゃくしちゃうし、ちょっと困っちゃうわー。会社に早めにフォローしてもらってなかったら、私もグレちゃってたかもね。癒やされたくてウチんとこ来る人、みんな目が怖いもん。そんなんばっか見てたら、そのうちウチも人生嫌になってたかも」
「だから、それなら無闇に力見せたり出さなきゃいいだけでしょ」
「でも、目の前に困ってる人がいるんだよ?何とかしてあげたくなるじゃないすか、実山センパイ」
「…あなたはお人好しというか、考えなしというか」
「でも、ユウカちゃんがいい子なのは分かるよ、その話を聞いてる感じでは」
「うぇーい、あざーっす」
嫌な顔は、ファッションチェックした時だけ。
あとはずっとニコニコしてて、穏やかな表情。
ギャル特有のキツさというか、他人を寄せ付けない雰囲気も持っていない。
きっと、この子もこの子なりに苦労したり、考えてたりするんだろう。
魔象は便利だけど、便利さ故に色々なもののバランスを崩す。
それを目の当たりにして、たいてい魔象使いは心を乱し、色んな苦労、心労に直面する。
みんなそうだ。
魔象使いに、悩みや葛藤の無い奴なんていない。
僕だけじゃないんだよな。
ユウカちゃんみたいな、何も悩みなんて無さそうな見た目してる子でも、魔象は人の嫌な部分を容赦なく見せつけてくる。
それで捩じ曲がっちゃう人間が出てきても、おかしくはないか。
エマキャットや、魔象犯罪に手を染めるような奴も、もしかしたらそんな何かを抱えてて、抱えきれなくなってそうなるのかも知れないな。
そんな事を思う僕を乗せて、車は一路、山王家の元へと向かっていった。




