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まちかど伝奇譚  作者: 藤田ゆうき
少女が飛び込む非日常
1/5

1−1

 魔法や魔術、魔物といった非科学的な事象、現象、生き物を、貴方は見たことがあるだろうか。

 少女が空を蹴り宙に浮く、日常の中にそんな光景があること、誰も知らない路地の奥、ひっそり魔物が棲み付いているということ、そして誰もがそんな非科学的な存在に近づける可能性があることを、ご存知だろうか。

 きっと、貴方の答えはノーだろう。そのようなことはニュース番組にも新聞にも取り上げられていない上に、何より貴方自身、それを見たことがないはずなのだから――


 街の片隅、裏路地の、喫茶で誰かが首を振る。

 そんなことがあるものか――

 街の真ん中、学校の、廊下で誰かは目を伏せ笑う。

 絵本の中の話みたい――


 ほら、そんなことはありえない。誰もが否定をするはずだ。

 それでもどうだかわからない。だってこの世は嘘つきばかり。実は喫茶の彼は魔術師で、廊下のあの子は魔法使い。

 そんなことだから妖怪だって何食わぬ顔をしながら生きていて、例えば貴方が毎日使うあの大通り。すれ違った女は人喰らいで、その隣の男は善悪を見分ける妖かしだったりするわけだ。


 もしかしたら、明日貴方は魔物に襲われるかも知れないし、そのまま食われてしまうかも知れない。もしかしたら死の間際に何か特別な力を手に入れて、魔物を返り討ちにしてしまうかも知れない。

 そうなってしまえばどうだろう。貴方の日常は非日常に早変わりである。魔物退治に明け暮れる、孤高のヒーローになるも良し、力の存在を隠して生きるもまた良しか。

 だけど異能力者も楽じゃなく、特別な力なんてそうそう隠せるものじゃない。気付けば妖かしに追われていたり、その力を悪用しようなんて馬鹿げたことを思いついてしまうのだ。

 なんて大変、なんて愚かしいものだろう。

 しかし恐れることなかれ。貴方が危険な目に遭えば、体を張って助け出し、貴方が悪に手を染めるなら、力づくでも止めてみせる。そんな正義の味方たちがこの世界にはいるのである。彼らは人間、妖かし、不老不死、兎角物好きな奴らの集まりで、普通の人間を装いながらも貴方の側で暮らしている。

 何気ない日常の陰で、彼らは今日も今日とて人材発掘、人助け。奇妙な者たちと奇妙な出来事、退屈しなくてまあ素敵!


 そんな世の中だからもしもしそこのお方、なんて、貴方に声がかかるのは明日かも知れないし、今日かも知れないのだ――


 カーテンの隙間から西日が差し込む六畳間、本が積まれた部屋の隅、投げ捨てられた紙くずを拾うのは一人の少女。制服姿の彼女は流れるような栗色の髪を揺らし振り向いて、せんせい、とひとつ声を上げた。


「ごみはくずかごへ捨てる、本は本棚へ片付ける、幼い頃に習いませんでしたか」


 淡い桃色の唇から漏れる溜息は小さく細いものだった。少女が仕方なしと紙くずを拾い上げ、ごみ箱へとそれを片付ければ、部屋の外から聞こえる声。


「悪かったな。小汚い部屋で」


 焼酎の瓶を片手に襖を開けたのは、だらしなく作務衣を着たこの部屋の主。

 羽織っただけの上着ははだけ、短い黒髪は寝癖だらけ、先生と呼ばれた彼はお世辞にも清潔とは言えない、がさつな男だった。

 先生みたいな人が私の先生だなんて信じられない。

 少女は、不快ですと言わんばかりにごみを拾い上げる。

 部屋を見渡せば机の上は紙くずで溢れて、床には本棚に収まりきらなかった書物が乱雑に積まれているのだから、年頃の少女がそう思うのも無理はない。

 黙々とごみ拾いをする彼女の表情は心底呆れかえったといった風なもので、その眉間には深々と皺が刻まれていた。


「あとこの書類はなんですか。まるで三文小説です。仕事の書類ならもっとしっかり書くべきでは?」


 今一度の溜息のあと、男に一瞥もくれずに言い放つ少女の手には、くしゃくしゃに丸められた書類の束。一枚目の隅には“魔術師募集”とボールペンでの走り書きがしてあり、その内容はいかにも胡散臭いものである。

 少女が書類をごみ箱へと捨てれば、男は仕方ないだろうと畳にどっかりと胡坐をかいた。


「不思議な力を使える素質だなんて、どう書いていいかわかりゃしねえ」


 そう愚痴をこぼしてグラスに注いだ酒を飲み始めたが、それを許さないのは少女である。彼女は男にずかずかと近付いて、グラスを取り上げ一際大きな声をあげた。


「ああ、先生ったらお酒! 体によくありません」


 いいですか、と、からり、グラスの氷が揺れて、男の鼻先には少女の人差し指の腹。


「身体は大事に」


 さらり、肩にかかる髪が落ち、ふわり、苺の香りが漂う。

 甘ったるい香りと辛い少女の対応、どちらも気に入らないと言わんばかりに顔を顰めた男だが、少女の言葉ももっともだ。小煩い小娘だとは思っていても、これは彼女なりの気遣いであることはわかっていた。

 男はそれが嬉しかったのだろう。わかったわかったと二度返事をしてから、床に落ちた紙を拾い上げるのだった。


「それじゃあ授業でも始めるか」


 ゆるく円を描くよう、男が振るうボールペン。まっさらな紙にさらさら、浮かび上がるのは奇妙な見出し。


 “基本の魔術の使い方 路地裏悪鬼事件”


「まずは初めて会ったときのことを思い出してくれ――」


 これから始まるのは不思議な力を使った授業。彼は師匠で彼女は弟子で、実は彼らは魔術師だ。

 夕日もそろそろ沈む頃、なんてことない六畳間が二人の教室に変わり、異能はひっそり動き出す。

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