3.もっとも触れてほしくない真実
手綱をさばきなおそうとした仁威に、珪己は振り向いた姿勢のまま瞳をそらさず尋ねた。
「なぜそんなふうに私のことを心配するんですか?」
「部下の心配をしない上司などいない」
その切り返しには寸分のためらいもなく、また、仁威らしい発言であった。だが一瞬そらされた視線の動きを珪己は見逃さなかった。
「袁隊長はおかしいです」
「俺はおかしくなどない」
「いいえ、おかしいです。私は武芸の腕を買われて官吏補をやっているんですよ? 官吏補としてこれまでやってきたことは、どれもおまけのようなものですよね。私が礼部にて働く本来の目的は必要な時に闘うことにあるはずです。違いますか? なのに……袁隊長は」
そこでぎゅっと唇を噛みしめ、そしてもう一度珪己は口を開いた。
「袁隊長は、闘った理由や背景ではなく、私自身のことを、『私がなぜ闘うのか』と訊いています。……そう聞こえます」
仁威を見つめる珪己の瞳は上司の真意を量るものだ。
しばらく見つめ合った後、仁威は大きく息をついてその目を伏せた。
「……すまない」
もはや降参するしかなかった。
「初春のことから、またお前に害が起こる可能性がないともいえず、そのことを心配していたんだ。だから俺はお前のそばにいるようにしていた。宮城内は人目があるし礼部は明るい時間にしか仕事をしない部であるから安心していたんだが……だから今夜はお前の姿がないことに正直狼狽してしまった」
「心配していただいたのはうれしいです。でも私、そんなに頼りないですか?」
硬い声音に仁威がその目をあげると、珪己に真っ向から睨み付けられていた。その瞳には燃え盛る炎が見えた。珪己の激しいまでの怒りに、仁威は珪己の武芸者としての誇りを傷つけてしまったことに気づかされた。
「決してお前の腕を軽んじていたわけではない」
そう告げた仁威の瞳は嘘偽りのない真実の心を表していた。こうして馬の背に乗り二人近い距離で見つめ合えば、仁威の心は十分伝わってくるもので、珪己の激情は薄らいだ。
「では……どうしてですか?」
代わりに別の疑問が口をついて出た。
「それは……」
一度開きかけた口が閉じられ、そしてまた開いた。
「枢密使も同じ考えであった。俺がお前を護るべきだと考えていた。ならば俺はそれに従わなくてはならない」
「袁隊長! それだけではないはずです……!」
仁威の言葉にかぶせるように珪己が叫んだ。強く襟元を引き寄せる少女の気迫は仁威の口を完全に封じた。
「だって……だって袁隊長は嘘をつけない人じゃないですか。私には分かります。袁隊長はまだ何かを私に隠している、それが私には分かります!」
「楊……珪己」
「そう、女官をしていた時もです。今思うとあの頃から袁隊長はちょっと違っていました。私が東宮から出てきたあの朝、華殿で袁隊長にお会いしましたよね。あの時と同じ顔を、袁隊長はさっきまでしていました。それに、後宮に助けに来てくれた時も……そう、袁隊長は私の身の案じ方が極端です!」
仁威は何も言わない。
「袁隊長! 答えてください……!」
それでも仁威は何も言わなかった。
「袁隊長……!」
顔を上げた仁威は珪己ではなく目の前の闇を見据えた。そして軽く手綱を振るった。
揺れる馬体、ぽくぽくと鳴りだした蹄――それと同質の声で仁威はごく当たり前のことのように言った。
「初めての女の部下なんだ。極端に心配して何が悪い」
突如動き始めた馬に、珪己は仁威の襟をぎゅっと掴んだ。だが揺れにも負けず、ひたと仁威を見上げる。
今を逃してはきっと二度と訊けない――その思いに突き動かされていた。
「袁隊長は嘘ばっかりです。私を過度に心配した理由はそれだけではないですよね。だってそれでは私の腕を軽んじていると言っているようなものだから」
「そんなことはない」
「なぜですか! なぜ嘘をつくんですか?」
と、珪己の表情が突然変わった。
「……もしかして。この初春以前に私たちはどこかでつながりが……?」
珪己のその予想は自然な流れの一つであった。他にも理由となりそうな事象はいくつも挙げられるが、たまたま今、珪己の口から漏れ出たのがそれだった。だがそれは仁威がもっとも触れてほしくない、たった一つの真実だった。




