7.皇帝との語らい
「すまない。痛むか?」
二人は椅子に座り対面している。英龍が気にしているのは、強く掴んでしまった珪己の手首だ。特に利き腕で掴まれた左の手首の方には、圧迫痕すらうっすらと見え、痛々しい。
一晩たてば色濃く変化してもおかしくはないだろう。そう思ったが、珪己は「大丈夫です。もう痛くはありません」と笑ってすらみせた。なぜなら今目の前にいる皇帝が、官吏補ごときに完全に委縮してしまっているからだ。その瞳にはもはや先ほどまでのような喜色は見られない。ただただ心配そうに眉をひそめている。
「すまない。女人がこれほどまでに華奢な存在であることを忘れていた。つい興にのってしまった……」
率直に語り謝罪する皇帝に、珪己は東宮に招かれた時と同じ真摯さ、そしてその際に語られたこの人の言葉を思い出さずにはいられなかった。
英龍は幼馴染であった側妃を、護りたいがために抱いたと言った。その側妃――胡麗はそのたった一度の行為で子を成したとも言った。そして産褥悪く、麗は今も一日の殆どを床に臥している。
英龍はこの現状を作った自分を、あの夜、珪己に懺悔するように語った。そして女人を抱けなくなったことまで吐露した。実際、東宮には今も男の侍従しか配しておらず、英龍が手首とはいえ女人に触れるのは、今は和解した胡麗や菊花以外では久しぶりのことであった。
「そういえばそなたを抱き上げたときも随分と軽かったな」
英龍が思い出しているのは後宮で監禁されていた珪己を救った初春の一夜のことである。英龍が珪己の手をとり、しげしげと眺めた。
「それにしても、こんなに細いのに男のように闘えるとはすごいな」
「あの、あの……」
またも顔を赤らめた珪己に、英龍はぱっと手を離した。
「ああ……すまない」
「……いえ」
うつむく珪己を見ていると、英龍もなぜか顔がほてってくるのを感じた。
思わず咳払いをした。
「それはそうと、なぜ官吏補であるのにここで琵琶を弾いていたのだ」
話題が変わり、珪己は半ば安堵した。
「楽院長のご命令で、調印式の後の宴に奏者として参加することになったのです。今日になって突然楽曲が増え、今いる上席楽士だけでは対応しきれないとのことで」
「それは……すまない」
「なぜ陛下が謝るのですか?」
「いや、それを承諾したのは余であるからな。まあ、実際には崇の奴が言い出したことなのだが、責任は余にある。やはり負担が大きかったか」
その名に珪己の心が無意識に緩んだ。
「……うわあ。龍崇様ならやりそうだわ」
「なんだ? そなたは崇をよく理解しているのだな」
「え?」
「いや、よく崇のことを知っているなと思ってな。そうなのだ。崇は普段は柔軟かつ腰の低い男なのだが、決めたことには非常に頑固でな」
(龍崇様ってそんな人だったっけ……?)
自分の知っている青年像とは若干一致しないような気がしたが、珪己は否定することなく曖昧に笑うにとどめた。
「あと、崇は琵琶の音を好むのだ。数ある楽器の中でも琵琶をことのほか信頼していてな」
「信頼……ですか?」
「そうだ。信頼という言葉ほど、崇にとっての琵琶を語るにふさわしい表現はない。今日になって二曲追加したというのも、崇が調印式を確実に成功させたいという無意識の行動のゆえなのだ。ああ、このことは余と顕叔父しか気づいておらんがな。崇の奴、もし指摘でもされたら、恥辱のあまり数日は西宮から出てこれないであろうな」




