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2.もてあまされる愛

 有言実行、玄徳と段亨明付の枢密院事によって、武官の着任式はつつがなく執り行われた。侑生も枢密副使として式に参列したが、例年と比べても何ら遜色のない式であったと思う。


 式の終了後、侑生は亨明を見舞った。亨明は自身の執務室の隅に設けている小さな寝台で気持ち良さげに眠っていた。その顔にはいくらか血色も戻っていて、もう安心だと、彼の枢密院事三名もほっと胸をなでおろしていた。


 侑生は亨明の枢密院事をねぎらい彼らにもよく休むように伝えると、玄徳の室へと向かった。玄徳は侑生から亨明の状態について報告を受けると、


「次の着任式のときは、もっと早い時期から準備に取り掛かれるように私が気をつけてあげなくてはいけないな」


 と、誰にともなくつぶやき、


「侑生のほうは体調はどうだい? 君もこのところ働きづめだろう」


 と、逆に心配された。


「私は問題ありません。きちんと睡眠もとれていますし、今日の朝議で一区切りつきましたから。亨明殿はこの数日徹夜をしたのがよくなかったのでしょう。元々体の強い方でもありませんし」


 ですからいくらでも私のことをお使いください、と言外に主張するこの青年に、玄徳は口を開きかけ……そして閉じた。


 侑生の本質を知らない者からしたら、この青年はしなやかでそつがなく、苦労などとは無縁の生粋の天才だと思うだろう。出世頭の青年官吏は女人との恋も途切れることなく、まさに順調そのものだ。


 しかし実際は過去に縛られ罪に生きると決め、そのことに固執し己を殺し……。


 器用なようでいて不器用で、だから玄徳は侑生のことが心配になる。故意ではないにせよ、侑生にそのような生き方を選ばせたのは玄徳自身だからだ。


 それに長い時間を共に過ごしてきたから、玄徳は侑生に対して今では肉親のような愛情をいだいていた。ただしそういった情を見せることは、職位的にも侑生本人の自立のためにも良いことではない。だから、玄徳はこの青年への親愛の情をたまにもてあますことがある。まるで愛してはいけない人を愛してしまった過去のように。


「……じゃあ午後の件は大丈夫かな」


 午後の件――それは礼部の官吏とともに、芯国の船を訪問することである。


 当然これまで二つの国の間で、調印式の諸々について話し合いは重ねられてきた。芯国の船が開陽に入ってからはさらにその回数は増していて、この件の担当部署の責任者である礼部侍郎・馬祥歌などは、朝議の後、欠かすことなく日参しているほどである。


 芯国側は初回の謁見時から武官の立会いは不要と主張している。そのため、枢密院としては、大使の入城と退城時の護衛、そして船が開陽に停泊している間の近辺の巡回等、この件に対して間接的にしか関わってこなかった。


 しかし今日、礼部は、芯国大使に正式に、菊花の公務による参加を伝え承認してもらうという大きな使命をもって船へと赴く。さらに、我が国の武官が決して粗野ではなく礼節をもって警護に当たることを示し、予定外に警護が厚くなることを認めてもらう必要があった。


 そこで枢密院からは大使を攻略できる能力を備えた侑生が礼部の官吏に同伴することとなった。そのため、当初別の枢密副使が担当していたこの警護の主担当が、急きょ侑生に振り返られたというわけである。


 元の担当であった枢密副使から引き継ぎを受け、かつ綿密に検討を重ね、そして今日の朝議で皇帝の承諾を得て――今、玄徳の気遣わしげな声音も決して侑生を不安にさせることはなかったのである。



 *



「……珪己殿も行かれるのか」


 宮城と外界とをつなぐ唯一の門、正門前にやや遅れて到着した侑生は、そこで待ちあわせていた礼部の官吏の中に珪己を見つけて思わずそうつぶやいていた。


「李副使のお知り合いなのですか?」


 そばにいた呉隼平――侑生付の枢密院事の一人がそう尋ね、


「で、今度こそは李副使が惚れた子ですか。それともいつものように惚れられた子ですか」


 と、耳元でそっとからかわれた。


 聡いもう一人の枢密院事、高良季もまた、


「ほお。李副使の恋人と同じ名前なのですね」


 などと言うものだから侑生としては、


「あ、ああ。偶然もあるものだな」


 小さく答えるのが精いっぱいだった。それくらいこの再会は予想だにしない出来事だったのである。


 宮城に戻って日が浅いはずの部下が耳ざとくその情報を得ていることにはさほど驚きはしない。もはや枢密副使と一人の女官のこの春の愛の軌跡を知らない者のほうが珍しいくらいで、この件は今も絶賛拡散中の非常に熱い話題となっていたからだ。


 祥歌は明らかに不愉快そうで、腕を組みつま先を小刻みに動かしていた。侑生を見たとたん、開口一番「遅いですよ」と挨拶もないことからも苛立ちを隠す気はないようだ。しかも侑生が会釈し謝罪のために口を開きかけたら、それを祥歌は大きく裾を翻すことで制してきた。


「では行きましょう」


 すたすたと馬車に向かう祥歌の代わりと、上司である籐固が侑生たちに数回頭を下げ、そして後を追うように別の馬車へと歩いていった。二人の立場が完全に逆転している。その後をそれぞれの部下があわてて追いかけていく。


 その中の一人、珪己とすれ違いざまに目が合い、侑生の心臓がどくんと鳴った。その瞳を見るのも、その瞳に見つめられるのもあの夜以来だった。しかしそれも一瞬のことで、


「早く来なさい!」


 馬車の窓から顔を出し声を上げた祥歌によって、珪己もまた小走りに去っていったのである。

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