3.二人が私の部下でよかった
「いやー、馬侍郎って噂通りの方だな」
枢密院の官吏三人で相乗りする馬車の中、隼平が侑生に話しかけた。三人だけの場ともなれば話し方がくだけるのもいつものことだ。
「優秀で見た目も悪くないけど、性格がきつくてせっかちだって有名だもんな」
「呉隼平」
侑生の一声で「すみませーん」と隼平が頭を下げた。でも全然悪いとは思っていないことはそのにこやかな表情からよく分かる。隼平はいつでも笑顔を絶やさない。そしてそれは大抵いい意味で仲間を救う。だから決して憎めないのだ。
「お前はいつも調子ばかりがよくて口が軽いな。なんとかならんのか」
そう言ったのは良季だ。良季は逆にいつもむすっと唇をひきしめているような男である。だがそれは癖のようなもので、良季の思慮深さや落ち着いた所作には玄徳に通じるものがある。隼平と良季、足して二で割ればちょうどいい按配なのだが、何事もそううまくはいかない。
だが、侑生はこの二人を一組として共に仕事をする今の状況を好ましく思っていた。自分にはないものをもつこの対極的な二人は、自分一人では目の届かないところに気づいたり、知り得ないような情報を掴んでくる。
それになにより、二人は自分よりも年上だというのに、自分のことを上司としてよくたててくれる。
枢密院事は枢密院内における緋袍の官吏の最上位にあるが、今、枢密院に所属する枢密院事は、彼ら二人の他は三十代から六十代で、そのことからも、齢二十九の彼ら二人の才気のほどがうかがえる。しかし若年でありながらも高位にある彼らは、それを鼻にかけることも、若くして枢密副使となった侑生を妬むこともない。それは初対面のときからそうだった。
侑生は枢密副使になるまでに年上の部下に悩まされることが少なからずあった。若くして出世すれば当然起こるべきその悩みを解消するべく、呉隼平と高良季を枢密院事として侑生の元に配したのは玄徳である。
今、この三人は、上司と部下であると同時に、気安く会話もできる関係を構築できていた。だから二人は侑生にとって何よりも重要かつ大切な部下だった。
だが最近はその関係がいまいち怪しい。
「で、侑生のさっき言ってた官吏補の女の子、どこでどうやって知り合ったんだよ」
隼平がここにきて話を混ぜ返してきた。二人の部下はこうして三人だけでいる時や非公式な場では、侑生のことを名で呼ぶ。
二人の様子から、彼らが侑生自身の口から、究極的には初春の恋の嵐について訊きだそうとしていることは明らかで、逆によく今まで訊かずに我慢していたというくらいだ。
侑生は思案した。珪己という名の女官と恋仲であることになっているが、それは黒太子との約定ゆえのことだ。実際には違う。だがその女官とあの官吏補の少女が同一人物であることを二人に対して明らかにすれば、なぜそのような珍事が起こるのかと興味がわくのは必然、しかし珪己が女官となったいきさつを語ることは禁じられているわけで――。
恋人が気まぐれに官吏補に転身したと言うこともできるが、枢密院事になるほど賢い二人が果たして騙されるだろうか。それに二人は侑生と昼夜ともに仕事をしているだけあって、侑生の機微には敏感である。
この初春、二人の枢密院事は侑生の代理としてそれぞれ別の地方に赴いていた。そのため二人は『女武官を後宮に送り菊花姫の事件を解決』した件について、事の真相をいまだに知り得ていない。もちろん、二人同時の開陽不在は、彼らの上司による明確な意図があって実行されたものだ。二人が傍にいては侑生は嘘をつきとおせないからだ。
二人はいつまでたっても答えない上司、兼『弟』に対して苛立ったようで、
「ほらほら話せよ」
「そうだ。お前はようやくできた恋人についていつまで俺達に秘密にするつもりなんだ」
元々調子のいい隼平ばかりではなく良季までもが畳み掛けてきた。
足元を見ながら自分の世界に入り込んでいた侑生は、顔をあげて見やった二人の顔に、からかうだけではない確かな温かさを見た。それは侑生の心も温かくした。しかしまたそれによって、この腹心の部下に言えていないことが多い自分のふがいなさに改めて気づかされることとなった。初春から今に至るまで隠し通してきた嘘から――遡って八年前の事変のことまで。
一度微笑みかけてまたじっと黙りこんだ侑生に、良季が『気づいた』。
「……まあ、この話はまた今度でいいかな」
「えー、なんでだよ? お前だって随分前から知りたがってたくせに」
不満を隠そうとしない隼平の頭を良季がびしっと叩いた。
「いってえなあ!」
「こら、そんなふうに粗野な口を聞いては芯国の方々の印象が悪くなるだろう。隼平は今からでも立ち居振る舞いの練習をしなくてはならんな」
「なんでそうなるんだよ! 俺はこのまんまでいいんだよ!」
「いいや、お前のその雑なふるまいのせいで任務に支障がでるかもしれない」
「俺、そこまで問題になるくらいひどくないから!」
狭い馬車の中、わいわいと口げんかを始めた二人を、侑生は正直ほっとした面持ちで眺めていた。が、しばらくして、ふいに隼平が振り向いてびしりとその指を侑生に向けた。
「いいか。調印式が終わってひと段落ついたら飲みに行くからな。覚悟しておけよ」
そう言ってにかっと笑った隼平に、侑生は二人との間につかえていた物がするすると解けていくのを感じた。
「……ああ」
それはつまり、その時までに整理しておけということ。
隼平の笑顔は、侑生が話したいことだけを聞くし、それを受け入れるつもりであることを表している。
隼平と良季、二人は引き際も踏みとどまるべき時期も見誤らなかった。そして侑生の心の近くにいつでもいて、できうる限り寄り添おうとしてくれている。心を閉ざすも開くも、全てを侑生に委ねている。
「……二人が私の部下でよかったよ」
心からの吐露に、二人が照れくさそうにしたのは一瞬のこと。またも二人の口げんかが再開されるや、馬車の中は今まで以上に狭苦しさと熱気が支配する空間となっていった。ただ、馬車の中にいる当事者たちはそれを不快に思うことなどなく、逆に楽しんでいた。それらは全て、賑やかな街の喧騒に吸い込まれ、礼部と枢密院の官吏を乗せた馬車の行列は、少しの人目を惹きながら船渠へと近づいていった。




