洞窟の入り口
ゴルドの逃亡が判明したその夜のうちに、リオネルは館に残っていた従者の中から数名を選び、急ぎ洞窟方面へ先行させていた。
万が一、ゴルドがあの場所へ向かうとしたら――そう考えての手配だった。指示を出した時点では、確信があったわけではない。ただ、他に思い当たる行き先もなかった。
翌日、村での裁きを終えたリオネルたちが、装備を整えて洞窟へ向かうと、少し離れた木陰で、先行していた従者たちが息を潜めて見張りを続けていた。
一晩、まともに休んでいないのだろう。目の下に疲労の色が滲んでいたが、姿勢は崩れていなかった。
「変わったことは」
リオネルが小声で尋ねると、従者の一人が姿勢を正して答えた。
「見張りを始めてから、誰一人、出てきておりません。動きらしい動きも、特には」
「入っていく者は」
「それも……見た限りでは、ございません」
迷いのない口調だった。噓をついているようには見えない。
だが、リオネルの脳裏には、村での裁きの間ずっと引っかかっていた疑問があった。
ゴルドは、確実にどこかへ姿を消している。屋敷の資料は焼かれ、行方を示すものは何一つ残っていなかった。
それが、この洞窟へ向かった可能性は、十分にある。
「見張りを始めたのは、いつだ」
「昨夜のうちに、こちらへ到着しております。そこから、ずっとこの場所を」
リオネルは頷きながら、時間の流れを頭の中で組み立て直した。
ゴルドが屋敷を出たのは昨晩早い時刻。従者たちがここへ着いたのは、そこから幾らか遅れてのことだ。
その間の空白が、気にかかった。
*
カイルが、木陰から少しずつ移動しながら、周辺の地面を検分し始めた。洞窟の入り口には近づかず、あくまで距離を保ったまま、外周をなぞるように見て回る。
しばらく、黙って土を見つめていたが、やがて表情を変えた。
「……これ、馬の蹄の跡ですね」
「馬の」
「ええ。しかも、そんなに古くない」
カイルは跡を辿るように、木々の陰を選んで少しずつ移動していく。
蹄の跡は、洞窟の入り口の方角へ向かって、まっすぐ続いていた。木陰から見える範囲の限り、入り口の手前でふつりと途切れているのが分かる。
「あそこで終わってます。戻ってきた跡は、どこにもありません」
リオネルは息を止めた。
「つまり」
「入ったきり、まだ、出てきてないってことです」
*
従者の一人が、驚いたように、離れた場所からその方角を見つめた。
「私共は、そのようなもの、まったく気づきませんでした」
「見てなかったわけじゃないだろう」
リオネルは静かに言った。
「お前たちの目が、悪かったわけじゃない。痕跡を読むのは、誰にでもできることじゃない」
従者たちは、それでも申し訳なさそうに頭を下げた。
カイルが、蹄の跡がついた時刻を目測しながら、独り言のように呟いた。
「たぶん、お前らが見張りに着く、もっと前ですね。逃げてすぐ、まっすぐここに来たんだと思います」
「一刻も迷わず、か」
リオネルは呟いた。
行き先に迷いがなかったということは、以前からこの場所を知っていた、ということでもある。
*
フィーナが、少し離れた場所から、洞窟の方角に目を向けていた。
「あの、栽培していた小屋の方の変な感じ、もうなくなってます」
「なくなった、というのは」
「ゴブリンを避けさせてたみたいな、あの気配です。制圧した後、ずっと気にしてたんですけど……今はもう、何も」
当然といえば当然だった。あの場所はもう、誰も使っていない。
だが、フィーナの表情は晴れなかった。
「その代わり、洞窟の方から、前とはちょっと違う感じがするんです」
「違う、とは」
「うまく言えないんですけど……前に感じてたのと、種類が違うっていうか」
フィーナは眉を寄せたまま、それ以上は言葉にできなかった。
リオネルはその言葉を、そのまま地図の余白に書き留めた。
正体は分からない。だが、何かが変わっている、ということだけは確かだった。
*
リオネルは木陰に留まったまま、地図を広げ、洞窟の入り口に新しい印を書き加えた。
「ゴルド、まだ中にいる」
安堵ではなく、むしろ緊張が増した。
姿を消したのではない。逃げ切ったのでもない。この洞窟のどこかに、今もいる。
だが、それが分かったところで、根本の疑問は何一つ解けていなかった。
リオネルは、これまで地図に書き込んできた印を、一つずつ目でなぞった。
ゴブリンだけが避ける方角。長きにわたる人の気配。ありふれた連絡用の魔道具。そして、あの狭い入り口には不釣り合いな、燻し出せなかった煙の抜け方。
どれも、答えの一歩手前で止まったままだった。
「なぜ、ゴブリンの巣に、平然と入っていける」
リオネルは呟いた。
ゴルドは、迷いなくこの場所へ向かい、迷いなく中へ入っていった。まるで、危険など最初からないと知っているかのように。
*
カイルが、木陰から洞窟の方角を見据えた。
「いよいよ、いぶり出しますか」
「ああ」
リオネルは地図を丸めながら、頷いた。
「今度は、逃さない。だが、油断はするな。あの中に何があるのか、まだ何一つ分かっていない」
カイル、フィーナ、マルタが、それぞれ小さく頷く。
木々の隙間から差し込む夕暮れの光が、遠く洞窟の入り口に、長い影を落としていた。




