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包囲網の一角

歯痛治りました!


取って返し、今度は近江へ急ぎ軍勢を進める信長。

織田信長の行動力は半端ではない、決断=即実行なのである。


そして配下の家臣たちは戦々恐々としている。

理由は明白『信長は怒っている』からである。

信長の家臣団は、何よりもまず信長の感情を読めなければ勤まらないのである。


確かに重大事項であれば、即断で答えを出してくれる主人である信長であるが、瑣末な事など、一々伺いを立てられない事項などは癇癪を爆発される事が多々あったのである。


だが当人信長は日がたつにつれて冷静な考えが次々に溢れてくる。

なんせ『歯が痛くない』のである。


信長の軍勢が近江に到着するや否や、浅井朝倉連合軍は比叡山延暦寺に逃げ込んだ。

信長の軍勢投入速度はまさしく戦国一であった為、浅井朝倉はあまりの早さに寺社勢力内に逃げ込んだのである。


当時の寺社勢力は、石山本願寺に代表されるように独自の兵力を擁し、兵農分離という面では、中世で一番最初に順兵士により構成された特異な戦闘集団である僧兵を多数抱えていた。

有名な所では戦国最強傭兵団を抱えていた『根来寺』などもあるが、もっともこの根来衆は信長と密接な関係にあり、今回の戦にも参加しているのである。

そういう寺社を敵に回すと厄介なのは、一向宗本願寺を相手にして一番理解している信長である。


その信長は、延暦寺に対し通告を出した。

『浅井朝倉の軍勢を比叡山より退去せしめなければ山ごと焼き払う!』


これに比叡山は鷹を括った。

『出来っこない!』と・・・・。

なぜなら座主である覚恕法親王は正親町天皇の弟なのであるからである。


しかし信長は冷静に己の状況を見つめ動く、先ずは朝廷に対し、現在の状況を上奏し、退去命令を時の正親町天皇より勅命を引き出したのである。

その命令に従わない場合は攻撃の大義名分を信長に与えるものであった。

こう着状態が続き、叡山より外に出るものは徹底的に殺され、外より中に入る事も敵わない状況である。


そんな折に突如信長より正親町天皇を通じ、和睦の条件が出されたのである。

1、現在織田家により支配している旧寺領の返却。

2、比叡山の包囲を速やかに解く。

3、浅井朝倉軍と和睦、これを追撃しない。

4、純寺院としての天台宗を維持する事。

以上勅命である。


元々比叡山は信長の寺領押収により経済力を抑えられ、圧迫されていたのである。

寺領が返ってくるのであればなんの問題も無いのである。

浅井朝倉にしてもこのまま比叡山に籠るのはじり貧である。

こうして和睦は成立し、浅井への抑えとして横山城の木下秀吉に命じ南近江の抑えを命じたのである。


南近江は旧六角勢が勢力を残しており、非常に難しい地域でもあるが、木下秀吉の分断戦略で六角勢を裏より支援していた朝倉家よりの援助ルートを絶つことに成功している。

これにより六角勢は完全に成をひそめ、弱体化していくのである。

また、織田家の税率にしても、年貢にしても破格の低条件、もしくは免税であり、織田家による支配を民衆が望むのであるから旧勢力は萎れていくばかりである。


そして岐阜から京までのルートを再び確保した信長は思いがけない行動を取るのである・・・・。

史実より勅命時期が早く内容も変わっています。

そろそろ歴史をいじりだします。

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