懺悔
扉を叩く音。
「どうしました?」
扉の前にはマーサが立っていた。
「レイ様、お話があります」
きっと今日で、私の従者の生活は終わるのだ。リン様とも会えなくなるだろう。最後の会話は「行ってらっしゃい」だっただろうか……
弾力のあるソファへ腰を下ろすと、マーサは単刀直入に伝える。
「レイ様は、私とリン様の関係性をご存じでしょう?」
レイはややあって口を開く。
「ええ、マーサはリンの従者。リンは王女です」
「はい」
「最初は驚きましたよ。まさか、死んだと思っていた婚約者に命を助けられるとは……」
「レイ様はなぜ、その事を他の者に言わないのですか?」
「隠したい事情でもあるのかと思いまして」
こちらを見て微笑むレイ。マーサは決心し、口を開いた。
「私は、あの魔法使いの手下だったのです。私が城の情報を伝えてしまった。リン様だけでも守らねばと、今まで生きてきましたが、もう役目は終わりました。私は罪人です」
罪を告白したマーサに、レイは言った。
「あなたは十年もリンを守り、育ててきたのです。罪は無くなりはしませんが、これからもリンのそばに居てほしいと私は思っていますよ」
「そ、それは……」
「リンが悲しむのは嫌なのです。それに、リンは一生、身分を隠し通すつもりでいますよ?」
「リン様は、とても優しいお方です。私の裏切りを知ってもなお、この左腕を治そうと勉強なさっている。王女という事も隠しているのは、私が捕まるのを思っての事です……」
「ふふ。いいではないですか。王族など退屈です。リンの好きなようにさせてやりましょう?」
レイは楽しそうに笑う。
「しかし! 王女としての教育は!」
「マーサ、十年もリンと一緒に過ごしたのなら分かるでしょう?」
レイは立ち上がり、扉へ向かう。
「彼女が何を望んでいるのか」
扉を開けると、そこにはリンが立っていた。
「リン様!」
マーサは驚き、立ち上がる。
「レイから連絡貰って、学園早退してきたの」
レイの隣に腰掛けるリン。
「学園はとても大事だけど、私はマーサの方が大事なの。貴方がずっと罪の意識を持っているのは知っていた。でも、マーサは私の親同然なの。マーサが捕まるなら、私はずっと平民のまま生きるつもり」
「!」
「レイには、私とマーサの事は前もって話していたの。猫の時に見てるでしょうし、今更隠せないでしょ?」
リンがマーサを見て微笑む。
視界が急激にぼやけていく。
マーサの目から、溢れ出る涙が止まらなくなった。最初は贖罪の気持ちからだった。けれど、過ごした年月とともに、本当の親のような愛情が芽生えていた。このままリン様と一緒に居たいと、どれほど願ったかわからない。
レイが静かに言葉を重ねる。
「あの魔法使いは、手下の弱みを握って操る。マーサ、何かにつけ込まれていたのでしょう?」
「……はい。田舎に病気がちの父親がおりました。もう助からないと諦めかけていたときに……」
あの男はそんな情報につけ込んできたのだ。
『腕の良い医者を紹介してあげましょう』
最初はそんな誘いだった。医者と名乗るその男を父に合わせると、父の調子が少しだがよくなった。
それがほんの気休めに過ぎないと、頭では分かっていたはずなのに、藁にもすがる思いで男の指示に従ってしまった。医者を呼び続けるには大金が必要で、自分の給金などすぐに底をつく。しかし、そのタイミングで父親もこの世を去った。
『城から禁書を持ってこい。さもなくば、お前と俺の関係を言いふらすぞ』
男はそう言って、マーサを脅迫した。
あった!
鍵を開け、目的の禁書を手に取る。代わりにダミーの本を押し込み、何食わぬ顔で保管室をあとにした。
マーサが城の図書室の奥にひっそりと保管されていた禁書を見つけたのは一週間前。今日やっと保管庫の鍵を見つけたのだ。
城を抜け出し、夜の森を進む。辺りは暗く、星明かりだけを頼りに足早に進むと、頭上から声が降ってきた。
「来たか、マーサ」
頭上から舞い降りてきた魔法使いへ、マーサは震える手で差し出す。
「これが……禁書です」
「ほう。一週間も待ったからな。退屈だった」
魔法使いは本を受け取ると、ペラペラと捲る。そしてあるページで手を止め、ニヤリと笑った。ローブを目深に被り表情全体は伺えないが、口元だけは笑っているのが分かる。
「……で、この本が本物という証拠は?」
「証拠? そんな……私が偽物を持ってくるメリットがありません!」
マーサは必死に訴える。
「ふん。俺は誰も信じていないからな。マーサ、お前で試させてもらおう」
「試す……?」
魔法使いは呪文を詠唱する。聞いたこともない呪文だ。魔法使いが手を振る。直後、黒い光がマーサに向かってきた。咄嗟に左手で顔を庇う。
何が起きたのか最初はわからなかった。恐る恐る黒い光を浴びた左手を見る。そこには火傷のような醜いアザが残り、指先までのあらゆる感覚が消え去っていた。
「ほう。本物のようだな、よくやった。これを使って城でも襲撃するか」
魔法使いの言葉に唖然となるマーサ。
「約束と違います! 禁書を持ち出せば見逃すと……」
「お前は見逃してやる。しかし『強固な防御魔法を破る魔術』が載っていてな。丁度そこに厳重な守りの城があるなら、試さない手はないだろう?」
マーサは青ざめた。騙されたのだと悟った瞬間、マーサは城に向かって必死に駆け出した。
城へ急がねば! みんなに急いで知らせねば!
奴の言葉を信じた自分の愚かさを呪いながら、ただひたすらに走る。背後からは、マーサを嘲笑うような高笑いがいつまでも響いていた。
◇
マーサは両手に顔を埋めた。
レイは納得がいったように頷く。自分にかけられ、猫の姿へと変えられた呪いも、その禁忌の魔術だったのだろう。
「私が……城の皆を殺したも同然なのです。だからこそリン様だけは死守せねばと、命からがら逃げ出しました。王家の証である黒髪と紫の瞳で、奴に見つかるのを防ぐために、私の魔法で銀髪に変えて……。村にあの男が現れた時、ついに追い詰められたと覚悟しました。しかし、私の事を見ても何も言わなかった。——おそらく、私をあの火事で死んだものと思い込んでいるのでしょう」
「あなたは、ずっと後悔し、苦しんできた」
レイの静かな声が響く。
「それは……」
「マーサ、お願いです。このままここで暮らしてください。当事者であるリンがあなたを許し、愛している以上、私があなたを責めることなど何もありません」
レイは心からの笑みを浮かべる。
「そんな、私のような罪深い者が……!」
「あなたはリンの家族です。血の繋がりなど関係ありません」
隣でリンも、力強くうなずいていた。
リンはマーサの前へ進み出ると、小さな手をまっすぐに差し出した。
「マーサ、これからも私と一緒にいて。よろしくね」
「私こそ……私こそ、どうぞよろしくお願いいたします……っ」
溢れ出る涙を拭いもせず、マーサはその温かい手を、両手でしっかりと握りしめたのだった。
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