8.VCUと窓
──満天の星空の下。
静かな丘の上で、彼女が不意に口を開いた。
「ねえ。人間と私たちの違いって、何だと思う?」
「……さあ。魔法を使えるかどうか?」
少し考えて、そう答える。
「そうだね。でも、もっと根本的な違いがあるんだ」
「それは?」
「死の概念」
「……何それ」
「権利と義務の違い、と言ってもいいかな」
彼女は夜空を見上げ、両腕を大きく広げた。
群青に浮かぶ星々を、まとめて抱きしめるように。
「人間には寿命がある。生まれた瞬間から、死へ向かっている」
「……」
「魔女は違う。肉体が最も成熟したところで成長が止まる。そこから先、老いることはない」
「……でも、みんな死んじゃったよ」
広げられていた腕が、ぱたりと落ちた。
「そうだね。不老だけど、不死ではない。多少の例外はあるけど、魔女も死のうと思えば死ねる」
「……つまり、死を選べるって言いたいの?」
「そう。それが私たちの権利。けれど人間は、どうあがいても百年ほどで死ぬ。人間として生まれた以上、いつかは死ななければならない」
「それが、義務?」
「人間は、百年のうちに何を成すかを考える。私たちは、百年後に何を成すかを考えられる」
彼女は再び空を仰いだ。
「人間がすぐ目先のことに囚われて、争いを起こすのも、そのせいだと思うんだ。生きているうちに、何とかしなきゃいけないから」
「……」
風が丘を渡った。
彼女の髪が、夜の中で静かに揺れる。
「それが、人間と私たちの決定的な違いだよ」
その横顔を見つめて、問い返す。
「……じゃあ、教えてよ。■■■」
「何を?」
「あなたは百年後に何を望むの? 百年前のあなたは、こんなことを望んでいたの?」
彼女が振り返る。
その向こうで、星が瞬いた。
「……私の望みは、ずっと変わらないよ」
懐かしい声がした。
「千年前も、千年後も──」
【馬場櫻子】
──夢を見ていた。
どこか遠い場所で、星空を見上げながら誰かと話す夢。
最後に聞いた声を思い出そうとしても、もう輪郭がぼやけていた。
重いまぶたを持ち上げる。
「……ここ、どこ?」
見知らぬ、真っ白な天井。
身体に掛けられた、これまた真っ白な布団。
そして、その布団にもたれて眠るヒカリちゃん。
──ヒカリちゃん!?
驚いて上体を起こすと、引っ張られた布団につられて、金髪の頭が動いた。
「……ん、櫻子?」
眠たそうに顔を上げたヒカリちゃんが、わたしを見るなり目を見開く。
「目ぇ覚めたんだな。よかった」
「ひ、ヒカリちゃん。ここどこなの? わたし、何で寝て……」
「落ち着け。ここは病院だ。昼に魔獣が出ただろ」
その一言で、いくつもの光景が蘇った。
鳴り響く警報。
閉まっていくシャッター。
お揃いの上着を着た、二人の子供。
「……そうだ。今日、ヒカリちゃんと」
「デートしてる最中に、魔獣が出やがったんだよ」
「そう……ん? いや、デートはしてないよ! 何で記憶を改竄しようとしたの!?」
「んだよ。アタシはそのつもりだったんだけどな」
ヒカリちゃんが悪戯っぽく笑う。
この子、わたしが思っていたより、ずっとお茶目な性格らしい。
「もう、からかわないで……」
言いかけて、迫ってくる炎を思い出して、ハットした。
「子供は? あの時一緒にいた子たちは!?」
「落ち着けって、二人とも無事だってよ。母親も怪我してたらしいけど、命に別状はねえって。お手柄だな、櫻子」
身体から力が抜けた。
よかった。
本当に、よかった。
けれど安心した途端、別の記憶が胸に引っ掛かった。
「……あれ、やっぱり、わたしがやったんだよね」
あれとは、あれのことである。炎を遮った、漆黒の壁。そのこと。
わたしの身体から出てきた、液体とも気体ともつかない黒い何か……それがわたしたちを守った後、再びわたしの身体に戻っていったのだ。
「……その様子だと、マジで知らなかったんだな」
「そんな、わたしが……魔女だった?」
自分で口にしても、実感はなかった。
「でも、今まで普通に生きてきて、そんなこと、一度も──」
「──ごく稀に、魔女の血を受け継いで生まれてくる人間がいる。先祖返りってやつだ」
低い声が、ベッドを囲むカーテンの向こうから滑り込んできた。
振り向くのと同時に、カーテンが開く。
「はじめまして。株式会社VCUの八熊だ」
現れたのは、スーツ姿の男の人だった。
ものすごく顔色が悪い。
ブラック企業で三日徹夜した吸血鬼に朝日を浴びせたら、こんな顔になるんじゃないだろうか。
八熊さんは懐から名刺を出して、わたしに差し出した。
すごく怪しい。できれば、お近づきになりたくない。
でも差し出されたら受け取ってしまうのが、哀しきかなノーと言えない馬場櫻子、わたしだった。
「おい八熊。急に出てくるから、櫻子がびっくりしてんだろ」
「俺は毎度、お前にタメ口を聞かれてびっくりしてるが」
どうやら知り合いらしい。
「あの、先祖返りって、何なんですか?」
「何代も前の祖先の特徴が、子孫に現れることだ。君の場合は、魔女の遺伝子が発現したってことになる」
八熊さんは両手をポケットに入れたまま言った。
「おめでとう。レアパターンだな」
そこだけ手を出して、ぱちぱちと拍手する。
顔と行動の温度差がすごい。
「……それで、八熊さんは何の御用なんでしょうか」
「スカウトだ」
「スカウト?」
「うちは魔女を専門に扱ってる駆け出しのプロダクションでな。夕張ヒカリから連絡を受けて君を誘いに来た」
「じゃあ、ヒカリちゃんのお仕事の関係者なんですか?」
「直属の上司だ。そこの不良女子高生の」
隣を見ると、不良女子高生は畳んだ上着を抱き込んでいた。
……まってそれわたしの上着じゃない?
「是非、VCUで働かないか。君なら高待遇を保証する」
八熊さんが身をかがめる。
疲れ切った目が近づいてきて、わたしは布団の上で少し後ずさった。
「そんな、急には決められません。お母さんにも相談しないと……」
進路だって決まっていないどころか、魔女だと言われたばかりなのに働けと言われても困る。
そういえば、お母さんは今どこにいるのだろう。
わたしが病院にいることも、知っているのかな。
「君のお母様なら、下のフロアだ。魔女協会の使者に、契約書の説明をされている」
「契約書?」
「協会に加入するためのものだ。先祖返りの魔女は、魔法を制御できるようになるまで、監視下に置かれるのが規則だからな」
八熊さんの声音は変わらなかった。
「場合によっては、数年間、親元を離れる。学校にも通えなくなるだろう」
「そ、そんなの、困ります」
「そこで、こちらだ」
どこからか取り出した紙の束を、八熊さんが叩く。
「うちと契約すれば、その事態を回避できる」
「……すごく、怪しく聞こえるんですけど」
わたしのせいで、お母さんと離れて暮らすことになる。
学校にも行けない。
せっかくハレ君と友達になって、今日、ヒカリちゃんとも仲良くなれたのに。
でも、この人の言う通りにすれば、本当にそれを避けられるの?
「安心しろ櫻子。八熊は見た目はコレだけど信用できる奴ではある」
わたしの上着に顔面を押し付けて深呼吸していたヒカリちゃんが口を挟んだ。わたしの服、なんかヤバい薬でもついてるのかな。
「アタシも似たような境遇だけど、ちゃんと学校行けてるだろ」
「でも……」
差し出されたペンを、すぐには取れなかった。
八熊さんが時計を見る。
「そろそろ、向こうでも話がまとまる頃か。別れの言葉は考えたか?」
「し、します! サインします! どこに書けばいいんですか!?」
急いでペンを受け取った。
何だか、ものすごく流されている気がする。
けれど立ち止まって考えている間に、帰る場所を失ってしまうかもしれない。
震える手で、指示された欄に名前を書いて、指で捺印を押した。
「不備はないな。あとは母親に説明して、一応承諾印をもらってくるか」
書類をまとめた八熊さんが、ヒカリちゃんを見る。
「あの馬鹿に連絡を頼む、夕張ヒカリ」
「いちいちフルネームで呼ぶんじゃねえよ、八熊ぁ」
八熊さんは返事もせず、カーテンの向こうへ消えた。
「じゃあ、アタシらも行くか。ヴィヴィアンに電話しねえと」
「待って。勝手に退院していいの? 下にお母さんがいるなら、会いたいんだけど」
「帰っていいって話はついてる。母親には後で会えるから、今はやめとけ。八熊とセラフの連中で揉めてるだろうし」
ヒカリちゃんが、ようやく上着を返してくれた。
そのままわたしに羽織らせ、病室の窓を開ける。
あれ、と思う間もなかった。
身体が抱え上げられる。
「え、ちょっと、ヒカリちゃ──」
窓から飛び出した。
窓から飛び出したのだ、この女。
「──んんんんんっ!!」
どうやらわたしは絶叫マシンに乗ると、怖すぎて絶叫できないタイプらしい。
地上へは無事に着いた。
ただし、ヒカリちゃんとはしばらく口を利かなかった。
* * *
──翌日、日曜日。
「ここ、だよね」
わたしは名刺と、目の前の建物を見比べた。
六階建てのビル。
案内板には『四階 株式会社VCU』とある。
思っていたより普通の建物で、少し拍子抜けした。
同時に、ちょっと安心もした。
昨日、八熊さんから話を聞いたお母さんは、驚くほどあっさり契約に同意した。
『櫻子がやりたいことならぁ、お母さんは応援するわよぉ。それにしても、うちの子が魔女だったなんてねぇ』
──なんて、習い事でも始めるみたいな口調だった。
わたしが本当にやりたいのかは、まだ自分でも分からないんだけど。
深呼吸して、ビルへ入る。
エレベーターで四階へ上がり、表札のついた扉を三回ノックした。
「入っていいぞ」
聞き覚えのある声に促されて、ドアを開ける。
「おはようございます、八熊さん」
「おはよう、馬場櫻子。十分前きっかりだな。優秀だ」
今日も、くたびれたスーツ姿だった。
何でフルネームなんだろう。
「母親が了承してくれてよかったな」
「……よかったんでしょうか」
「少なくとも家から通えるし、学校も続けられる」
八熊さんは煙草をくわえ、ライターを何度か鳴らした。
「先祖返りの魔女を、協会の監視下から引き受ける。うちは、それができる会社だと思っておけばいい」
「はあ……」
「詳しい話は追々する。とりあえず、そこのソファに座っておけ。三人もそろそろ来るだろう」
黒い革張りのソファへ腰を下ろした。
窓が一つ全開になっている。
頬に当たる風が少し冷たかった。
この寒い日に、換気のためだろうか。
八熊さん本人は、窓から離れたデスクにもたれて煙草を吸っているけれど。
──入り口のドアを気にしながら待つこと、十数分。
タン、と背後で音がした。
「おーす。櫻子、もう来てたのか。早えな!」
振り返ると、窓辺にヒカリちゃんが立っていた。
「……今、窓から入ってこなかった?」
「入ってきたけど?」
何か問題があるのか、とでも言いたげに首をかしげる。
ここ、四階なんだけど。
「夕張ヒカリ。遅刻だぞ」
「フルネームで呼ぶなって。つーか遅刻じゃねえし。十時二分ジャストだし」
「勝手に二分延長するな。あと、八熊さんだ」
ツッコミどころの多い会話だけど、どうやら窓については触れないらしい。なんでよ。
「んだよ、あの馬鹿二人まだ来てねえのか。櫻子の顔合わせに遅刻たぁ、いい度胸だな」
自分のことを見事に棚に上げて、ヒカリちゃんが隣へ座った。
「あの、あとの二人って、どんな人なの?」
「どんなって、アタシとそんな変わんねぇ普通の奴だぞ。アタシより弱えし、馬鹿だけど」
「はあ。普通なんだ……」
何一つ安心できない。なぜなら説得力が皆無だから。
今日は、ほかのメンバーとの顔合わせだ。
わたしと同年代の魔女だとは聞いているけど、怖い人じゃないといいな。
緊張しつつ入り口を見つめていると、また窓際から声がした。
「ごきげんよう。ヒカリに八熊。それと、そちらが例の方ですの?」
窓辺に、少女が立っていた。
薄紫のボブヘアー。
右目には花柄の随分洒落た眼帯をつけている。
「熱川カノン。遅刻だぞ」
「いちいちフルネームで呼ばなくてもよろしくってよ。それに、今は十時三分ジャストですの」
「勝手に三分延長するな。あと、八熊さんだ」
なんだかこのやり取り、さっきも聞いた気がする。
「おう成金。紹介しとくぞ。櫻子だ。アタシの嫁」
「ヒカリちゃん、息をするように嘘をつくのはやめようね?」
肩に回された腕を外して、わたしは立ち上がった。
「はじめまして。馬場櫻子です」
「申し遅れましたわ。私、熱川カノンですの。以後お見知り置きを」
スカートの裾を摘み、優雅にお辞儀する。
にこりと笑った口元を見て、思わず目が止まった。
歯が、尖っている。
覗いた歯の全てが、肉食獣の牙のような形をしていた。
「ああ、これが気になりますの?」
熱川さんが自分の口元を指す。
「小さい頃、魔法を暴走させた名残ですの。心配しなくても、噛みついたりしませんわ」
熱川さんがカチカチ、と歯を鳴らして笑った。
「ご、ごめんなさい。初対面なのに、じろじろ見て」
「謝ることありませんわ。慣れてますの。それより、まだカルタが来ていませんのね」
熱川さんが部屋を見回す。
「やれやれまったく、新メンバーとの顔合わせに遅刻だなんて。育ちが知れますわ」
既視感がものすごい。
「──はい到着〜。うん、十時四分ジャスト〜」
三度、窓の方から声がした。
今度は、黒いロングヘアーの少女だった。
眠たそうな目つきと気だるそうな口調とは裏腹に、顔立ちは端正で和風美人、という言葉がよく似合う。
「鳳カルタ。遅刻だぞ」
「八熊〜、フルネームで呼ぶなし〜。てかジャストだから、遅刻じゃないし〜」
「勝手に四分延長するな。あと、八熊さんだ」
八熊さんが、ため息と一緒に煙を吐いた。
「おいこっちに煙やるんじゃねえよ、八熊ぁ」
咳き込むヒカリちゃんの背中をさすっていると、鳳さんと呼ばれた彼女がソファの背もたれに寄り掛かってきた。
「ん〜? 知らない顔じゃん〜どちら様〜?」
「カルタ、紹介しますわ。こちら馬場櫻子。私の専属メイドですの」
「熱川さんも、反射で嘘をつくのはやめましょうか」
「お〜。ようやく、うちにもツッコミ担当が来たわけだね〜わたしはカルタ、鳳カルタだよん〜」
鳳さんが、ゆるく手を振る。
「よろしく、櫻子〜」
「よ、よろしくお願いします。鳳さん」
というかわたし、ツッコミ枠でスカウトされたの?
「よし。遅刻魔も全員揃ったところで、改めて紹介する」
八熊さんが煙草を消した。
「今日からうちで働く馬場櫻子だ。先祖返りの魔女だから、色々教えてやってくれ」
「それ、お前の仕事じゃねえの?」
「俺は馬鹿に呼び出されてる。仕事が入ったら連絡するから、親睦会でもしてろ。あと、八熊さんだ」
八熊さんはそう言うと、サッと黒いコートを羽織ってそのまま窓へ向かった。
……窓へ? なにゆえ?
そして声を掛ける前に、八熊さんは窓枠を越えて消えた。
「……っ!?」
腰を浮かせたわたしの横で、熱川さんが頬に手を添える。
「あら。執事長がいなくなってしまいましたわ」
「社長、八熊呼び出して何するんだろうね〜」
「どうでもいいわ。なあ櫻子、分かんねえことがあったら、今のうちに聞いてくれよ」
ヒカリちゃんが、気安くわたしの肩を叩いた。
「アタシが手取り足取り教えてやるから」
たった今、四階の窓から人生に疲れたような
顔の男性が飛び降りたのに誰も気にしない。窓を見ようとすらしない。なんでよ。
「……じゃあ、一つ聞いてもいい?」
「おう」
「何でみんな、当然のように窓から出入りしてるの?」
三人が、わたしを見た。
「……なぞなぞか?」
「哲学的な質問ですのね」
「あ、朝のログインボーナス受け取ってなかった〜」
どうやらこの会社では、窓に関しては気にした方が負けらしい。




