第3話:【ヒーロー見参】黒銀の密着スーツ(仕上がりすぎ)で無双した結果
※リメイク版として第1話から投稿中です。
〝――ヒーロー見参ッ!〟
無駄にエコーの効いたイケメンボイスが、ダンジョン中に響き渡った。
その瞬間、世界が一瞬だけ止まった。
姉貴――星宮ハルカは、涙目のまま呆然と俺を見上げている。宙に浮く配信ドローンは、芸術的なまでに俺の姿を画角のど真ん中へ収めていた。
仕事熱心すぎる。今すぐ職務放棄してほしい。
コメント欄のスクロールも止まっていた。さっきまで「ハルカちゃん逃げて!」「レオン何してんだ!」と荒れ狂っていた画面が、ぴたりと静止している。視聴者全員の脳内に、巨大な疑問符が浮かんだのがわかった。
……誰?
だろうな。俺も自分でそう思う。
黒銀の密着型ヒーロースーツ。目元だけを隠すサングラス型バイザー。片手を腰に当て、もう片方の手を天へ突き上げる、無駄に完成度の高い登場ポーズ。
登場の完成度が高ければ高いほど、俺の精神は死ぬ。
「見るな……」
声にするつもりはなかった。喉の奥から勝手に絞り出された。幸い、小さすぎてマイクは拾わなかったらしい。
見るな。誰も見るな。今すぐ配信を切れ。回線を落とせ。いっそ新宿第四ダンジョンごと電波障害になれ。頼むから、この姿を十万人に保存するな。
俺のそんな願いを、現実は一ミリも聞いてくれなかった。
頭上では、数トンはある結晶混じりの岩盤が、姉貴めがけて降ってきている。シンプルに死ぬ。普通なら死ぬ。
だが、今の俺は普通ではない。《ヒーロー見参》発動中。身体能力も反射神経も防御力も、通常時とは比べ物にならない。俺の羞恥心を置き去りにして、身体だけが勝手にヒーローをやっている。
本当に迷惑な身体だ。
「ふんぬっ……!」
俺は突き上げていた右拳を、そのまま迫りくる岩盤へ叩き込んだ。
ドンッ!
鈍い衝撃音が通路に響く。
ただの拳骨である。スキル名もない。必殺技でもない。ダンジョンで七年かけて作った身体から繰り出した一撃。それだけで、巨大な岩盤は木っ端微塵に砕け散った。
結晶片が星屑みたいに舞い、その光の中へ黒銀のシルエットが浮かび上がる。嫌になるくらい画になる。
配信ドローンが、なぜかズームした。するな。
その瞬間、止まっていたコメント欄が爆発した。
>は????????
>岩盤を拳で砕いた????
>公式演出!?
>いやスタッフの悲鳴がガチだったぞ
>胸板と肩幅がガチ探索者
>そこ見るなwww
>でも見えるんだよ!
「見るなって言ってるだろうが!」
今度ははっきり声が出た。
しまった。配信に乗った。
>喋ったw
>本人が一番つらそうで草
>いや草じゃない、ハルカ助けてくれてありがとう
「本人が一番つらそう」は正解だ。正解すぎて泣きたい。
俺にとってこの身体は、生き残るための道具だ。見せるためのものじゃない。だが現実には、十万人の視聴者が黒銀密着スーツを眺めている。たぶんスクショも撮られている。
終わった。社会的に終わった。
だが、終わっている場合ではなかった。
「グルァァァァァァァンッ!」
低く濁った咆哮が響く。結晶の鎧をまとった巨大な甲殻類型の魔獣、クリスタル・クラブ。赤城レオンが支柱を壊したせいで、完全に怒っている。
もっとも、怒りたいのはこっちも同じだ。こいつを呼び込んだのも、支柱を折ったのも、姉貴を置いて逃げたのも赤城レオン。歯が白いだけの男にしては、罪が重すぎる。
クリスタル・クラブが巨大なハサミを振り上げる。狙いは俺の首。大振り。遅い。Aランク探索者からすれば、止まって見える。
普通に弾いて、普通に懐へ入って、普通に仕留めればいい。俺はそうしようとした。だが、ヒーロー見参は普通を許さない。
口が勝手に動いた。
〝悪に染まりし刃など――我が肉体には届かない〟
「やめろォォォォォ!」
絶叫した。当然、これもマイクに乗った。
何だその台詞。誰が考えた。こんな文章、俺の語彙にはない。絶対に能力側の仕業だ。
>我が肉体www
>本人が全力で嫌がってるのに口が止まらないの何なんだ
>名乗りはダサいのに受け方がかっこいいの腹立つ
コメント欄を見るな。見るな、俺。だが視界の端に流れてくる。配信ドローンの表示が親切すぎる。いらない親切である。
俺は迫りくる巨大なハサミを、左手の甲で弾いた。
パキィィィン!
硬質な音とともに結晶のハサミへヒビが入り、巨体がよろめいた。
その隙に懐へ滑り込む。床を蹴る。腰を落とす。肩を入れる。腹筋と背筋を連動させ、拳へ体重を乗せる。
必殺技ではない。ただのストレートだ。なのに、口だけがまた勝手に動いた。
〝正義の一撃を受けよ――シャイニング・インパクト!〟
「だから技名をつけるなァァァァ!」
拳は止まらない。
ドゴォォォォォォンッ!
旧通路が大きく揺れる。結晶の鎧が砕け、衝撃が巨体を貫いた。
クリスタル・クラブは甲殻を粉砕され、エビみたいに身体を丸めて後方の壁へ吹き飛ぶ。そのままめり込み、数秒だけ痙攣して、魔力の霧になって霧散した。
沈黙。
赤城レオンが、崩落範囲の外でぽかんとしていた。さっきまで爽やかイケメン探索者を名乗っていた男の顔が、きれいに崩れている。あれが本当の顔か。歯の白さでは隠せないものがある。
コメント欄は三秒ほど止まり、それからまた爆発した。
>はえ??????
>今のストレート、カメラ追えてなかったぞ
>技名つけた本人が一番嫌そうで草
>赤城レオンが逃げた相手をワンパン?
>名乗り以外全部かっこいい
名乗り以外。
うるさい。俺が一番そう思っている。
だが、まだ終わりではない。変身解除の条件は救助対象の安全確保だ。姉貴を安全圏まで運ばないと、この黒銀密着スーツ姿のままである。
俺は姉貴へ歩み寄った。腰を抜かしたまま、俺を見上げている。涙目で顔色は悪いが、意識はあるし、大きな怪我もなさそうだ。
よかった。本当によかった。
「あ……あの」
姉貴が震える声で言った。
「助けていただき、ありがとうございました……っ。あなたは、一体……」
やめろ。その目で見るな。キラキラするな。
姉貴、俺だ。お前が無職扱いしている弟だ。今朝、リビングで大胸筋をつつかれていた男だ。
でも言えるわけがない。言った瞬間、俺の人生は終わる。もう半分終わっているが、完全終了だけは避けたい。
俺は黙って姉貴の前へ膝をついた。肩を貸そうとした。そのはずだった。
だが途中で、何かが上書きされた。能力の、あの感覚だ。
気づいた時には、俺の身体は無駄にスマートな動きで姉貴の背中と膝裏へ手を回していた。
「えっ」
姉貴が固まる。俺も心の中で固まる。
やめろ。その持ち上げ方はやめろ。救助搬送の基本は複数あるだろ。さっき俺はちゃんと肩を選んだはずだろ。よりによって、なぜ能力がお姫様抱っこを選ぶ。
「あ、ひゃい!? お、お姫様抱っこ……!?」
姉貴の声がひっくり返った。
コメント欄がまた加速する。
>お姫様抱っこきたああああ
>ハルカちゃん顔真っ赤w
>抱え方が慣れすぎてる
>レオンさん見てる?
見るな。切り抜くな。レオンは見るなじゃなくて反省しろ。
俺は姉貴を軽々と抱え上げた。軽い。普段ちゃんと食べているのか、この人。
いや、今それを考えるな。一刻も早く安全圏へ運ぶ。今度こそ黙って走ればいい。
だが、口がまた勝手に動いた。
〝ふっ。レディをこのような危険な場所に残しておくわけにはいかないからね〟
終わった。完全に終わった。
俺は実の姉に向かって、レディと言った。二十三年の人生で、一番きつい瞬間かもしれない。
姉貴はぽかんとしていた。感謝と恐怖と混乱で、処理が追いついていないのだろう。俺も追いついていない。
>レディwwwww
>でも声がいいから腹立つ
>強い・速い・スーツぴっちり・台詞がダサい
>情報量が多すぎる
俺もそう思う。自分の情報量で酔いそうだ。
「黙ってろ、俺……」
小さく呟いた。幸い、今度はコメント欄に拾われなかった。いや、拾われているかもしれないが、今は見ない。
俺は地面を蹴った。
ズガァン!
足元の石畳が砕ける。姉貴を抱えたまま崩落した岩盤の山を飛び越え、壁を蹴り、落ちてくる結晶片を避け、曲がり角を最短で抜ける。
姉貴の首が揺れないよう腕の角度を調整し、呼吸が乱れないよう速度を上げすぎない。
これは見せるための動きじゃない。誰かを生きて帰すための技術だ。
そこを見ろ。頼むからそこを見ろ。
>抱えてるのに揺れが少ない
>これ救助慣れしてる人の動きだ
>ハルカちゃんの頭をちゃんと支えてる
>ヒーロー見参ニキ、もしかして本物?
そのコメントが、視界の端に流れた。
俺はほんの少しだけ、息を止めた。
見ているやつもいる。スーツや台詞だけじゃなく、動きを、救助を見ているやつもいる。
……いや、だからといって許したわけではない。スクショは消せ。全員消せ。それは変わらない。
でも、ほんの少しだけ、胸の奥の嫌な感じが軽くなった気がした。
数十秒後、姉貴を安全区域の出口付近まで運んだ。スタッフと協会職員が駆け寄ってくる。
「ハルカさん!」
「大丈夫ですか!?」
姉貴はまだ混乱していたが、小さく頷いた。
「だ、大丈夫……です。あの、この方が……」
スタッフたちの視線が俺へ集まる。やめろ。集まるな。視線は集まると重い。しかも今の俺は黒銀密着スーツである。
「あ、あの!」
姉貴が俺へ手を伸ばした。
「せめて、お名前だけでも――」
名前? 言えるわけがない。
黒瀬玲司です。あなたの弟です。今朝、無職扱いされました。そんな名乗り、ヒーロー見参よりきつい。
俺は無言で姉貴の手をすり抜けた。ここで何か喋ったら、また能力が余計な台詞を出す。レディの次は何だ。プリンセスか。マドモアゼルか。
だから俺は、一言も発さずに踵を返した。
「待って――!」
姉貴の声が追いかけてくる。胸が少し痛んだ。
でも振り返らない。振り返ったら終わる。
配信ドローンが追いかけようとする。俺は床を蹴り、一瞬で距離を離して通路の影へ入った。
緊急救助用短距離ゲートを開く。黒銀の光が足元に走る。最後に、ドローンがギリギリ俺の背中を捉えた。
>消えた!?
>名前言わないのかよ!
>ヒーロー見参ニキ、ありがとう
>レオンさん、説明は?
俺はその表示を最後に見て、転送された。
*
数分後。我が家の自室。
窓際に黒銀の光が弾け、俺は床へ転がり込むように帰還した。変身が解除され、密着スーツが消え、いつもの部屋着に戻る。
助かった。いや、精神的にはまったく助かっていない。
俺は床にうつ伏せで倒れ、三秒ほど動けなかった。大型魔獣をワンパンした手が、今は毛布を求めて床を這っている。Aランク探索者とは何だったのか。
そして。
「あああああああああああああああああ!」
声が出た。止まらなかった。
「言った! 実の姉貴に向かってレディって言った! レディって何だよ! 誰が言ったんだよ! 俺だよおおおおお!」
俺は床を転がった。右へ、左へ、また右へ。羞恥心というものは、人間をこんなにも無力にするのか。人間の尊厳は脆い。
俺はベッドから毛布を引きずり下ろして頭からかぶり、さらにパーカーのジッパーを喉元まで上げた。今はもう密着スーツではない。それでも隠したかった。
「終わった……俺の人生、終わった……」
スマホが震えた。見たくない。絶対に見たくない。でも見なければならない気がする。
恐る恐る画面を見た。探索者仲間からのメッセージ。協会からの緊急確認。ニュースアプリの速報。
そして、SNSのトレンド。
【ヒーロー見参】
【黒銀ヒーロー】
【星宮ハルカ救助】
【レオン逃げた】
【シャイニング・インパクト】
俺はスマホをそっと伏せた。見なかったことにしよう。
無理だった。五秒後、また見る。
今度は動画サイトのおすすめ欄に切り抜きが出ていた。サムネには、黒銀の密着スーツ姿の俺が岩盤を砕く瞬間で映っている。
【神回】星宮ハルカ配信事故に謎の黒銀ヒーロー乱入! ヒーロー見参ニキ、大型魔獣をワンパンして消える
再生数、投稿から三分で十二万。
「早すぎるだろ、ネットの海……!」
俺は震える指でコメント欄を開いた。開くな。開くな俺。
でも開いた。
>名乗りで笑ったのに救助で泣いた
>レディ発言で腹筋死んだ
>抱え方が優しすぎて推せる
>ヒーロー見参ニキ、次の配信いつ?
>レオンは説明しろ
俺はスマホを投げそうになって、ギリギリで止めた。高いスマホだ。罪があるのは赤城レオンと、俺の能力仕様と、切り抜き職人の異常な仕事の速さである。
「次の配信なんて、あるわけないだろ……」
俺は毛布の中で震えた。
俺は配信者ではない。謎ヒーローでもない。姉に無職だと思われている、ただのAランク探索者だ。これ以上目立つつもりはない。二度とヒーロー見参しない。絶対にしない。
そう心に誓った瞬間、スマホがまた震えた。画面には、姉貴からのメッセージ。
『玲司、今どこ?』
俺は固まった。続けて、もう一通。
『まさかとは思うけど、今日の配信、見てた?』
さらに、三通目。
『あと、黒銀のヒーローさん、なんか玲司に雰囲気似てたんだけど』
俺は毛布の中で、静かに天井を見上げた。
終わった。いや、まだ終わっていない。たぶん。おそらく。希望的観測としては。
震える指で返信を打つ。
『見てない』
送信。既読。早い。
姉貴からの返信。
『じゃあ何で返信がこんなに早いの?』
俺はスマホを置き、毛布をさらに深くかぶった。そして今日一番の本音をつぶやいた。
「……ダンジョンより姉貴の方が怖い」
俺が毛布の中で社会的死亡判定を待っている間にも、黒銀ヒーローの切り抜きは信じられない速度で拡散され続けていた。星宮ハルカの同接も、事故と救助劇の相乗効果で過去最高を更新している。
トレンドには、ヒーロー見参の四文字。掲示板には、早くも新しいスレが立っていた。
【星宮ハルカ】初ダンジョン配信に謎の黒銀ヒーロー乱入【ヒーロー見参ニキ爆誕】
俺が見ないふりをしている間に、俺の人生は順調にバズり始めていた。




