第23話:【幼馴染襲来】見参未遂ニキ限界オタクと、押され続ける俺の大胸筋
第三会議室の扉が開いた。
入ってきたのは、一人の女性だった。
黒に近い紺色の探索者ジャケット。腰には細身の剣。長い黒髪を後ろで一つに結び、無駄のない所作で部屋へ入ってくる。
若手筆頭と呼ばれるAランク探索者、五月雨操。
探索配信ではほとんど笑わないことから、「氷姫」と呼ばれている女だ。
だが。
「ハルカさん。今日はよろしくお願いします」
「操ちゃん! 来てくれてありがとう!」
姉貴の顔を見た瞬間、操はふっと柔らかく笑った。
……配信で見たことがない笑顔だった。コメント欄の連中が見たら大騒ぎになる。
>氷が溶けた
>笑えるんじゃねぇか!
>運営、今まで隠してたな?
そんなコメントが流れる未来しか見えない。
「また一緒に仕事ができて嬉しいです」
「私も!」
二人は親しげに笑い合う。わかってはいたが、気心の知れた様子だった。
そして、その笑顔のまま操は俺へ視線を向けた。
「玲司」
「ああ」
「久しぶり」
「久しぶりだな」
短いやり取り。昔から変わらない距離感。
……そして。
「無職扱いは卒業できたのね」
「再会一言目がそれか」
姉貴が吹き出した。
「やっぱり操ちゃんもそう思ってた?」
「いえ」
操は首を横に振る。
「私は最初から知っています。玲司が探索者なことも、黒瀬レイであることも」
姉貴が固まった。
「……知ってたの?」
「高校時代は同じパーティでしたから」
「Aランクなのも?」
「もちろん。直接は聞いていませんけど」
姉貴がゆっくり俺を見た。その目は、静かに責めていた。
「玲司」
「何だ」
「操ちゃんは知ってたんだ」
「一緒に探索してたからな」
「お姉ちゃんは無職だと思ってたのに?」
「今その話を蒸し返すな」
「幼馴染には話してたのに?」
「だから事情が違うんだよ」
「実の姉より幼馴染の方が信用されてた?」
「そういう話じゃない!」
姉貴は頬を膨らませた。
「ショック」
「勝手に勘違いしてただけだろ」
「それでもショック」
操が小さく笑う。
この女、本当に俺絡みだとよく笑う。配信中の氷姫はどこへ行った。
「笑うな」
「昔と変わらないと思って」
「どこがだ」
「言い訳が少し下手になった」
「成長をそこに使うな」
チーフマネージャーが感心したように頷いた。
「黒瀬くんと五月雨さんが幼馴染なのは聞いていましたが、一緒に探索までされていたんですね」
「高校時代だけです」
操が答える。
「能力が変わってからは、一度も組んでいません」
その一言に、俺は少しだけ肩をすくめた。
そう。操は知っている。俺が黒瀬レイだということも、Aランク探索者だということも。高校の三年間、同じパーティで潜っていたのだから当然だ。
だが、変化した後の俺の能力については知らない。《ヒーロー見参》も。黒銀ヒーローも。全部知らない。
だからこそ、今この距離にいられる。もし知られたら、この幼馴染は間違いなく十四冊目のノートを開く。
「でも」
操が静かに続ける。
「玲司がAランクになった時も驚かなかったわ」
「そうか?」
「高校の頃からそうだったもの」
「当時はDランクだったぞ」
「ランクなんて関係ない」
操は迷いなく言った。
「玲司が一緒なら、全員で帰れると思っていた」
会議室が静かになった。姉貴が驚いたように俺を見る。
「そんなに?」
「ええ」
操は頷く。
「魔獣を倒すのは私の役目でした。でも、撤退の判断も、人を助けるのも、一番上手だったのは玲司です」
「操」
「何?」
「昔話はいい」
「褒めてるのに」
「姉貴の前でやめろ」
姉貴は目を丸くしたままだった。
「玲司が人にこんなに褒められてる……」
「珍獣を見る目をするな」
「だって初めて見た」
「俺だって褒められることくらいある」
「操ちゃんがここまで言うなら、本当にすごかったんだ」
「昔の話だ」
「昔でもすごいものはすごいわ」
操はきっぱりと言う。
「だから私は、玲司がAランクになったと聞いても納得した」
「……そうか」
少しだけ照れくさい。昔の実力を知っている相手に言われると、素直に嬉しいものがある。
高校の頃、操は前で戦い、俺は後ろで退路を数えていた。派手なのは常に操の方だった。それでも、この女は一度も俺の役割を軽く見なかった。
もちろん、それを口には出さない。
「玲司」
「何だ」
「今、少し嬉しかったでしょう」
「気のせいだ」
「顔に出てた」
「出てない」
「昔から褒められると耳が少し赤くなるもの」
「観察するな」
「癖だから」
「やめろ」
姉貴が俺の横顔を覗き込む。
「あ、本当だ」
「見るな!」
「ちょっと赤い」
「照れてる?」
「照れてない!」
二人そろって覗き込んでくるな。昔から、この距離感だから困る。
俺が一歩下がると、二人とも一歩詰めてきた。
「逃げた」
「逃げてない」
「都合が悪くなると距離を取るのよね」
「安全距離を確保してるだけだ」
「相変わらずね」
操が楽しそうに目を細めた。
「それで」
俺は強引に話を変えた。
「護衛兼監修って話だったな」
「あ、そうだった」
姉貴も思い出したように頷く。チーフがタブレットを開いた。
「次回の安全啓発企画では、五月雨さんには監修として参加していただきます。実際には、ハルカさんの護衛も兼ねていただく予定です」
「もちろんです」
操が即答する。
「ハルカさんは、今かなり狙われやすい状況ですから」
「特殊職業の影響ですね」
チーフが言うと、操が姉貴を見た。
「特殊職業?」
嫌な予感しかしなかった。
「姉貴」
「ん?」
「見せるなよ」
「えー?」
「絶対見せるな」
「操ちゃんだから大丈夫だよ」
「何が大丈夫なんだ」
姉貴は、にこにこしながらスマホを取り出した。
「はい」
「出すなァ!」
遅かった。
操はスマホを受け取り、ステータス画面を見る。
数秒。無言。そして、ゆっくり顔を上げた。
「……何これ」
「俺が聞きたい」
「特殊職業になったんだよ!」
姉貴だけが楽しそうだった。
操は画面を見直す。
【特殊職業:捕らわれのプリンセス(ヒーロー見ぃつけた♡)】
もう一度、俺を見る。
「玲司」
「何だ」
「これは笑い事じゃないわ」
「だろ?」
初めて会議中に操と完全に意見が一致した。
「ハルカさん」
操は真剣な顔で姉貴へ向き直る。
「今後、ダンジョン周辺での単独行動は禁止です」
「玲司にも同じこと言われた」
「当然です」
操は即答した。
「捕縛、監禁、呪物接触。何が起きても不思議ではありません」
「プリンセスは塔の外でもさらわれる」
俺が言うと、操が真顔で頷く。
「その通りです」
「二人とも、妙に説得力あるね……」
チーフが苦笑した。
「ですので、次回の安全啓発企画では護衛を二名体制にします」
「五月雨さんと――」
「黒瀬くんです」
「俺も?」
「現地で動線確認をするなら、一緒の方が早いでしょ?」
姉貴がにこっと笑う。
「入口まで付き合ってくれる約束だったよね?」
「……言った」
捕らわれのプリンセス相手に、軽々しく約束するものではない。
「玲司」
操がこちらを見る。
「久しぶりに一緒の現場ね」
「護衛はお前が主役だ」
「玲司もAランクでしょう?」
「今回は裏方だ」
「そう」
操は頷いた。
そして、俺の身体を頭から足先まで眺める。
嫌な予感しかしない。
「何だ」
「少し見ない間に、鍛えた?」
「探索者だからな」
「そう」
操は俺の正面まで歩いてくると、人差し指で俺の左胸を軽く押した。
つん。
「硬い」
「触るな」
「高校の頃より厚くなってる」
「分析するな」
姉貴の目が輝く。
「あ、それ私も思ってた!」
「乗るな」
姉貴は反対側へ回り込み、右胸を押した。
つん。
「こっちもすごい」
「姉貴まで!」
左。右。つん。つん。
「二人で人の大胸筋を審査するな!」
チーフが困ったように笑う。
「黒瀬くん、鍛えてるんだね」
「感想を言う側へ回らないでください」
「ご、ごめん」
味方がいない。
操は真剣な顔のまま頷いた。
「かなり実戦向きの身体ね」
「わかるのか」
「救助向き。衝撃を受け止めるための筋肉と、人を抱えて走るための体幹」
「……」
さすがAランク。見るところはちゃんと見ている。
「身体だけなら」
操は少し考えてから言った。
「黒銀ヒーローに近いわね」
俺は固まった。
「何で比較する」
「救助型だから」
「勝手に比較するな」
「でも」
操は静かに首を振る。
「決定的に違う」
「何が」
「あの人は」
一拍置いて。
「あれは筋肉じゃない」
嫌な予感しかしない。
「思想よ」
「帰れ」
即答した。姉貴が吹き出す。
「操ちゃん、それ前にも言ってたよね」
「はい」
操は真顔だった。
「救助対象を守る覚悟が、戦い方全部に表れています」
「そこまで見てるの?」
「映像は全部保存しています」
「全部?」
「もちろんです」
嫌な単語が聞こえた。
「考察ノートもあります」
「……何冊だ」
「十三冊目です」
「多い!」
「まだ足りません」
「十分だ!」
操は本気だった。
「あの戦闘フォームは、何度見ても完成度が高いんです」
「本人が聞いたら引くぞ」
「どうしてです?」
「そこまで分析されたら普通は怖い」
「そうでしょうか」
操は首を傾げる。
「私は尊敬しているだけです」
悪意がゼロだから余計に怖い。
しかも厄介なことに、分析の中身は全部当たっている。この女に十三冊も書かれていると思うと、背中がうすら寒くなった。
姉貴が、にやにやしながら俺を見る。
「何だ」
「別に。正当な評価を受けてよかったね」
「誰の話だ」
「一般論だよ?」
「俺の台詞を使うな」
姉貴が笑う。操も小さく笑った。
「玲司は昔から褒められるのに弱いもの」
「分析するな」
「事実よ。でも玲司も、かなり良い身体」
操が、さっき押した俺の左胸へ視線を戻す。
「うちの弟、素材はいいんだよね」
姉貴が反対側から右胸をつついた。
つん。
「もう審査は終わっただろ!」
「玲司」
操が真面目な顔で言う。
「次の現場、絶対に無茶しないで」
「俺より姉貴を見てろ」
「もちろん。ハルカさんは私が守る」
「玲司は?」
「見張る」
「役割がおかしい」
姉貴が笑顔で手を挙げる。
「じゃあ決まり!」
「何がだ」
「操ちゃんが私を護衛して」
「うん」
「私と操ちゃんで玲司を監視する」
「俺は危険人物じゃない!」
「昔から一番危ないのは玲司だもの」
操が静かに頷いた。
「同感です」
「そこで意気投合するな」
こうして、捕らわれのプリンセスと、氷姫と、俺。三人で行う安全啓発企画が決まった。
正直に言おう。魔獣より胃が痛い。
しかも、俺の正体を知らない黒銀ヒーロー限界オタクと一緒である。
絶対に、何も起きないはずがない。
お読みいただきありがとうございます!
毎日7:10と19:40の2話更新です。
続きもお楽しみに!




