第12話:【死角の達人】配信ドローンから逃げる短期スタッフと、安全確認配信なのに漂う嫌な予感
※リメイク版として第1話から投稿中です。
翌日。
俺が選んだ百パーセント安全なルートで。
絶対に出るはずのない魔獣が、出た。
――という結末を迎える数分前。
星宮ハルカの『ダンジョン再検証ルート確認配信』は、驚くほど平和に始まっていた。
新宿第四ダンジョンの低層エリア。前回とは違い、魔力濃度は安定。地形にも異常なし。
探索者協会の立会人もいる。安全管理スタッフも増員済み。退避ルートは三本。配信ドローンの飛行範囲も制限されている。
どこからどう見ても万全だった。
……少なくとも、俺以外の全員は、そう思っていた。
『星の子のみんなー! こんにちはー!』
姉貴こと星宮ハルカが、配信ドローンへ向かって笑顔で手を振る。中央の映像には、いつもの星空衣装へ軽いダンジョン用ケープを合わせた3Dアバターが映し出されていた。
悔しいが似合っている。さすが俺の姉。
いや、そういうことを考えるな。シスコンではない。配信者としての衣装評価だ。一般論です。
そして俺、黒瀬玲司は。
スタッフジャンパー。帽子。マスク。首元まで上げたジッパー。完全装備で配信ドローンの死角を移動していた。
裏方である。仕事もしている。だが、見た目は完全に不審者だった。
「黒瀬くん」
隣を歩くチーフマネージャーが、小声で呼んでくる。
「はい」
「もう少しゆっくり歩いてください」
「普通です」
「普通の人間は、カメラが動くたびに同じ速度で死角へ回り込みません」
「癖です」
「どんな生活をしていたら、そんな癖がつくんですか」
「無職仮なので」
「無職仮、便利すぎませんか?」
便利だ。今後も積極的に使いたい。できれば今日一日、無職仮の特殊能力として、俺の存在感を完全に消したい。
なぜなら、配信開始前から、コメント欄がこうだったからである。
>ヒーロー見参ニキ待機
>待機するな
>今日は何も起きないでくれ
>でもちょっと見たい
>来るな、でも来い
>ハルカちゃんが無事ならそれでいい
>矛盾した感情で同接してる
>ヒーロー見参ニキの二話まだ?
やめろ。
俺を連続ドラマにするな。一話完結で終わらせろ。続編制作を望むな。
続編が出る時は、誰かが危ない時だ。そんなものは打ち切りでいい。
『今日は、前回の事故が起きたルートについて、安全な距離から再確認していきます!』
姉貴はいつもより少しだけ慎重な声で説明する。
『今回は、ステラライブの安全チームさんと、探索者協会の立会人さんも一緒です。無理はしません。危険な場所には入りません。安心して見てね』
コメント欄が流れた。
>ハルカちゃん無理しないでね
>ちゃんと説明してくれるの助かる
>レオンの言い訳より百倍まとも
>協会立会いなら大丈夫そう
>後ろの黒いスタッフさん動き速くね?
>今、一瞬消えなかった?
俺は反射的に配信ドローンの死角へ滑り込んだ。
「黒瀬くん」
「はい」
「今、コメント欄に『消えた』と書かれました」
「まだ存在感の消し方が甘いか……」
「消し方を改善しようとしないでください」
「ではどうすれば」
「普通に歩いてください」
「難題ですね」
「なぜですか?」
難しい。魔獣の視界を切るより、配信ドローンから自然に隠れる方が難しい。
敵なら動きを読める。だが、配信ドローンは仕事熱心だ。俺が右へ動けば右へ。左へ行けば左へ。一瞬止まれば、わざわざ角度を変えて確認してくる。
ステラライブの機材は優秀である。今日ほど、その技術力を憎んだ日はない。
「ドローン二号、黒瀬くんを追っていますね」
チーフマネージャーが言う。
「故障です」
「被写体追尾機能です」
「故障です」
「正常に作動しています」
「正常な故障です」
「意味が分かりません」
俺にも分からない。ただ、あれは危険だ。俺の精神衛生に対する危険物である。
配信ドローン二号がこちらへ向く。俺は柱の陰へ移動する。ドローンが角度を変える。俺も移動する。ドローンも移動する。俺が止まる。ドローンも止まる。
見つめ合う。
「……帰れ」
小さく呟いた。ドローンは帰らなかった。仕事中だからだ。
社会は怖い。
『じゃあ、さっそく確認していくね!』
姉貴が歩き始める。俺たちも少し距離を空けて続いた。
今日歩くのは、俺が徹夜で選定した安全ルート。通称、百パーセント安全なピクニックルート。
命名者は俺だ。チーフマネージャーへ報告した時、一瞬だけ笑われた。その顔は忘れない。
理由は単純。魔獣の出現率が極端に低い。魔力濃度も安定。結晶床も厚い。退避ルートは三本。東側旧通路とも十分な距離がある。
本来なら、園児の遠足でもぎりぎり許可を出せるレベルだ。
いや、ダンジョンに園児を入れるな。例え話である。
『見て見て。この辺りは魔力濃度が安定していて、魔獣もほとんど出ない場所なんだって』
姉貴が、俺の作った台本通りに説明する。ちゃんと覚えているらしい。
『危ない場所に近づかないことも、ダンジョン配信では大事なんだよね』
少しだけ表情が真面目になる。
『映える場所より、安全に帰れる場所。これ、今日のハルカお姉さんとの約束です』
コメント欄が温かくなった。
>えらい
>安全啓発配信じゃん
>この前怖かったから安心する
>ハルカちゃん、ちゃんと前向いてて偉い
>無事に帰るまでが配信
俺は画面外で、ほんの少しだけ息を吐いた。
前回、死にかけた場所だ。怖くないはずがない。それでも姉貴は、事故を笑い話にせず、次に同じことを起こさないための説明をしている。
配信者として、ちゃんとしている。ただのポテチを食べる干物女ではない。
いや、干物女なのは事実だが。姉貴は姉貴の仕事をしている。
なら、俺は俺の仕事をする。何も起こさせない。誰も怪我をさせない。そして、絶対に配信へ映らない。
昨日と同じ、三つの目標だ。特に三つ目が重要なのも変わらない。
俺は携帯端末へ目を落とした。
魔力濃度、正常。魔獣反応、なし。地形変動、なし。
全て問題ない。
よし。今日は何も起きない。このまま平和に終わる。俺はただの無駄に筋肉がある短期スタッフとして帰宅する。
帰ったら寝る。何も考えずに寝る。もう名乗り対策の特訓もしない。少なくとも今日はしない。
俺の精神にも休暇が必要だ。
「玲司」
姉貴が振り返った。
「何だ」
「ちゃんとついてきてる?」
「仕事だからな」
「なら安心」
「俺を安全装置みたいに扱うな」
「身体だけ仕上がった安全装置」
「昨日も聞いた」
「気に入ってるから」
姉貴が笑う。チーフマネージャーも小さく笑った。俺は笑えなかった。
あまりにも否定しづらい。むしろ性能説明として正確なのが腹立たしい。
俺は端末へ視線を戻す。
「このルートなら問題ありません」
言ってから、一瞬だけ妙な寒気がした。
姉貴が首を傾げる。
「玲司」
「言うな」
「まだ何も」
「昨日と同じことを言おうとしただろ」
「フラグっぽいって」
「言ったな」
「だって二回目だし」
チーフマネージャーが真顔で口を挟む。
「二日連続だと、かなりフラグっぽいですね」
「社会人まで乗るな」
「一般論です」
「一般論を奪うな」
姉貴が笑った。俺は無視した。
フラグではない。安全確認だ。データに基づいた、極めて合理的な判断である。
ダンジョンが物語の都合で動くわけがない。現実は小説ではない。
そう思った瞬間。
ピッ。
手元の端末が、短く電子音を鳴らした。俺の足が止まる。画面の魔力濃度グラフが、一瞬だけ跳ね上がっていた。
「……?」
ほんのコンマ数秒。すぐに元へ戻る。数値だけ見れば誤差だ。普通なら、誰も気にしない。
だが、七年間ダンジョンへ潜ってきた勘が、小さく警鐘を鳴らしていた。
「黒瀬くん?」
チーフマネージャーが振り返る。
「何かありましたか?」
「……いえ」
俺は端末を見つめたまま答える。
「誤検知かもしれません」
「魔力濃度ですか?」
「一瞬だけ跳ねました」
チーフマネージャーも真剣な顔になる。すぐ近くにいた探索者協会の立会人が端末を確認した。
「こちらの計測器では変化なしですね」
「そうですか」
「機器誤差では?」
その可能性もある。むしろ、その方がいい。
俺はもう一度周囲を見回した。
右、異常なし。左、異常なし。天井、異常なし。足元、異常なし。魔力の流れも安定している。
気にしすぎか。前回の事故で神経質になっているだけかもしれない。
そう結論づけようとした、その時だった。
ギ……。
小さな音が聞こえた。耳鳴りにも似た、結晶同士が擦れるような音。
俺は反射的に壁を見る。
結晶壁。その表面へ、細い亀裂が一本走っていた。
「……おい」
ギ。ギギ。ギギギギギギギ。
嫌な音が広がる。まるで巨大なガラスへ、ゆっくり力を加えているようだった。
「黒瀬くん?」
「全員」
俺は壁を見たまま言う。
「少し下がってください」
チーフマネージャーの表情が変わる。
「理由を」
「説明はあとです。まず距離を」
その声色だけで何かを察したらしい。チーフマネージャーは即座に振り返った。
「安全確認です! 一度全員、三メートル後退してください!」
スタッフが動く。協会職員も誘導を始める。姉貴もすぐに空気を読んだ。
『みんな、ごめんね』
配信ドローンへ笑顔を向ける。
『安全確認を優先するね』
コメント欄もざわつき始めた。
>え?
>どうした?
>ハルカちゃん落ち着いてるな
>安全確認なら仕方ない
>この前の件あるし慎重なの大事
その時、ピッ、と俺の端末が今度は二回鳴った。
魔力濃度が、一パーセント。二パーセント。三パーセント。じわじわ上昇していく。
「……おかしい」
自然じゃない。前回の崩落とは違う。魔力が流れ込んでいる。誰かが無理やり押し込んでいるような増え方だった。
俺は壁へ近づく。結晶の色が変わっていた。透明だった結晶が、ゆっくりと白く濁っていく。
「協会!」
俺は叫ぶ。
「東側旧通路との魔力流量を確認してください!」
立会人が端末を見る。
「え……?」
顔色が変わった。
「そんな……」
「どうしました?」
「接続していません。東側旧通路とは繋がっていません!」
なら、この魔力はどこから来ている。
俺は壁へ手を当てた。冷たい。
だが、奥で何かが脈打っている。
ドクン。
ドクン。
まるで巨大な心臓だった。嫌な予感しかしない。
「全員、もっと下がれ!」
俺は今度こそ怒鳴った。
「退避ルートB!」
姉貴も叫ぶ。
「みんな下がって!」
スタッフが一斉に走る。ドローンも後退を始める。コメント欄が加速する。
>え、ガチ?
>この前みたいになる?
>怖い怖い怖い
>ハルカちゃん逃げて!
>黒いスタッフさん、めっちゃ指示出してる
>協会の人より早く動いてる
そんなものはどうでもいい。今は全員を離す。それだけだった。
ギギギギギギギギギギギッ!!
壁一面へ、蜘蛛の巣のような亀裂が走る。配信ドローンがその映像を真正面から映した。
結晶が、膨らんだ。内側から押し上げられるように、盛り上がる。
俺の背中へ冷たい汗が流れる。
「まずい」
本能が叫ぶ。ここから離れろと。
だが、離れられない。姉貴がまだ近い。スタッフも完全には避難しきれていない。
壁が、弾けた。
轟音。結晶片が雨のように飛び散る。配信ドローンが大きく揺れる。コメント欄が止まった。
その奥から、ゆっくりと、巨大な影が姿を現す。
四メートル級。全身を透明なダイヤモンド状の結晶で覆った、人型の魔獣。腕は丸太のように太く、拳は軽自動車ほどもある。
その胸部で、赤黒い光がゆっくりと脈打っていた。
探索者協会の立会人が青ざめる。
「……ダイヤモンド・ゴーレム」
声が震えていた。
「馬鹿な……」
「低層に出る相手じゃない……!」
俺は静かに胃を押さえた。
百パーセント安全なピクニックルート。開始十分。安全確認配信。
そして開始早々、安全ではないものが確認されてしまった。
お読みいただきありがとうございます!
毎日7:10と19:40の2話更新です。
続きもお楽しみに!




