第1話:姉貴は人気VTuber、俺は身体だけ仕上がった謎の自宅警備員
※本作は、以前投稿していた同名作品を全面的に見直したリメイク版です。
ストーリー構成や文章表現などを調整し、第1話から改めて投稿しています。
旧版をお読みいただいた方も、改めて楽しんでいただけましたら嬉しいです!
「ちょっと玲司! あんた今日もリビングでゴロゴロして! 少しはお姉ちゃんを見習って社会のために働きなさいよ!」
朝一番、我が家のリビングに響き渡ったのは、実の姉である黒瀬遥香の、あまりにも理不尽な説教だった。
現在時刻、午前十時。世間のまともな社会人がとっくに働き始めている時間である。そして俺、黒瀬玲司二十三歳は、ソファの上でプロテインをシェイクしていた。
完全に無職の絵面だった。
いや、違う。絵面が無職なだけで、中身は無職ではない。
「姉貴、何度も言わせるな。俺はニートじゃない。個人事業主だ」
「個人事業主?」
姉貴がじとっとした目で俺を見る。
寝癖のついた髪。ゆるゆるの部屋着。片手にはポテトチップス。この人はネットの海では「清楚で癒やされる理想のお姉ちゃん」として何十万人ものリスナーを狂わせている人気VTuber、星宮ハルカである。その中の人が、これだ。
夢を壊してはいけない。絶対に配信画面には映せない。
「毎年ちゃんと確定申告もしてる。所得税も払ってる。国には貢献してる」
「嘘おっしゃい!」
「嘘じゃない」
「毎日家でプロテイン飲んで、スクワットして、たまに出かけたと思ったら全身泥だらけで帰ってくる男が、まともな個人事業主なわけないでしょ!」
「偏見がすごい」
「偏見じゃなくて観察結果よ!」
姉貴が近づいてきて、俺の胸元を指でつついた。
「というか、何なのよこの胸板」
「触るな」
「なんで無職なのに身体だけ仕上がってるの?」
「無職じゃない」
「この腹筋もおかしい」
「触診すんな!」
姉貴は俺の肩や腕まで一通り確かめたあと、満足げにうなずいた。
「お姉ちゃん、不安で夜も八時間しか眠れないわ!」
「熟睡してるじゃねえか!」
八時間眠れるなら、人類の中でもかなり健康な部類である。それでいて本人は真剣だった。ポテチの粉を指につけたまま弟の大胸筋を警戒する姉。構図としてはなかなか終わっている。
「玲司、正直に言いなさい。あんた、怪しい秘密結社の戦闘員か何かなの?」
「発想が小学生かよ」
「じゃあ何でそんなに身体が仕上がってるのよ」
「趣味」
「趣味でその胸板になる?」
「努力家だからな」
「その努力を就職に向けなさい!」
ごもっとも。ただし、俺は本当に働いている。姉貴が知らないだけだ。
俺の正体はダンジョン探索者。その中でも、上位三パーセント程度しか到達できないAランクである。ただし本名では活動していないし、顔出しもしていない。姉貴が知らないのも、まあ当然だった。
高校生の頃からダンジョンに潜り、モンスターを狩り、素材を回収し、時には救助任務もこなしてきた。収入もそれなりにある。少なくとも、ポテチを食べながら無職呼ばわりされる筋合いはない。
ないのだが、俺はその事実を姉貴に言っていない。危ない仕事だから心配される。夜中に出かけて朝に帰る生活を怒られる。
そして一番大きい理由は、俺の固有能力の名前が、あまりにも終わっていることだった。
能力名。
ヒーロー見参。
……今、笑ったやつ。
お前は正しい。
俺も初めて聞いた時は、笑う前に絶望した。
能力そのものは強い。発動すれば身体能力が大幅に上がり、反射速度も跳ね上がり、防御力も増す。救助対象の位置も直感的にわかる。性能だけなら当たりだ。
問題は見た目である。
発動すると、俺は黒銀色のヒーロースーツに変身する。しかも全身密着型で、首元まで覆われ、顔はサングラス型のバイザーで隠れる。露出はない。
ないのに、身体のラインは出る。めちゃくちゃ出る。肩、胸、腹、腰、脚。探索者として鍛えた身体が、全力で「ここにいます」と主張してくる。
鍛えていること自体は恥ずかしくない。むしろ誇りはある。この身体は、ダンジョンで生き残るための道具だ。誰かを抱えて逃げるための腕。崩れた足場を蹴るための脚。攻撃を受け止めるための背中。見せるためのものじゃない。
だが、あの姿がもし配信に映ったらどうなるか。想像するまでもない。コメント欄がこうなる。
『名乗りダサいのに動きガチで草』
『スーツぴっちりすぎない?』
『身体のラインえぐ』
『変身系自宅警備員』
死ぬ。社会的に死ぬ。
「玲司、聞いてる?」
姉貴の声で、俺は我に返った。
「聞いてる」
「今、絶対聞いてなかったでしょ」
「人生について考えてた」
「リビングでプロテイン飲みながら?」
「人生はどこでも考えられる」
「じゃあ、まず就職について考えて」
「働いてる」
「どこで?」
「言えない」
「はい、無職」
「判定が雑すぎる!」
姉貴は勝ち誇った顔でポテチを一枚食べた。この姿で人気VTuberなのだから、世の中はわからない。
ちなみに姉貴こと黒瀬遥香は、大手VTuber事務所『ステラライブ』所属の企業VTuberだ。活動名は星宮ハルカ。星空の案内人という設定で、歌、雑談、ゲーム実況を中心に活動している。ファンネームは『星の子たち』。配信では、
『星の子のみんな、今日もハルカの星図へようこそ』
なんて優しく挨拶している。声が癒やし、疲れた社会人に効く、と評判だ。
だが現実の星宮ハルカは、ポテチを食べながら弟の胸筋をつついてくる。世界には、知らない方がいい真実がある。
「そうだ玲司。うちの事務所、まだスタッフ募集してるよ」
また来た。姉貴の就職勧誘である。
姉貴は俺が大学卒業後、まともに働いていないと思っている。だからことあるごとに事務所へ引き込もうとしてくる。本人いわく、近くにいれば安心らしい。隠す気のないブラコンである。
「断る」
「即答しない!」
「断る」
「ほら二回言った!」
「姉貴の職場で働くのは距離が近すぎる」
「私は近い方が安心なんだけど」
「それが一番の問題なんだよ」
姉貴は胸を張った。
「私はブラコンを自覚してるから強いよ」
「自覚するな」
「だって心配なんだもん。ちゃんと働いてるかもわからないし」
「働いてる」
「じゃあ職場」
「言えない」
「ほら、ブラコン継続決定」
「理屈が強引すぎるだろ」
「まあ、あんたの不審者プロファイリングは置いておくわ」
「置いておくな。撤回しろ!」
「それより、これを見て!」
姉貴は急に顔を輝かせ、スマホの画面を俺の目の前に突きつけてきた。
姉貴の「これを見て」は、大抵ろくでもない。
画面には、ステラライブ公式の告知画像が表示されていた。そこに踊る文字。
【星宮ハルカ、初ダンジョン生配信!】
【人気探索者・赤城レオンが完全エスコート!】
【安全第一で、未知の世界へ!】
俺の手が止まった。シェイカーの中で、溶け残った粉が静かに沈んでいく。
「……は?」
「すごいでしょ!」
「赤城、レオン?」
「うん! 知ってる? 爽やかイケメン探索者さん!」
知っている。知りたくなかったが、知っている。
赤城レオン。Aランクの配信者探索者。顔がいい。トークもうまい。ファンも多い。
だが、探索者界隈での評価はかなり悪い。理由は単純で、あいつは映えを優先する。危険地帯ギリギリへ行きたがり、自分だけ安全な位置を取り、同行者にリスクを押しつける。証拠が表に出ているわけではないが、協会の飲み会で名前を出すと露骨に空気が悪くなる、あの手の男だ。
初心者の案内役としては、最悪に近い。
しかも姉貴は方向音痴である。雑談配信で「駅の改札を出た瞬間に人生が迷子になる」と言っていた女だ。そんな姉貴が、赤城レオンに案内されてダンジョン配信。
死亡フラグのフルコースだった。前菜からデザートまで全部フラグ。
「姉貴」
「何?」
「この配信は絶対にやめろ」
自分でも驚くくらい声が低くなった。姉貴が目を丸くする。
「え?」
「ダンジョンは遊び場じゃない。特に赤城レオンは信用するな」
「玲司、知ってるの?」
「ネットで見た」
「その顔はネットで軽く見た顔じゃないよ」
「とにかくやめろ! 姉貴みたいな極限の方向音痴が行ったら普通に迷う。迷った先で死ぬ」
「言い方!」
「現実を言ってるだけだ」
「さすがに死ぬは大げさでしょ」
「大げさじゃない。ダンジョンでは、曲がる角を一つ間違えただけで帰れなくなる」
「……」
姉貴が一瞬黙った。俺の声がいつもと違うことに気づいたのだろう。だが、すぐに頬を膨らませた。
「なによ。無職のくせに偉そうに」
「無職じゃない」
「でもね、私だってダンジョンが危ない場所だってことくらい知ってるよ」
その言葉に、いつものふざけた調子はなかった。ポテチの粉を指につけたままなのに、目だけはやけに真っ直ぐだった。
「星の子たちがね、ずっと楽しみにしてくれてるの。ハルカちゃんの大冒険が見たいって。普段、画面の向こうから応援してくれる人たちに、私も新しい景色を見せたい」
「……」
「怖くないわけじゃないよ。でも、ちゃんと準備する。無茶もしない。危ないと思ったら撤退する」
「コメント欄は責任を取らない」
俺は言った。
「盛り上がっても、煽られても、現場で判断しろ。配信映えより命を優先しろ」
姉貴が少し驚いた顔をした。
「玲司って、たまに本当に働いてる人みたいなこと言うよね」
「働いてる」
「どこで?」
「言えない」
「台無し!」
姉貴はくすっと笑って、ポテチの袋を置いた。
「でも、ありがと。心配してくれて」
「心配じゃない。危機管理だ」
「はいはい。シスコンの危機管理ね」
「違う」
「顔赤いよ」
「プロテインのせいだ」
「プロテインに謝って」
俺はため息をついた。これ以上言っても引かない。
普段はポンコツだ。地図も読めない。コンビニに行って別のコンビニから帰ってくることもある。だが、配信者としての姉貴は妙に頑固で、妙に真面目だった。
見てくれる人を笑顔で帰す。その一点だけは、たぶん本物なのだ。
だから、余計にタチが悪い。
「……勝手にしろ」
俺はプロテインを飲み干した。
「俺は絶対にその配信なんて見ないからな」
「本当に?」
「見ない」
「アーカイブも?」
「見ない」
「コメント欄監視もしない?」
「しない」
姉貴はじーっと俺を見る。
「……本当に?」
「しつこい」
「まあ、いいけど」
姉貴はにやにやしながらスマホをしまった。
「じゃあ、お姉ちゃんは事務所行くね。玲司はちゃんと就職先探しておくこと」
「働いてる」
「はいはい。秘密結社ね」
「違う」
「身体だけ仕上がった自宅警備員」
「悪口のキレが増してるぞ!」
姉貴は笑いながらリビングを出ていった。ドアが閉まり、足音が遠ざかり、家が静かになる。
三秒。俺は動かなかった。五秒。まだ動かなかった。十秒。完全に出ていったことを確認する。
次の瞬間、俺はソファから跳ね起きた。
「見ないわけねえだろ、アホ姉貴が!」
自室へ駆け込み、椅子に飛び込む。自作PCの電源を入れると、モニター四枚が順番に光った。
一枚目、星宮ハルカの配信スケジュール。二枚目、配信予定のダンジョンマップ。三枚目、赤城レオンの過去配信アーカイブ。四枚目、探索者協会の緊急出動情報。
完璧だ。どこからどう見ても、姉の配信を楽しみにしている弟ではない。ただの危機管理である。
「あいつの過去配信、立ち回りが完全に『俺以外が先に死ね』なんだよ! なんでよりによって姉貴の初ダンジョンにつけるんだ、ステラライブの安全管理どうなってんだ!」
俺はキーボードを叩き、赤城レオンの公開戦闘ログを片っ端から開いた。非公開データベースには入らない。さすがに犯罪はしない。ただし、Aランク権限で見られる範囲は全部見る。
つまり、ほぼ見る。
「新宿第四ダンジョン……低層は初心者向け。だが東側の旧通路は封鎖履歴あり。魔力濃度もやや不安定。ここに近づけたらアウトだ」
マップに赤線を引く。赤城が好みそうな映える場所に印をつけ、危険ルートにバツをつけ、姉貴が迷いそうな分岐にドクロマークをつける。作業が進む。不安も進む。胃が痛い。
「くそ、よりによって週末か。俺の予定は……」
探索者用スケジュールを開く。
空白。見事なまでに空白。
「よし、空いてる! というか最初から予定を入れてない! 無職扱いされているAランク探索者のスケジュール管理を舐めるなよ!」
威張れる内容が一つもなかった。
俺は告知画像を睨む。姉貴は笑っている。星空の案内人らしく、キラキラした衣装で。
『初めてのダンジョン、行ってきます!』
やめろ。その笑顔で死亡フラグを立てるな。
見に来てくれた人を笑顔で帰すのがプロのVTuberなら、その笑顔の裏で姉貴を生きて帰すのが、世界で唯一の弟である俺の仕事だ。
いや、仕事ではない。身内としての危機管理だ。
たぶん。
「頼むから何も起きるなよ……!」
俺はモニターに向かってつぶやいた。
「万が一にも、あのクソダサいスーツで配信に乱入する羽目だけは、本当に勘弁してくれよ……!」
黒銀の密着型ヒーロースーツ。強制名乗り。ヒーロー見参。想像しただけで胃が痛くなった。
だが、もし姉貴が本当に危ない目に遭ったら、俺はたぶん迷わず変身する。いや、たぶんではない。絶対にする。
それが一番嫌だった。
俺は配信待機ページを開いた。通知設定をオン。コメント欄監視ツールを起動。通報用のショートカットも準備。ついでに配信サムネを保存する。
さらに、姉貴が現場で疲れた時用の差し入れリストまで作りかけて、自分の手を二度見した。いや、これは資料だ。危機管理資料。断じてファン活動ではない。
「……よし」
準備は整った。あとは何も起きないことを祈るだけだ。
俺は椅子にもたれ、天井を見上げた。
頼む。赤城レオンが普通に案内して、姉貴が普通に帰ってきて、星の子たちが普通に喜んで、俺が普通に寝不足になるだけで終わってくれ。
そう願った。そして、こういう願いほど大体叶わないことを、俺はダンジョンで嫌というほど知っていた。
配信開始まで、あと一日と四時間。
俺はまだ知らなかった。その祈りが、開始十分で粉々に砕け散ることを。




