08 あの日の思い
配膳の開始から二十分ばかりも経過すると、巨大石鍋の中身も綺麗に食べ尽くされることになった。
大仕事をやりとげた咲弥たちは、ひとまずタープの下で身を休める。広場では大勢の人々がはしゃいだ声をあげており、宴もたけなわといった様相であった。
「し、しつれいしますのです! みなさまのさかずきをおもちしたのです!」
「そ、そしてこちらは、いわいのりょーりのおかわりなのです!」
と、もとの席に置き去りであったマグカップや食器類が、親切な娘さんたちの手によって運ばれてくる。カップにも皿にも、新しいドリンクと料理が追加されていた。
新しいドリンクは、乳酒とイブ酒のブレンドである。ヨーグルトに似た乳酒とリンゴ酒に似たイブ酒はそれぞれの甘みと酸味がいい具合に絡み合い、なかなかのお味であった。
咲弥たちはキャンプメンバー水入らずで、あらためて祝杯を交わす。配膳に励んだ面々はいずれも汗だくの姿であったが、そのぶん充足した面持ちであった。
「しゅーらくのよるはおやまよりもさむいのですけれど、きょうはぽかぽかなのですー」
両手でカップを包み込んだチコが、ゆるんだ笑顔でそのように告げてくる。温泉につかっているときのような、無防備なる笑顔であった。
「ああ、砂漠の夜は冷え込みが厳しいって話だったねぇ。あたしや陽菜ちゃんは、油断しないように気をつけよぉ」
「うん! 今はまだ暑いぐらいだけど、上着もちゃんと持ってきてるからね!」
陽菜もまた、満ち足りた笑顔だ。十歳という幼さで異界の祝祭を味わうというのは、なかなかの体験であるはずであった。
いっぽう、ギューとケルベロスたちはご機嫌の様子で食欲を満たしている。タープの下だけを見ていれば、普段のキャンプと大差のない様相だ。それでもやっぱり広場にあふれかえる熱気とざわめきが、咲弥に楽しい非日常感をもたらしてくれた。
「失礼いたします。少々お時間をよろしいでしょうか?」
と、賑わいの向こう側から行商人がやってくる。その美麗なる顔は、また白い布によって隠されていた。
「まずは、立派な祝いの料理をありがとうございました。あれなる料理もまた、素晴らしい出来栄えであったかと思います」
「どうもありがとぉ。お口に合ったんなら、何よりだよぉ」
ローチェアに座した咲弥が笑顔を返すと、行商人は恭しげに一礼した。
「あれなる料理にも、多少ながら見慣れない食材が使われておりました。サクヤ殿は異郷の食材や器具でもって、日々の生活を過ごされているのですね」
「うん。それがどうかしたぁ?」
「はい。ぶしつけな申し出で恐縮なのですが……よろしければ、異郷の品を行商で扱わせていただくことはできませんでしょうか?」
咲弥はきょとんと行商人の姿を見返してから、ドラゴンのほうに視線を転じる。
レジャーシートの上でくつろいでいたドラゴンは、慌てず騒がず口を開いた。
「それは、まかりならんだのだ。それを理解してもらうために、其方にもこちらの事情を通達しておくべきであろうな」
「はい。恐れながら、そちら様の事情とは?」
「咲弥は異郷ならぬ異界の住人であるのだ。現在、あれなる魔の山は異界への門として定着させているのでな。今日は特別に、門の外へと足をのばしてもらった次第である」
行商人は切れ長の目を何度かまばたかせてから、反問した。
「失礼。異界の門とは……いえ、そもそも異界とは、どういった地について指しているのでしょうか?」
「異界とは文字通り、こちらとは異なる世界である。同じ星で異なる運命を辿った、並行世界のひとつとでも称するべきなのであろうな」
「並行世界……行商人の身には、理解が及ばぬ話であるようです」
「うむ。何にせよ、サクヤのもたらす品々を山の外に持ち出すには、我の術式が必要となる。本来的に、そのような真似はつつしむべきであろう。……繰り返すが、今日はあくまで特別な取り計らいであるのだ」
「……承知いたしました。それでは、さきほどの申し出は全面的に取り消させていただきます」
行商人がまた一礼すると、ドラゴンはちょっと楽しげに目を細めた。
「ずいぶん簡単に引き下がるのであるな。商魂たくましい其方であれば、今少しは食い下がるものかと考えていたのだが」
「理解の及ばぬ話でありますが、竜王殿のお言葉に逆らうような蛮勇は持ち合わせておりません。平にご容赦を願いたく思います」
そんな風に述べてから、行商人はあらためて咲弥とドラゴンの姿を見比べた。
「では逆に、皆様の側にご所望の品はありませんでしょうか?」
「うむ? 所望の品とは?」
「たとえば、食材です。サクヤ殿は調理に大きな熱情を抱いておられるご様子ですので、こちらが何か目新しい食材をご準備できればご興味を持たれるのではないでしょうか?」
ドラゴンは不思議そうに小首を傾げたし、咲弥も気持ちはひとつであった。
「それは、意想外な申し出であるな。しかし、たとえこちらが所望しても、引き換えにする品がなければ商いは成立するまい?」
「魔の山は魔力の恩恵でもって、さまざまな実りがもたらされているものと聞き及びます。キバジカや『世捨て人の悦楽』などは、最たる例でありましょう。キバジカは北方区域、『世捨て人の悦楽』は東方区域の実りであり、本来はこちらの区域に存在するはずもないのです」
「ふむ。今日は『世捨て人の悦楽』の果実酒も持ち込んでいないはずであるが……それは、アトルたちから聞き及んだのであろうかな?」
「は、はいなのです! それはひめごとであったのです?」
アトルとチコが気の毒なぐらい慌てた顔をすると、ドラゴンは優しい眼差しで「否」と応じた。
「あれなる果実酒は冒険者たちにもふるまっているし、べつだん口止めもしていない。魔の山に希少な実りが存在しようとも、それを目当てに踏み込もうとする者などはおらんだろうからな。……しかし、行商の品に仕立てようとする者は存在したようだ」
「はい。そしてこちらは、魔の山に存在しない実りをお届けすることがかないます。それでしたら、商いも成立するのではないでしょうか?」
「うむ。やはり其方の商魂のたくましさは、我の想定すら凌駕していたようだ。まさか、魔の山の住人に商談を持ち掛けようとはな」
ドラゴンはまた楽しそうに目を細めながら、咲弥のほうを振り返った。
「しかし現在あの山は、サクヤが所有者であるのだ。すべてを決するのは、サクヤであるな」
「ええ? いきなりそんなことを言われても、困っちゃうなぁ。そもそも、お山の恵みを外に持ち出しちゃって大丈夫なのぉ?」
「二つの世界の融合によって生まれた新たな種は、山の内に留めるべきであろうな。しかし、もともとこちらの世界に属している種であれば、問題はなかろう」
「うーん。でも、あたしなんかはその区別もつかないぐらいだしねぇ」
「それに関しては、ユグドラシルやロキを頼ることがかなおう。種の判別や収穫の度合いなど、あの者たちであれば我以上に適切な判断を下すことがかなおうからな」
そんな風に言ってから、ドラゴンは行商人のほうに視線を戻した。
「しかし我々は、山の調和を乱してはならじという思いを抱いている。如何なる実りにおいても大がかりな収穫をするつもりはないので、さしたる商いにはならぬやもしれぬぞ」
「はい。それで商いが成立しなければ、身を引くだけのこととなります。どうかご一考いただけますでしょうか?」
その問いかけをパスするように、ドラゴンが咲弥に視線を向けてくる。
しかしやっぱり、咲弥に確たることは言えなかった。
「ドラゴンくんは、わりあい乗り気みたいだねぇ。よかったら、どういうお気持ちなのかを聞かせてもらえる?」
「うむ。我はただ、南方の希少な食材でも届けられれば、またサクヤの手腕によって見事な料理が口にできるのではないかと期待しているのみである」
そう言って、ドラゴンはにこりと微笑むように目を細める。
その愛くるしい仕草に、咲弥は思わず笑ってしまった。
「もう、ほんとに食いしん坊だなぁ。まあ、ドラゴンくんがそんなことで判断を間違うとは思えないし……ドラゴンくんに異論がないなら、前向きに考えてみるよぉ」
「ありがとうございます。皆様のご温情に、心よりの感謝を捧げさせていただきます」
行商人は最後にまた頭を垂れてから、身を引いた。
「では、詳しい話については、またのちほど。いったん失礼させていただきます」
それは、新たな一団がこちらに近づいていたためであった。
孫と玄孫に手を引かれた、長老である。その姿に、アトルとチコがぴょこんと身を起こした。
「ちょ、ちょーろーさま! わざわざおいでくださったのです?」
「はいなのです……りっぱないわいのりょうりをじゅんびしてくださったみなさまに、ひとことおれいをもうしあげたかったのです……」
長老は穏やかに微笑んでいるし、そのご家族はにこにこと笑っている。ただし幼き玄孫のほうは、タープやローチェアや『祝福の閨』といったキャンプギアを物珍しげに見回していた。
「ぎょーしょーにんさまとのおはなしをおじゃましてしまったのです……? でしたら、おわびをもうしあげるのです……」
「否。あちらは急ぐ話でもなかったので、謝罪は無用である。サクヤたちも、長老との対話を望んでいようからな」
「うん。ついつい腰を落ち着けちゃったよぉ。長老さんにも、ご満足いただけたかなぁ?」
「はいなのです……わたしは、こころからかんぷくしましたのです……そして、アトルとチコがおやまであじわっているこうふくなおもいをわかちあうことができて……わたしもしあわせなここちなのです……」
長老がゆったり微笑みかけると、アトルとチコも嬉しそうにもじもじとした。
「よかったら、長老さんもくつろいでいってよぉ。椅子は、いっぱいあるからさぁ」
「はいなのです! ぼくたちがごじゅんびするのです!」
冒険者たちのために余分に作られた丸太の椅子が、アトルたちの手で持ち出される。そちらは集落に存在する椅子よりもわずかに座面が高かったが、腰の曲がった長老も家族の助けのもとに腰を落ち着けることができた。
「きょうはほんとうに、しあわせないちやであったのです……わたしなどはもうたいしたはたらきもできないので、きょーしゅくのかぎりなのです……」
「そんなことはないのです。ちょーろーにみまもられているだけで、わたしたちはしあわせいっぱいいっぱいなのです」
「そーなのです。きょうのよろこびも、ちょーろーがながいきしたおかげであるのです」
そのように応じる長老の家族たちは、やっぱり屈託のない笑顔だ。
きっとコメコ族は誰もが純真な人柄であるため、相乗効果が生じているのだろう。時間が過ぎれば過ぎるほど、咲弥はこちらの集落の居心地のよさを実感していた。
(こんな環境で育ってたら、あたしも家族と縁切りしようなんて考えなかったんだろうなぁ)
あるいはそれでも咲弥は人の輪から外れて、個人的な趣味に打ち込んでいたのだろうか。それもありえる話だと思って、咲弥は心中でひそかに笑った。
「あたしもこんなに楽しいお祝いの場にお招きされて、本当にありがたく思ってますよぉ。あらためて、ありがとうございます」
咲弥が頭を下げると、長老は「いえいえなのです……」と応じながら、タープの外に視線を飛ばした。
広場では、まだ大勢の人々がはしゃいだ声をあげている。それを照らし出すのは、広場のあちこちに設置された蝋燭のきらめきだ。ひとつひとつの輝きはごく小さいため、無数の星々がきらめているかのようで――それがまた、咲弥の胸を満たしてやまなかった。
「こんなにおおきなおいわいをしたのは……ごかげつぶりなのです……」
「五ヶ月ぶり? そのときも、誰かのお祝いだったのかなぁ?」
「はいなのです……トシゾウさまが、てんめーをまっとーされたおいわいであるのです……」
咲弥が思わず言葉を詰まらせると、代わりにドラゴンが発言した。
「それは我も、初耳の話である。トシゾウが没した際、其方たちは弔いの祝祭を行ったのであろうか?」
「はいなのです……トシゾウさまのおかげで、わたしたちはとてもゆたかなせいかつをてにすることができましたので……せめてものへんれーに、トシゾウさまのたましいをみおくらせていただいたのです……アトルとチコは、りゅーおーさまにおつたえしていなかったのです……?」
「……はいなのです」と、アトルとチコはうつむいてしまう。
するとドラゴンは、そちらに優しい眼差しを向けた。
「我の前で、トシゾウの死について語る心情にはなれなかったのであろうな。その気遣いに、感謝を捧げよう」
「と、とんでもないのです。……でもでも、しをしゅくふくとかんがえるのは、コメコぞくだけなので……りゅーおーさまにおつたえしても、およろこびにはならないだろうとおもったのです」
「うむ。しかし、トシゾウの存在をそうまで重んじてくれた其方たちの振る舞いは、嬉しく思う。それは、サクヤも同様であろう?」
咲弥は、「うん」と答えることしかできなかった。
あの日――たったひとりの家族として、咲弥が祖父の葬式の喪主を務めていたとき、こちらの世界ではコメコ族による弔いの祝祭が行われていたのだ。
そんな風に考えると、どうしようもなく鼻の奥側が熱くなってしまう。
そして、隣のローチェアに座っていた陽菜が、小さな手で咲弥の手を握りしめてきた。
「……よかったね。きっとトシゾウおじいちゃんも、うれしかったはずだよ」
陽菜は、あどけなく微笑んでいる。
ただその目には、透明の輝きが浮かんでいた。あの日も陽菜は田辺老婦人の腕に取りすがりながら、ずっと声もなく涙をこぼしていたのだ。
咲弥は祖父の面影を脳裏に浮かべながら、祝いの酒が注がれたマグカップを頭上に掲げる。
すると、同じデザインをしたマグカップが横合いから触れてきて、チンと軽やかな音をたてた。
咲弥が振り返ると、尻尾の先でマグカップをつかんだドラゴンが目を細めている。
その優しく穏やかに細められた目は――やっぱり、祖父とそっくりであった。
2026.3/9
今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。




