Ⅳ 運命 -27
彩?
久しぶりに感じた懐かしい感覚に、奏は身じろぎした。キョロキョロと辺りを見回すが、数か月前まで一心同体だった姉の姿はなかった。
でも、今のは彩の想いだった。
奏の見たものが彩に伝わるように、彩の感じたこと、思ったことが、奏には伝わる。
いきなり彩と引き離され、知らない場所に連れて来られてから、奏は彩の想いを受け取ることができなくなった。おそらく離れた場所にいるからだ。
それが分かってからは、ほとんどパニックだった。視覚からは情報は得られるが、耳も聞こえず、文字も書けない。そもそも、彩が伝えてくれるものに頼っていたので、言葉の認識も曖昧だった。
訳も分からず彩から引き離されて、最初に会った人間は、何を言っているのか分からなくても、良い人間ではないと分かった。自分を害そうとする目つきに、奏はただ威嚇し、唸るしかなかった。
その時現れたのが、あの人だ。皆の唇の動きから、奏は「テス様」と認識していた。
「ナル?」
急にキョロキョロし出した少年従者を、ユースティスは腕を引いて、振り向かせた。
奏はユースティスの視線に気が付くと、なんでもないという風に、首を横に振った。
「何か聞こえた、みたいな顔だったけどね」
二人を見守っていたターシャが、興味深そうに言った。
今日もユースティスは、婚約者のターシャにお茶に呼ばれていた。親同士、つまり大公とサボン公が、二人の婚約を認めたということで、晴れて親公認となったというわけである。
ターシャに言われて、ユースティスは注意深くナルの様子を窺った。すっかり平静に戻ったナルは、いつもの調子で茶器を並べ始めた
ターシャはこの小さい従者をたいそう気に入り、いつも連れてくるようにユースティスに頼んだ。ユースティスは苦笑しながらも、了承した。
それはそうだ。ターシャにとっては、ユースティスよりナルの方が断然歳が近い。親しみを覚えるのも当然だろう。
ターシャの館なので、ナルが給仕するのはおかしな話なのだが、ターシャが侍女を部屋に入れたがらないので、お茶やお菓子が入り口まで運ばれ、後はナルが給仕をすることになった。
「いつも、こんなわがままを言うんですか?」
ユースティスが笑いながら訊くと、ターシャは澄まして言った。
「必要と思った時はね」
ターシャと話すのは楽しかった。
くだらないことから、政治的なことまで、何でも話す。話が合うとはこういうことを言うのだろう、とユースティスは十歳の子ども相手に思った。
自分の立場を忘れそうになる。
「ねぇ、どうしてサボン公は、わたしたちの婚約に賛成したんだと思う?」
焼き菓子を頬張りながら、ターシャが訊くので、ユースティスは怪訝な顔をした。
「それは、わたしが公女様の夫になれば、自分の権勢も強まるからでしょう」
「大公に唯一の息子を差し出すことになるのに?」
サボン公の公式な息子は、ユースティスしかいない。
ユースティスは笑って、首を横に振った。
「隠し子がたくさんいますよ。優秀な子を養子にすればいい。どのみち、大公の継承権を前には些細なことです」
「じゃあ、彼にとって邪魔なのは誰かしら」
知れたことだ。大公の兄たち。ヨギとシオン。
「……それはわたしにとってもですよね」
彼らがいなければ、夫となったユースティスは、継承順位が一位となる。もちろん、婚約の段階では適用されないが。
ターシャはユースティスの顔を見ると、首をひねった。
「あなたは、前もって人を邪魔にしないわ。ヨギ様かシオン様が、実際に大公になって、国に害になってから初めて動く。大義を大切にするからね」
それじゃあ、遅いと思うけど。
そう平然と言われても、ユースティスの腹は立たなかった。確かに、と頷いてしまう。
「もし……」
珍しくターシャが潜めるような小声で言った。ユースティスは自然と顔をターシャの方に近づける。
「金髪の公子がいたらどうする?」
ユースティスはまじまじとターシャを見つめ、目をパチクリさせた。
「いるんですか?」
「いないけど」
間髪入れずにターシャが答える。
「もし、いたらよ」
ユースティスは息を吸って、吐いた。
「それはもちろん、誠心誠意お仕えさせていただきます」
太陽神が遣わした、太陽王の再来。
ありえない妄想に目を輝かせたユースティスの顔を、ターシャは醒めた目で眺めて、ため息をついた。
「そうよね。じゃあ、もしいたら、その子もサボン公にとっては邪魔ね」
ターシャがそう呟いたのを、ユースティスは聞いていなかった。




