第六話 晴れた日曜には街へ出よう。靴はスニーカー一択
「あー、もしかして俺、お邪魔だったか」
俺を支えてくれている美月を見て鉄平さんはなんでか気まずそうだった。
少しずつ落ち着いてきて今の状況が見えてきたところで、言葉の意味を理解する。事実はふらついた俺を美月が支えてくれただけなんだけど、考えてみればこれ、男女で肩を寄せ合っているように見えなくもない。
「いや、ちょっとふらついちゃってさ」
何とか体を起こして、美月から少しだけ距離を空け……ようとしても無理だった。体が揺れてバランスを崩し、結局もう一度美月に支えて貰うことになった。
「吾妻」
「はは、ごめん」
「謝らないで。お礼もいらない」
じゃあ、ありがとう。言おうと思った科白は先回りして封じられてしまった。
カッコ悪いなぁ、俺。
「ほんとに大丈夫か、かなた」
様子がおかしいと流石に気付いたのか、鉄平さんがちょっとだけ心配そうに顔を顰める。
一度深呼吸。頭ん中をリセットして、ぐっと前を向く。
「うん、もう大丈夫」
「……まあ、お前さんがそういうなら構わんのだが」
いまいち納得はしてないようだけど、問い詰めるような真似はしない。鉄平さんは信用できないところはあるけど、人間的には決して悪い人じゃないんだ。
「そういや、りのちゃん昨日と同じ服着てるな?」
悪い人ではないが、意地悪な人ではあるらしい。
心配そうな顔が一転、嫌らしい含み笑いに変わった。
「あれ? もしかして、あれか? あれなのか?」
ぐふふふ、なんて気持ち悪い笑い方だった。一応言っておくが、鉄平さんは三十代後半の見た目ダンディなおっさんである。その笑い方はよろしくない。
だから俺は真剣な表情で口を開いた。
「美月なら昨日はうちに泊まって、俺のベットで寝たよ」
ここは美月をからかう絶好のチャンスだった。
「吾妻、なにを」
「あ、やっぱり? 悪いなぁ、そりゃそうだな。うんうん、高校生の男女が一晩同じ部屋で過ごしたんだもんな。そりゃああれもんでこれもんでいやっふーな展開だよな」
美月の声を遮った鉄平さんの目は、面白そうなものを見つけてきらきらと輝いていた。
あ、俺達今完全に通じ合った。瞬時に理解してしまった。
「まあ取り敢えず、寝顔が可愛かったってことだけは言っておこう」
嘘は一つもついていない。うちに泊まったのも俺のベッドで寝たことも、寝顔が可愛かったことも、まったくもって事実だった。
「ねえ何言って」
「こんなかわいい娘とかぁ、やるなぁ。しかしお前ってロリコンじゃなかったのか」
「木崎さんもお願いだか」
「いやロリコンじゃないし。幼女を可愛く思うだけだし。大体それって関係ないだろ。甘党だからって辛いものの美味しさが分からない訳じゃないんだから」
「あの話を」
俺達の会話はあまりにもリズムが良くて、一向に口をはさむことが出来ない。これは好機と俺は止めを刺しにかかわる。
「ほう、その心は」
「幼女好きなのは事実でも、そんなの関係なしに美月は可愛い」
「そいつはごちそうさまで」
そうして彼女の方に目を向ければ、
「あう、あぅあう」
口をパクパクさせながら顔を真っ赤にする美月。あーもー、かわいいなこいつ。
「普段無表情な女の子が顔を真っ赤にしてあうあう言ってる……いいな」
「ああ、これだから美月は可愛いんだ」
それはからかいではなく本心だった。
こいつは男前だけど、やっぱり可愛い女の子だ。高機動型なのに火力も充実、わがままな美女って感じである。まあ俺の一押しはブルーなんですけど。
「なんかよ、俺達って結構相性いいと思うぜ。趣味も合う。また親友になれそうな気がするんだ」
美月を二人で弄ったせいか、鉄平さんはえらくご機嫌だ。
にかっと笑って見せてくれたから、俺もにかっと笑って返す。
「ああ。初手から騙そうとかしてなけりゃね……また?」
「言い間違いだ、気にすんな。ってか表情と科白合ってねーぞ」
「でも心情と科白はあってるし」
「お前は俺をいじめてそんなに楽しいのか」
いや苛めてるつもりは全くないんですけど。まあともかく。
「鉄平さん来てくれて助かった。これで助けられたの二回目だな」
「あん?」
理解できずに表情を歪める。でも説明する気はなかった。ただ、少しだけこの人を信頼してもいいと思えた。
ただ一つだけ、気になることはあった。
俺にロリコン疑惑がかかっているなんて、鉄平さんは知りようがない筈だった。
◆
「最低。馬鹿。変態。ロリコン。イケメン。腋フェチ」
復活した美月が俺のことをジト目で睨んでいる。長身の美月が膝を抱え体育座りで部屋の隅にいるのは若干面白く見えた。そしてロリコンじゃない。
「あー、ごめん。ちょっとからかい過ぎた」
「許さない。からかう為にかわいいとか言うなんてほんとに最低」
「からかう為じゃないぞ? 俺はちゃんと美月のこと可愛いと思ってるし、美人だと思うし、頼りにしてるし、一番の親友で、勿論大好きだ」
「ごめんなさい許して下さい」
許されない筈の俺が許しを乞われるとはこれいかに。
俺達の遣り取りを見ながら鉄平さんは声を上げて笑った。
「お前らおもしれーな。なんだ、実際んとこ付き合ってんのか?」
「まさか、だって高校生だぞ?」
「意外と純情というか古風なんだな……」
何を言ってるのかは分からないけど、美月は確かに可愛いけど高校生だ。ちょっと年齢が行き過ぎていて、付き合うとかは考えたことはない。
そうじゃなくても俺の親友なんだから、美月のことを女として、あーつまり、有体に言えば性欲の対象として見るのはあまりにも失礼だと思う。
「とにかく、美月。ごめん、流石に調子に乗った」
「……もういい。心を落ち着かせたかったんだろうし」
「う」
見事に図星だった。さっきは自分の考えが怖くて俺は混乱していた。だからいつものように美月をからかうことで、自分を落ち着かせようと必死だった。美月も冷静になってそこまで目が届くようになったらしい。ほんと、こいつは俺のことをよく分かっている。
「ちょっとは元気出た?」
「おかげさまで」
「ならいい」
無表情で短く答える。でもそこには掛け値のない優しさがあって、照れた俺は曖昧に笑って頬を指でポリポリと掻いた。
「お似合いだと思うんだがなぁ」
そんなことを言う鉄平さんは、何故か俺のベッドの上にどっかりと座っていた。
しかもコーラを飲みながらばりぼりとポテトチップスを頬張ってやがった。更には床に置いてあるビニール袋の中には大量のスナック菓子とジュースが入っている。
「……今更だけど鉄平さん、何やってんの?」
思わず零れた言葉だった。年上相手に失礼かもしれないけれど俺には既に敬語を使う気はなかった。フレイムタン=フレイムたんだと知った時点で。
「いやー、向こうにはコンビニなんてないからな。久しぶりに行ったらついつい買いこんじまった。しかしなんでこうジャンクなもんってのは旨いんだろうな?」
袋の端に口をつけて残ったポテトチップスを流し込む。更にコーラを一気飲み、鉄平さんはご満悦だった。外見は顎鬚生やした筋肉質で身長も高いダンディなおっさんなのに、どっちかというとバーでウィスキーでも飲んでる方が似合ってるのにこれである。この人基本的に残念なのかもしれない。
「ま、かなたも落ち着いたことだし、そろそろ本題に入るとするか」
一心地付いたのか、一転表情を引き締める。
「本題?」
「おう、昨日伝えられなかった、魔剣の育て方だよ」
◆
「いい天気だなぁ」
「うん、そうだね……」
俺は公園のベンチに美月と並んで座っている。
この公園は『みさき公園』と言って、自宅から10分くらいの距離にある。ブランコと滑り台、鉄棒くらいしか遊具はないけれど子供の頃はよくここで遊んでいた。高校生になってからも時折此処に来ては無邪気に遊ぶ子供たちを微笑ましい気持ちで眺めていた。
「ほーら、フィールちゃん、高い高いー」
きゃっきゃと嬉しそうに笑うフィールちゃん。思わず目じりが下がるのもしょうがない。だってこんなに可愛いんだから。辺りを見回すと日曜日だからか、結構子供連れのお母さんが目につく。小っちゃい女の子が砂場から母親に手を振っている。微笑ましい光景だった。
「吾妻、腋見すぎ」
「おっと」
5歳くらいの女の子はノースリーブのフリルシャツを着ており、手を振る度に健康そうな腋がちらちらと見えている。あまりの微笑ましさについ見入ってしまったのがよくなかったようだ。ちょっと後でトイレ行ってこよう。
「あんな小っちゃい子を性的な目で見ちゃ駄目」
「美月、それちょっと間違ってる」
やっぱり美月は女の子だからか、ちょっと考え方がずれている、
ふう、と俺はあからさまに溜息を吐いて見せた。
ここはやっぱり親友として彼女の認識を改めねばなるまい。
「いいか、例えばテレビに女の子が映る時、乳首さんが出たらモザイクがかかるだろ?」
「うん」
「それに下半身の、女の子の大切なところにも当然モザイクだ」
「うん」
「乳首さんや女の子の女の子はやっぱり性的なもので、テレビみたいな公共の電波で流すのは皇女凌辱に反する行いなんだ、悲しいことだけど」
「そうだね。公序良俗だね」
ここまでは美月も納得してくれたようだ。
で、ここからが本題。
「でさ、考えて見ろよ。今迄テレビを見てて、腋にモザイクが掛かったことってあった?」
「うん、ないね」
「だろ? だったら腋を見ることは別にいやらしいことじゃないじゃん。つまり俺がいくら腋をガン見しようが匂いを嗅ごうが指で突こうが唾液でふやけるまで舐めしゃぶろうが世間的にはセーフな訳だ」
「つまり私は吾妻の両目を抉り出して鼻を削いで指を切り落として舌を引っこ抜けばいいってこと?」
「何故に!?」
みつきはときどきとってもこわい。
というかなんでそんな結論が出てきた。
「吾妻って、ほんと腋フェチだよね」
「腋フェチってなんでだ。今の話を聞いて何でそんな結論になる」
「今の話を聞いたからだと思う」
結局美月を納得させることは出来なかった。
俺、もしかしてディベートとか向いてないんだろうか。
ああ、ちがうな。美月は女の子だからこういう感覚はよく分からないんだろう。思春期の男の子なんてこんなもんだと思うけどなぁ。
「調子戻ってきたみたいだから別にいいけど……で、木崎さん?」
思い出したように美月はベンチの後ろの桜の木の方へ声を掛ける。その木陰からは鉄平さんが俺達の様子を覗き見ていた。
「どした、りのちゃん。後俺のことは鉄平で良いぜ」
「うん、ありがとう。で木崎さん、聞きたいことがあるんですけど」
「お前ら実は俺のこと嫌いだろ?」
いやそんなことないですけどね。美月が男を苗字で呼ぶのは単に性格なだけで。こいつはメリハリのついた体付きとは裏腹に結構古風な女で、男を名前で呼ぶのは気が引けるらしい。まあ簡単に言うと恥ずかしいんだろう。
「魔剣の育て方を教えてくれるって話はどうなったんですか?」
その疑問はもっともだ。結局俺達は外へ出てきて公園でくつろぐ以外のことをしていない。
「あん? 今正にやってるだろ?」
「え、でも」
「これが魔剣を育てる第一段階『いっしょにすごす』だ」
そう言った鉄平さんの顔はとても優しく、まさに「お父さん」という印象だった。
意味が分からず美月は俺の方を見る。いや、俺も分かんないからと目線で訴えた。形としては見つめ合うような状態になり、「お前ら本当に仲がいいな」と鉄平さんは笑っていた。
「人間の場合はよく食ってよく寝りゃ大きくなれるが、魔剣は人型になれるが人間とは根本的に違う。飯は食わないし排泄もしない。正確に言えば食えるんだが、それはあくまで嗜好品以上の意味はなくて生理機能としては必要ないんだ。じゃどうやって大きくなるかってーと、魔剣は心を食って成長する」
「え、なにそれ。すごい怖いんですけど」
思わず敬語になる俺を鉄平さんは快活に笑い飛ばす。
「はははっ、何も本当に心を食う訳じゃないさ。そうだな……想いって言い換えてもいい。魔剣は使い手の想いを、愛情を受けて、その分だけ大きくなるんだ」
目を細め、静かに笑って見せる。こういう表情は正に大人の男って感じで非常に格好いいんだけどなぁ。フレイムたんとか言っちゃってる辺り中身が残念でならない。
「だがいくら愛情を持ってても、伝わらないんじゃ意味が無い。だからこうやって一緒にのんびりしたり、一緒に遊んだり、一緒に泣いて一緒に笑って、一緒に日々を過ごして。時間かけて俺はお前を大切に想ってるんだって伝えていくんだ。そこら辺は人間と同じ。愛情は注ぐもんじゃなくて、ゆっくり染み込ませるもんだと俺は思うぜ?」
なんとなく、鉄平さんとフレイムの仲がいい理由が分かった。
この人は魔剣を武器だと分かっているのに、ちゃんと一個人として扱っている。 だから「一緒に」なんて言ってしまう。フレイムの言葉を借りるなら、根本的なところで魔剣を武器だと理解できない馬鹿だから、きっと彼女は鉄平さんを信頼しているんだ
内心で評価を改めていると、いきなり鉄平さんは表情を引き締めた。視線は鋭く、纏う空気はピリピリとしている。
「っと、悪い。話はここまでみたいだ」
気が付けば、遊んでいた子供達も母親の姿も見えなくなっている。
なんだこれ、何が起こってるんだ?
異様な空気に俺も周囲を見回す。
音のなくなった公園で、けれど鉄平さんの視線の先に人影を見つけた。
「テッペイ様。お久しぶり……です」
その瞬間に、呼吸が止まった。
俺は現れた少女の容貌に戸惑い、驚愕し……鼻の下が伸びている自分を完全に理解した。
年齢は十三、四歳くらいだろう。高めのストレート、ホームランしやすい絶好球だ。
蒼穹を思わせる鮮やかな青の髪は緩やかにウェーブしており、それを左右均等に結わったツインテールは、あどけない顔立ちと相まって幼女のように愛らしい。
胸の大きさを見るにおそらく彼女はCランクの魔剣だろう。しかしフレイムよりも小柄で細身なせいか、かなり大きく見える。幼げな容貌とは裏腹に女性らしい毬身を帯びたスタイルはまさしくロリ巨乳最高。
そして何よりもその服装。
絹のように滑らかな光沢を放つローブ。丈は短く膝くらいまでなのだが、何よりも目を引くのはその上半身。ていうか腋。一見清楚な服装だけど腋。腋丸出し。色白で、だからこそピンクに染まった肌で尚且つ腋。胸大きいから横乳+腋。つまり腋である。完全に俺を狙い撃ちに来ているよこの娘
「お前か。お前も、ゲインについたのか」
鉄平さんの態度が僅かながらに硬くなる。
あの少女は知り合いなのだろう、二人の間にはなにか緊張とも哀切ともつかない微妙な空気が流れていた。
「はい……当然かと。フレイムとは違い、貴方にいつまでも付き従う理由は、私にはありませんから」
「そう、だな。お前は……そうだよな」
俺の動揺を余所に、鉄平さんは悔いるように声を絞り出す。
少女の表情は暗い。懐かしむような、泣き出しそうな、複雑な心境が顔に出ていた。
そうして俺の方に向き直り、少女は丁寧にお辞儀をしてみせる。
「……初めまして、貴方がフィールの使い手ですね?」
まるで水が流れるような、澄んだ声だった。
涼やかに染み入り、ひんやりと心地好い。何故か、遠い夏の日に飲んだラムネを思い出した。
「そこは、お父様って言ってほしいところかな」
心地よい空気に誤魔化されたせいだろう。まるで浮かんだのは小学校の頃の友達に会った時のような笑みで、呟きも自分が思っていた以上に穏やかだ。
場違いな態度だが、今回はそれが功を奏したらし。泣き出しそうな顔をしていた少女は小さく、本当に小さくだけど笑ってくれた。
「それはすみません。では改めて……初めまして、フィールのお父様」
「うん、初めまして。俺は吾妻かなた。男だけど俺の嫁、吾妻かなただ」
「吾妻、ふざけてる場合じゃないと思う」
ぼそぼそと美月が耳打ちする。
いや、まあそうなんだけどさ。このタイミングで姿を現し、鉄平さんが警戒している。彼女はおそらくはオグドと同じ勢力に属しているんだろう。
「これはご丁寧に。では私も名乗らねばなりませんね。……世界復興機構“ゲイン”に属する魔剣」
つまり彼女は、
「四霊剣が一つ、清流の魔剣リヴィエール。以後お見知りおきを」
明らかに俺達の敵だ。